『円安と補助金で自壊する日本』:全文公開 はじめに
『円安と補助金で自壊する日本』 (ビジネス社)が9月26日に刊行されました。
これは、はじめにの全文公開です。
はじめに
世界経済の大混乱に翻弄され、漂流を続ける日本
3年近くにわたって続くコロナ禍がいまだ収まらないなかで、2022年には世界経済に次々と大きな事件が起き、大混乱状態となっている。
アメリカのインフレやロシアのウクライナ侵攻によって、日本の輸入物価が高騰。日本にもインフレの波が押し寄せてきた。さらに、FRB(アメリカ連邦準備制度理事会)が急激な利上げを行ったため、異常ともいえるスピードで円安が進行し、輸入物価の高騰に拍車がかかった。これによって、国内消費者物価の上昇率が高まった。
また、ウクライナ問題は、安全保障問題に関するこれまでの基本的な枠組みに、大きな見直しを迫っている。本書の執筆時点において、世界も日本も、混乱の真っ只中にある。
6月下旬からは、アメリカの長期金利がかなり顕著に低下した。アメリカで景気後退の懸念が強まったからだ。こうした変化を背景に、為替レートの動向も変化し、7月下旬には、それまで進んでいた円安への動きが停止し、円高への揺り戻しが見られた。
しかし、これをもってインフレや円安が収まったと見ることはできない。問題は解決したわけではなく、次々と形を変えて襲ってくる。
実際、8月の始めには、アメリカの長期金利が急速に反転上昇した。FRBが金融引き締めを継続する姿勢を示したためだ。
物価高騰も円安も、そして安全保障問題も、早期に解決の糸口がつかめることを期待したい。しかし、そうなる保証はない。われわれは、大きな不確実性のなかに投げ出されてしまった。
ところで、われわれが直面しているのは、短期的な問題であるように見える。実際、毎日のように事態が変化していく。
しかし、こうしたことの根底には、長期的な問題が横たわっている。それがさまざまな問題を引き起こしているのだ。
例えば、急速な円安が続いたのは、世界の中央銀行が利上げを行うなかで、日本銀行が10年近くにわたって続けてきた大規模な金融緩和政策から脱却できないからだ。円安や、それによって引き起こされる物価高騰が問題であることは間違いないが、それと同時に、日本の政策決定機構が深刻な麻痺状態に陥っていることが問題だ。
岸田文雄内閣の経済政策も、基本的な方向づけが定まらず、キャッチフレーズだけが乱発されている。「分配こそ重要」と言ったかと思うと、「新しい資本主義」になった。「令和版所得倍増計画」も出てきたし、「貯蓄から投資へ」というスローガンが唐突に蘇ったりした。日本は、いま方向性を失い、漂流している。
マクロ経済政策も、基本的な点で深刻な矛盾を含むものになっている。
なぜなら、一方で物価高騰が問題だとしながら、他方で金融緩和を続けることによって、円安を放置しているからだ。仮に物価高騰を抑えようとするのであれば、その重要な原因の一つである円安に、一刻も早く対処しなければならない。逆に、円安を放置してよいということであれば、物価高騰に耐えよと、国民を説得しなければならない。
経済のもっとも重要な問題に関して矛盾した政策が続けられているのは、日本の政策決定体制が深刻な機能不全に陥っていることを示すものだ。
そうしているうちに、円安が進み、物価が高騰する。そして、賃金は上がらない。また、日本の国際的地位が、確実に低下を続けている。
このような混迷の時期だからこそ、考え方や政策の基本的方向づけを確実にする必要がある。そうしないと、さまざまな事象に翻弄され、押し流されるだけのことになってしまう。重要なのは、この状態から脱却して日本経済の長期的な低下傾向をくいとめ、新しい日本をつくることだ。
将来に向かって日本経済を成長させるためには、産業構造を改革し、人材の質的向上を図ることがもっとも重要な課題だ。それにもかかわらず、目の前の問題の処理に振り回されて、基本問題がなおざりにされている。
本書の目的は、いま日本が直面する経済問題の本質が何であるかを明らかにすることだ。
それを踏まえて、日本が向かうべき方向を示したいと思う。
