巣に戻って必要のないものに気づく時間
今はあるプロジェクトのツアー中で、ホテル住まいだし、劇場まで、毎日バスが出るし、いろんなものが用意されている。
うっかり、「no cleaning」のスイッチを押し忘れると、朝から掃除のおばちゃんがドアをドン・ドン・ドン・「ニーハオ!!!」の音で目が覚める羽目になる。
昨日はたまたま早く起きれたので、「Cleaning please」スイッチをオンにして部屋をでた。
綺麗になった部屋は、嬉しいものだ。
おばちゃんが入ってくるから、綺麗にして整えて出ていったしね。
ただ、部屋が綺麗になり、なんとなく空間が整った反面、何日分かの新しいシャンプー、リンスー、ソープが、ドバッと置かれていて、実際まだ一本も使い終わっておらず、要らないのになぁ…と、ショックだった。
確かに、毎日分の宿泊代がかかっているし、もらうのが普通なんだろうし、私も数年前までは、ホテルのアメニティーを持って帰るのって密かな楽しみだったのだけれど、「新しいアメニティー必要ありません」と言わなかった自分を反省して、なんだかぁ資本社会的な合理性に悲しくなった。。。
そして、休みの今日は、ひたすら友達と話をする1日であった。
今、こうして「だれかに用意されたもの」によって、生活を営んでいると、「これは自分にとって大切なもの」へのセンサーが薄くなっている瞬間に気づく時がある。
今日は、ふと我にかえる瞬間が何度もあり、「今を生きる」ことと、アーティストとして自分が大事にしている「はず」のものを、なんとなくダラダラ考え、同時に、「自分にとって必要のないもの」がわりと今の生活から見えることを実感していた。
あるけれど、持っているけれど、別に必要がないな…と、なんとなく考えてた自分に必要のないものリストを挙げる。
・キャミソール (タンクトップの方が好き)
・おしゃれなバッグ (今のところ私の人生に必要なシーンがほぼない)
・人工的なシャンプーリンス(究極、石鹸だけあって、身体にいいもの食べてたらいらん、笑)
・テレビ (ホテル生活2ヶ月経ったけど、結局一度もテレビのスイッチをonにしてない)
・過剰な電気(ホテル室内に電気のスイッチありすぎ、豆電球一個の色が一番好き)
・未来への不安 (元々あまりないけど、世界見たら色んな生き方していいこと肯定されてる気分)
夢にも思わなかったホテル生活を今していることで、見えてくるものを言葉に残してておこうと思った。
この数年間の旅生活で、必然的にミニマリストになってきつつあるが、その中でも、私が生きる上で必要な大事なものを次々回ぐらいに、挙げてみようかと思う。