見出し画像

#4家族

物心着いた時には施設にいた私は一番大事と言われる時期に親の愛情を受けずに育ってきた
恵まれない家庭環境という言葉は好きでは無いがたぶんそれに当てはまるだろう

長い間施設にいたため親はずっと子供のままでの距離間で接してくることが多かった。過干渉な親だった

施設にいる頃長期休みがあったりすると実家に帰省することがよくあり、親と喧嘩せずに施設へ帰れたことは1度もなかった。親同士の喧嘩もたくさんあった

そもそも施設に入った理由は親のネグレクトで、まだ幼い頃の私はそれすら分からぬまま親と離れ離れにさせられたということだけ残っていた。
長期休み帰省後施設に帰ると、決まって夜家に帰りたい!!と大泣きしていた。ただ単純に親と離れるのが寂しかった

だが歳を重ねるにつれて自分が産んだ子供を自分で育てられない親に対しての嫌悪感が増していき、大好きだったあんなにも離れたくなかった親のことが大嫌になった

踏み込んできて欲しくないところまで、プライバシーが犯される部分まで踏み込んでくる親、理不尽なことで怒鳴り散らかす親。正直耐えられない

施設にいても愛されている実感を得られない
どこまで行っても施設の職員
仕事としてこなしているだけ無償の愛などない。

施設にも実家にも居たくない。中学では陰湿ないじめを受けるが施設の職員には助けてもらえず、学校の先生もそれは同様だった。私を護ってくれるための場所が、そうじゃなくなった瞬間だった。
施設にいても実家にいても私の心境が同じなのであれば、ほんの少し自由度の高い実家に戻るという選択をとった。施設にいた10年間、1度として帰れると言われたことは無かった、児相には「まだ帰れる状況じゃないね…」と言われいつもと同じようにマニュアル通りに質問されいつも通り応答して、児相は帰るという流れ。
そのため帰れる状況ではなかったが、施設にはもう居たくなかったため、暴れるという選択を取り施設側の気を引き、実家に帰りたい理由、帰れるようようにするために必要なこと、施設でされたこと、学校のこと、など全部自分で書出して児相と施設の職員に提出して色んなことを経て帰れることになった

こんなにも簡単に帰れるならもっと早く帰りたかったのに、親はなんで何もしてくれなかったのだろう。と親に対しての嫌悪感はさらに増していった

そして帰って思い知らされることになる。自分の親がいかに過干渉で、感情のコントロールが出来なくて、自分の子供との距離感を保つことが出来ない普通とは程遠い人間か。
スマホの中身は見られる、怒鳴られる、自分の部屋はない、アルバイトで稼いだお金は勝手に使われる、手を出される。都合のいい時だけ、もう高校生になったんだからと言ってきたり、まだ子供だからと縛りを作られたり。親が帰ってきて機嫌が悪い時は地獄だった。
ただいつからかそんな親に怯えることはなくなって怒りと呆れに変わった。親から怒られても詰められても怒鳴られても怖くはなかった。

高校卒業するまでの辛抱だと思うしかない。3年間耐えればやっと自由になれるやっと生きてられる。


親とまともに同じ家で過ごしたのはこの3年で、親のことを1番憎く思ったのもこの3年だった


やっとの思いで親と離れられた
引越し当日親と1日過ごし、またねと言って親は実家に私は念願一人暮らしで自分の家に。こんなにも嫌いな親なのに何故か苦しくなった。きっと人生の中でホントの意味で1人になったのが初めてだったからだと思う。
その時は分からなくて人を呼んで泊まってもらった

今年で一人暮らしを初めて3年が経つ
一人暮らし1年目の頃は親からやっと離れられたのに、何してるの?のラインが来たり電話がかかってきたりしていた。離れていてもこの呪いからは逃れられないのかと思い、それには酷く恐怖した。月日経つごとに連絡も少なくなった。

今では私がたまに実家に帰って大好きな猫を抱きしめて、母が作ったご飯を食べて親と別の部屋で寝て、適当に実家から帰る。一人暮らし始めたての頃はもう二度と親と会うことはないと思っていたし会いたくもなかった。なぜ今会ってるかと言われたら猫が好きだから。と言うようにしている。そうしないとあの頃親のことを憎んでいた私を否定することになる。あのころの親を許すことになる。私は今でも親のことを許していない。

本来私のことを守ってくれる大事にしてくれる1番の人間に、大事にして貰えたという実感無く生きてきた。
そしてされたことは一生忘れられない

施設育ちということがこんなにも足枷になるとは思っていなかった。一生恨んで生きていく。

ただ、お前なんか親じゃない、施設に入れたくせに
タヒねばいい、など。本人に言葉にできたことは1度もない。

きっとこれは親が大事だから。ではなく
そう言ってしまう自分でありたくは無いのだと思う
それを言うことで苦しむのは私もだからだ

分からない。未だに幸せそうな家族を見るとイライラしてしまったり、苦しくなったり、子供がお母さんに駆け寄る姿見たりすると、何故こんなにも違うのだろうかと。

家族とは血が繋がっていることなのか、一緒に育ってきた時間なのか、愛された時間なのか…

私には分からない

ただ本当は家族が
家族と呼べる家族が私は欲しいのだと思う。

家族ってなんですか
















一生消えない傷と抱えてく必要のある荷物。
あの時の頑張りを。死ぬ気で生きた私を忘れないために。





いいなと思ったら応援しよう!