明けない夜を待つ
※2021/1/6 文字数を3000文字以下にするため編集しました。
1
私は画面から目を離し、顔を少し上げて目を瞑り息を吐いた。
(死神−タナトスの誘惑とはどれほどのものなのだろう)
その年のヒットチャートを駆け上がった曲は私も幾度となく聴いた。
「小説から音楽を作る」という今までに無いような手法で、そのメロディ・リズム・アレンジ、なにより魅力的な歌声に惹かれた。
原作の小説の存在を知ってはいたが、なんとはなしに読んでいなかったが、
一発撮りだというその動画の表現の素晴らしさに、小説を読まないという選択肢はなくなった。
そしてスマートフォンでその小説を読み終わったところだった。
2
私は今まで「死」というものに魅力を感じたことは一度もない。
私の高校の同級生の親ががんで他界している。
その子は勉強もでき、他人に分け隔てなく接する朗らかな子だった。
親ががんで死の間際にあるなんてことは微塵も感じさせなかった。
通夜・葬儀で虚空を見つめ身動ぎもしないその子の後ろ姿を覚えている。
クラスは違ったが、その子と私は何故か気が合って
図書室やお互いの家で一緒に勉強するようなっていた。
外に遊びに行ったことは無かったかもしれない。
お互い片親で家に帰っても一人だったこと、
住んでいるところが近かったこと、
何か居心地がよく気を張るようなこともなかったので
自然に一緒にいた。
母親は朝から夜まで仕事詰めで
顔が浮腫んだり顔色が悪かったりするのをみて
その子は母親の体調を心配していたが、何も言わなかった。
その子は地元国立の医学部を目指していた。
話をしたり、一緒にいるうちに
私は影響を受けて一緒に勉強をしたり本を読んだりして、それなりの成績を安定して取れるようになっていた。
3
そんな高校三年生の春。
その子の母親が救急車で入院した。
職場で倒れて病院へ運ばれたらしい。
その子は学校での口数が極端に減り、あの朗らかな笑顔が消えた。
母親が倒れる少し前、母親の様子が尋常ではない、不安だと言葉少なに私に話していた矢先だ。
病院に運ばれた時には既に昏睡状態だったそうだ。
そして数日後、その子の母親は息を引き取った。
私はその知らせをいつものお互いの部屋ではなくメッセージで知った。
とても遠くの知らない人の出来事のようだった。
その後、通夜・葬儀での噂話から、
その子の母親は何年も前からがんの闘病をしていたらしかったことを聞いた。夜勤だと言って一泊の入院で抗がん剤治療を受け何事もなかったように子供の待つ部屋へ帰る。
母親の体調不良や様子の変化に「何かある」と感じていたものの、直接聞いて得体のしれない話が飛び出すかもしれない、できれば何もなかったことにしたい、知りたくない気持ちの中で揺れていたのかもしれない。
母親の病気について何も聞いていないとその子は言っていた。
その子の母親はたった一人の家族の子供に、最期に1円でも多く残したいといっていたらしい。
その後その子がどうなったかはわからない。
その子は遠縁の親戚に引き取られたそうだ。
メッセージのやり取りも途切れてしまった。
4
死神-タナトス…
死神-タナトスには眠りの神-ヒュプノスという兄弟がいるらしい。
ヒュプノスが持つ枝で頬を撫でられればすぅっと眠りが訪れるという。
その深い眠りから死へ導くこともあるそうだ。
眠りの神-ヒュプノスもまた死神なのか…
もし死神がいたならば、その子の母親は眠りの神-ヒュプノスが最期に穏やかな眠りをもたらしたと信じたい。
穏やかな深い眠りとともに親子が静かな時間を過ごしたと信じたい。
願わくば
その子がタナトスの姿にもヒュプノスの姿にも気が付かなければいい。
あの子に朝が来ますように。
あの子の後ろ姿を思い出しながら願うのだった。
あの子は今、どこで何をしているのだろう。
5
身体の痛みに目が覚めゆっくりと体の向きを変えた。
冷えきった床の上。
玄関から入って直ぐの居間にいた。
真っ暗な部屋の窓の外に灯りが見える。
まだ真夜中ではないらしい。
冬の夕暮れ時はわずかですぐに暗闇が世界を覆う。
仕事から帰る時には既に暗くなっていた。
さほど遅くならないうちに家路についたはずだ。
いつ玄関を通り抜けたのかも記憶にない。
家についてすぐに居間で横になったらしい。
どうりで身体が痛いわけだ。
目覚めてすぐだからなのか、頭がぼーっとする。
部屋の窓から見える他所の家の窓灯りを眺めた。
3月のその日、仕事が契約期間満了になった。
契約社員で3年間働いた職場を契約満了で終業した。
職場の名前を連絡先に書けば良いところにお努めですねなんて言われることもあったが結局は契約社員だ。安月給にサービス残業、おまけにボーナスなし。
そんな実態は世間一般では知られていないらしい。
さぞお給料もいいんでしょうなんていう下世話な人へは適当にヘラヘラ笑いながら相槌を打っていた。
いわゆる有名国立大学で院まで進んだが、それが間違いだったのか。
自分は関わりたい研究があったのだ。だから院へ進んだんだ。
だけれど、自分は競争に勝ち続けるには優秀でもなく強くもないただの凡人で、結局は有期雇用の契約社員だった。
「もっと頑張れば」
「もっと違う職場なら」
耳が痛いほどその言葉を浴びた。
そうかもしれないと思ったこともある。
でも現実は日々の仕事に追われ、次のこと、将来のことに目を向ける余裕もなく、いつ最後に食事をしたのかすらわからない。いつ最後にちゃんと寝たかも定かではない。
少しの空き時間を縫ってシャワーを浴び、栄養ドリンクや栄養剤をちびちび飲みながら、ひたすら仕事に没頭する日々だった。
契約社員で、途中で関わることができなくなった研究にクレジットが載ることはないだろう。
貢献できていたと胸を張っていいのかもわからない。
ただ、自分も一緒に研究してこその成果だったと思いたい。
6
小説を読み終えて、どうしてかあの子とその母親のことを思い出した。
あの子はどうしているだろうか。
あの母子を失うまでの日常がありふれた幸せの中にいると思っていた自分、あの頃の幸せだった世界がとても懐かしい。
思い出してそっと笑顔になる自分がいる。
夢の中でその頃の幸せな時間を見ていたい。
外の灯りをぼんやりと眺めながらそんなことを思い
私は静かに目を閉じた。
眠りの神-ヒュプノスに誘われるように。
(完)
✱ ✱ ✱ ✱ ✱ ✱ ✱ ✱ ✱ ✱ ✱ ✱ ✱ ✱
(星野舞夜 著 「タナトスの誘惑」、YOASOBI「夜に駆ける」から構想を得て執筆しました。素敵な作品をありがとうございます。)
※2021/1/6 文字数を3000文字以下にするため編集しました。
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