「超」時間管理法(3) 「地獄の釜」シンドロームは、なぜ起こるか?
「手帳のつぎの週を見たら、地獄の釜が口を開いていた」
これは、週刊ダイヤモンド社元『週刊ダイヤモンド』編集長、元取締役(現ダイヤモンド・ファンド社社長、 ダイヤモンド社論説委員)の坪井賢一さんが言った言葉である。
「今週は仕事もなく、楽に過ごせそうだ」と思っていて、ふと手帳の次の週をみたら、とんでもなく重要な仕事の締め切りが、いくつも重なっていた。
まさに、煮えたぎっている地獄のかまが、その週には口を開いていたのだ。
「今週は楽に過ごせる」どころではない。来週に締め切りが迫っている重要な仕事のために、睡眠時間を削って仕事をしなければならない。
それにもかかわらず、今週には、あまり重要でない用件を沢山入れてしまっている。学生時代の友人との会合を約束してしまった。それに加えて、何時でもできる打ち合わせを3つも入れてしまった。
今週は、重要な仕事のために時間をできるだけ確保する必要があったのだが、それが、いまになるまでわからなかった。
いや、まったく忘れていたわけではないのだが、十分に配慮をしていなかった。
今週に約束している用事を一つでも後に延ばせればずいぶん楽になるのだが、約束してしまったことだから、動かせない。
◇居座り案件がもたらす地獄の釜シンドローム
私は、「動かせない」という意味で、これを「居座り案件」と呼んでいたのだが、「地獄の釜」の方がずっと感じが出ている。なんと適切な表現だろう!
そこで、以上で述べた問題を、「地獄の釜シンドローム」と呼ぶことにしよう。
外国でインターネットに接続するのが簡単でなかった時代、外国出張の直前に、よく「地獄の釜シンドローム」に陥った。国内の仕事は出張中はできなくなるので、出発前にかたをつけておく必要がある。
ところが、帰国後でもいい用事が入っていて、重要な仕事に十分な時間をかけられない。あと数日出発を延ばせたらどんな犠牲を払ってもよいと思ったことが何度もある。
何とか飛行機の座席に滑り込んだ、という経験が何度もある。
◇数か月後の自分は他人
なぜこうなるのだろう?
旅行なり出張なりの場合には、かなり前からそれは分かっているのに、なぜ「地獄の釜シンドローム」に陥るのか?
十分注意しているにもかかわらず、そうなってしまうのだ。
一つの理由は、忙しい時には当面の案件を処理するのに手いっぱいで、将来のことなど考えられないからだ。「来週は来週、ましてや1月後など、何とでもなる」と思ってしまう。それは、そのときになってからの切羽詰まった状況を実感できないからだ。
数か月後の自分は、他人のようなものなのである。このため、出張前の忙しい期間であるにもかかわらず、無責任に予定をいれてしまうのだ。
そして、1週間前くらいになってから慌てだす。
◇普通の手帳は、1週間しか見えない
理由はもう一つある。普通の手帳ではその週しか見えないことだ。
だから、用事がきたとき、つぎの週に何が入っているかを確かめないでいれてしまうのである。
確かめる必要があると思っていても、つぎの週、さらにその次の週と、いちいち確かめてからいれるのは面倒だ。だから、せいぜい前後2,3日に重要な要件が入っていなければ、用事をいれてしまう。
では、なぜ手帳は、1週間しか見えない構造になっているのか?
それは、予定を忘れないための道具、つまり備忘録として考えているだけであり、スケジュールを作るための道具と考えていないからだ。
◇1週間単位は「工場の時代」。現代では、スケジュールはもっと複雑
手帳が1週間単位になっているのは、もう一つ理由がある。それは、「工場の時代」の習慣を引きずっていることである。
時間の「見える化」が必要で述べたように、農耕時代には、季節の移り変わりでスケジュールを組めばよかった。
産業革命によって「工場の時代」がもたらされたが、そこでは、多くの用事が週単位で組まれた。
だから、手帳をスケジューリングに使う場合、1週間単位で区切られているのが、一番使いやすかったのである。
ところが、現代社会では、スケジューリングはもっと複雑な課題になっている。時間の「見える化」が必要で述べたように、短期、中期、長期、そして単発的と、さまざまなサイクルの仕事が複雑に絡み合って進行している。
こうした社会では、1週間単位の手帳では、適切なスケジューリングができない。
「居座り案件」が発生し、「地獄の釜」に飲み込まれてしまうのは、そのためだ。
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