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【実話怪談未満】ザクロ

小学校に上がるか上がらないかの頃、毎日一緒に遊んでいた姉弟がいた。
姉は二つほど上、弟は一つばかり下だったと記憶している。
自分の家の前には公園がある。その姉弟の家は、自分の家から向かって右、ちょうど公園の隣にあった。
あばら家のような長屋で、鬱蒼とした木や植物の苗などを植わっていたのを憶えている。
その家には、彼女らの祖母が住んでおり、自分もよく遊んでもらった。とても優しいおばあちゃんだった。
「ほら僕、これ食べや」と言って差し出された果物は粒が小さくて食べにくかったが、甘くプチプチとした食感が楽しかった。
それがザクロを初めて食べた出来事だった。家に帰って上機嫌で親に報告したことは、うっすら憶えている。
ほとんど毎日のように姉弟と遊んでいたが、いつの頃からか、ぱったりと彼らは公園に現れなくなり、親に聞けば引っ越したという。
いつも遊んでいた彼らが急にいなくなって、とても悲しくて寂しかったのをよく憶えている。

いつしかザクロが植わっていた家は更地になり、駐車場になった。
中学生くらいの時分だ。
その頃、その駐車場に老婆が出る、という噂を聞いた。
曰く、老婆がじっと何もせず佇んでいる。
曰く、物凄い形相で睨みつけてくる。
曰く、何か奇妙な動きを一心不乱にしている。
追いかけてくる、といったものまであった。周辺の小中学生の他愛もない怪談話の類だったが、自分には心当たりがあった。
だから、思い切って母に尋ねた。
「なあ、昔一緒に遊んでた女の子と男の子おったやん。あの子らってどこ行ったん?おばあちゃんもおったの覚えてるねん。ザクロ食べさせてもらって美味しかってん」
母は、重い溜息と共にこういう話を聞かせてくれた。

「あの姉弟の父親か兄弟かわからないが、多額の借金を抱えていた。
その保証人に、あのおばあちゃんがなってた。
借金が返せなくなって、夜逃げ同然で引っ越していった。
後に残されたおばあちゃんに、借金取りが押し掛けた。
それがあまりにもひどくて、最期にはおばあちゃん世を恨んで恨んで恨みぬいて死んでったんよ。
だから、あんたも思い出した時には手を合わせーな」

これを聞いて、老婆の噂話に合点がいった。私自身は彼女を見たことはないが、妙に腑に落ちたのだ。
だが、老婆の噂話は長くは続かず、いつの間にか風化し、気づけばその駐車場も荒れ果てて更地になって今に至る。
今では、何人も入らないよう、アスファルトで舗装され、フェンスが設けられている。まるで忌み地のようだな、と思うことがある。

ザクロを食べるたびに、姉弟のことやおばあちゃんのことを思い出して今でも切なくなる。

ところで、最近になって母に聞いたことがある。
そのおばあちゃんは亡くなる寸前まで、奇行が噂になっていたという。


※この話は、昨年のオープンマイクイベント『怪奇も過ぎれば毒になる』で「取り留めもない話」として話したところ、佐伯つばささんに「取り留めなくないです」と言われたのが印象深い。


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