テキスト化できれば、何でもできる(Google Pixelを使う:その3)
Google Pixel3で紙の書籍をテキスト化できる。その実力はどの程度だろうか?
拙著『「超」勉強法』の冒頭の部分についてテストしてみた。
本のページを開いてPixel3で撮影する 。本が多少傾いても、光の具合が悪くても、問題はない。撮影した画像のうち、選択した範囲(下の画面で青丸で囲まれた部分)について、テキストに直してくれる。
この間、数秒しかかからない。スキャナーでスキャンするよりずっと早い。
1ページ全体についての結果は、つぎのとおりだ。
Pixel3によるテキスト化 ↓↓↓↓↓↓↓↓
間違った勉強法では、努力しても成果があがらない。勉強の成果は、方法によ って大きく変わる。それにもかかわらず、勉強のノウハウについて、これまであまり議 論されてこなかった。 14 名人家庭教師と同じだった私の勉強法 私の友人に、家庭教師の名人がいた。成績が悪い生徒の面倒をみて、目覚ましい成果をあげてい た。 彼は、独自の勉強法で教えていた。つまり、勉強法を大きく変えることによって落第生を救った のである。そして、「少なくとも中学、高校であれば、どんな子でも、一定の点数までは確実にとれ る。本当の理解力をつけるには時間がかかるけれども、テストの点数を引きあげるだけなら、簡単。 とくに数学と英語はそうだ。成績がクラスで最下位の子でも、必ず遅れを取り戻せる」といって この話を聞いたのは、比較的最近のことである。私がとくに興味を持ったのは、彼が用いていた いた。 方法が、私の勉強法と非常に似ていたことだ。英語と数学については、まるで同じだった。このこ とは、私の勉強法が私に有効なものでなく、多くの人に適用可能なものであることを示してい る。本書を書こうと思ったのきっかけは、この点にある
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間違いが皆無ではない。
上の結果は、100点満点ではない。
まず改行していない。
さらに、5カ所読み取りを間違っている。
「いくら」を読めなかった(1行目)(下に示すPDFでは、正しく読んでいる)。
上から3行目に「14」という数字があるが、ここにあるべきは、小見出しの上の◇マークだ(私が操作を誤って、◇マークを範囲に入れず、ページ数「14」を範囲に入れた可能性がある)。
また、「いた」というのを誤った位置に置いている(下から5行目)。そして、「だけ」を読めなかった(下から3行目)、「一つ」を読めなかった(最終行)。
しかし、その他は、完全に正しくテキスト化している。
ではスキャナにかけてPDFにし、これをテキストに変換するというこれまでの方法ではどうだろうか?
Adobe Acrobat Pro DCには、PDFをワードに書き出す機能がある。
これを使って変換した結果が、下に示すものだ(これはWordファイルをさらにテキストファイルに直したもの)。
PDFからAdobe Acrobatでテキスト化した結果 ↓↓↓↓↓↓↓↓
間違った勉強法では、 いくら努力しても成果があがらない。 勉強の成果は 、方法によって大きく変わる。 それにもかかわらず、 勉強のノウハウについて 、これまであまり議論されてこなかった。
φ 名人家庭教師と同じだった私の勉強法
私の友人に、 窪腫教師の名人がいた。 成績が悪い生徒の面倒をみて、 目覚ましい成果をあげていた 。
彼は、 独自の勉強法で教えていた。つまり、 勉強法を大きく変えることによって落第生を救った
のである。 そして、「 少なくとも中学、高校であれば、どんな子でも、 一定の点数までは確実にとれ る。本当の理解力をつけるには時間がかかるけれども、テストの点数を引きあげるだけなら 、簡単 。とくに、 数学と英語はそうだ。 成績がクラスで最下位の子でも、 必ず遅れを取り戻せる 」といって
v’A、e-ハ,’。
この話を聞いたのは、 比較的最近のことである。 私がとくに興味を持ったのは 、彼が用いていた方法が、 私の勉強法と非常に似ていたことだ。 英語と数学については、 まるで同じだった。 このことは、 私の勉強法が私だけに有効なものでなく、 多くの人に適用可能なものであることを示してい
る。 本書を苫こうと思った一つのきっかけは、 この点にある。
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改行は、正しくしている場合としていない場合がある。
さらに、間違いがある。
「φ、窪腫、v’A、e-ハ,’。苫こう」
という文字は、原文にはない。
外国語では
外国語に翻訳する、あるいは外国の本を読むということになれば、Pixel3の独壇場だ。
これは、「外国語の本も簡単に読める(Google Pixelを使う:その2)」
で紹介した韓国語訳をPixel3で翻訳したもの。
かなり誤りもあるが、まあまあ読める。
1993年頃、『「超」整理法』をアメリカで出版することを考えた。
しかしそのためには英訳をしなくてはならない。この手間を考えて、断念してしまった。
この頃、アメリカでも『「超」整理法』はある程度知られていた。実際、コンピュータサイエンティストから電話インタビューがあり、その結果は本になった。
今から考えれば、残念なことをした。
テキスト形式にさえなっていれば、何でもできる。検索も、一括置換もできる。編集も自由自在だ。
こうして、これまで化石のように眠っていた紙の書籍が、蘇って大活躍を始めるのだ。
私も出版社の人も興奮しているのは、このためである。
ただし、PDFの扱いについては、もう少し言わなければならないことがある。それは、つぎの機会にしたい。
Pixel 3を見ていると、「カメラというのは眼に過ぎず、重要なのはその後ろにある脳なのだ」ということがよくわかる。
日本のカメラメーカーは、優秀な眼を作ることに専念した。そしてついに脳を作ることができなかった。
キャノンやニコン、ペンタックスの華々しい時代は、ついこの間のことのように思っていたのだが、実は、はるか昔のことになってしまったのだ。
こうした変化は、いずれあらゆる製造業の製品に押し寄せるだろう。
この次の大変化が自動車であることは、明らかだ。