各章の概要
第1章では、2022年に進行した急激な円安と物価高騰について述べる。アメリカのインフレやロシアのウクライナ侵攻で原油などの資源価格が高騰し、急激な円安がそれを加速させた。
これまでの日本では、輸入物価が高騰して企業の原価が上昇すると、それが企業の売上に転嫁され、その結果、消費者物価が上昇するという傾向が見られた。
しかし、今回は、輸入物価高騰が急激なため、価格への転嫁が十分に進んでいない。このため、企業にとっても、「悪い円安」になっている。
第2章では、中長期的な観点から、円安政策が日本経済に与えた影響を見る。円安になると、企業の利益が増大する。この効果を求めて、金融緩和による円安政策が、2000年頃からとられてきた。その結果、日本企業は、技術開発やビジネスモデルの開発によって世界経済の構造変化に対応する努力を怠った。
過去20年以上の期間にわたって続いた円安政策が、日本企業の活力を奪ったのだ。
第3章では、金利が急上昇する世界経済のなかで、日本銀行が頑かたくなに金利抑制を継続しているために、国際的な投機のターゲットとなり、その結果、国債市場で深刻な問題が生じたことを指摘する。
もっとも恐ろしいのは、日本国民が円を見捨て、資産を外貨建てに移すという「キャピタルフライト(資本逃避)」が起きることだ。大規模なキャピタルフライトが生じれば、日本経済は崩壊する。
円安をくいとめるには、日本銀行が金利抑制策をやめ、金利の上昇を認めることが必要だ。ところが日銀は、こうした政策転換を行おうとしない。
第4章では、日銀がなぜ金融緩和政策から脱却できないのか、その理由を考える。経済活動に悪影響が及ぶことや、財政資金調達が困難になることが指摘される。しかし、こうしたことが本当の理由だとは思えない。基本的な原因は、金利が上昇すると日銀が債務超過状態に落ち込むことだ。
第5章では、日本経済衰退の基本的原因が、補助金と円安であることを指摘する。
日本の産業政策は、衰退産業への補助になってしまっている。農業に見られるように、これまで補助金政策は産業を衰退させてきた。1990年代頃からは、製造業の衰退に伴い、製造業が保護の対象となっている。政府主導による再編策が行われたが、成功しなかった。
ウクライナ危機に便乗して、安全保障の名目での補助要求が増えるだろう。半導体に対する補助が必要との要請が強まっているが、これによって日本の半導体産業が復活することは望めない。
その一方では、数カ月間の臨時措置として始まった雇用調整助成金の特例措置が、いまだに続いている。そして、雇用構造の変革を妨げている。
第6章のテーマは、デジタル化だ。デジタル庁はできたが、日本社会でのデジタル化は、ほとんど何も進んでいない。岸田内閣が掲げる「デジタル田園都市構想」によってデジタル化を進展させることができるのかどうか、大いに疑問だ。
他方で、デジタル化の必要性は、日に日に増している。特に重要なのは、サイバー攻撃に対する防御だ。このための「デジタル戦士」の要請が急務であることを指摘する。
さらに、ウェブ3・0に見られる分散型のシステムと、中央集権的なシステムの関係について考察する。メタバースが大きな注目を集めているが、現実から逃避して没入できることが強調されすぎている。そうしたものだけでなく、仕事のためのメタバースが必要なことを指摘する。
第7章では、教育、特に高等教育の問題を論じる。
日本再生のためには、人材の質を高めることが不可欠であり、そのためには、学ぶ意思のあるすべての人々が高等教育を受けられる仕組みが整備されていることが必要だ。
しかし、日本の大学は、大企業に就職するための通過機関になってしまっている。そして、企業は、専門知識を給与に反映させることはなく、年功序列的な賃金体制を続けている。このため、大学教育を受けるために要した費用を、賃金によって回収することが難しい。日本の未来を拓くために、こうした状況を変えることが必要だ。
2022年8月 野口悠紀雄
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