記憶のアルバム
母からLINEが来た。
普段なら元気にしているか?などと正直、子供としてはウンザリするような内容であることが常なのだが、その文面が母親から来たことにビックリした。
『大学時代にお世話になった○○先生がNHKのテレビに出てるよ』
よく覚えていたなと関心した。大学を卒業してからもう10年近い。
その○○先生というのは私の学生時代の指導教官ではない。卒業研究で必要なデータを提供していただいた人である。なので、私自身も1度しかお会いしたことはない。
私も普段なら「元気か?」というメッセージには「元気だよ」と素っ気なく返していたが、つい私も懐かしさからつい踏み込んでしまった。
「懐かしいね。その先生、今はXX大学にいるんよね」
『そうみたい。母さん、意味わからないけど卒業論文見てたよ』
卒業論文とは言うものの私は決して優秀な生徒ではなかった。優秀どころか私の場合は、文字通りの落第生だった。周りは圧倒的に自分より専門分野に明るくそして何より専門分野に対して深い関心があった。就職率が良いから・食い扶持に困らなさそうだからという理由だけで選んだ自分とは全くモチベーションが違った。そんな心意気で勉強してもなかなかうまくいかないものだ。本来なら、それに食らいつこうと努力すれば良かったのだが、そうできるほど自分を律することはできなかった。
これでよいのかと自問自答した結果、良い方向に進めば良かったものの半ば自分自身を諦観してしまった。身も蓋もない言い方をするのなら、軽い引きこもりみたいになった時期があったのだ。そのため4年間では卒業できなかった。母親には下宿先から半ばベソをかきながら電話したこともあった。
ただ、人との出会いは不思議なもので当時の指導教官と出会ってから、トントン拍子でうまくいって、無事卒業できて今の私がいる。
過去の話はさておいて、母親とのやりとりに戻りたい。
卒業写真を見返すというのはよく聞くフレーズだが、卒業論文を見返すというのは私は、聞いたことがない。
だが、母親としては自分の息子の意味の分からない卒業論文が懐かしく、そして誇らしいのだろう。NHKに出た有名な先生と一緒に研究していたという理解になっているのかもしれない。
もしそういう解釈であるとすれば突っ込みどころはあるのだが、そんな野暮なことはしないでおこうと思う。
只々、私としては10年も前の出来事を自分のことのように覚えていてくれたことが嬉しくなった。
自分の過去であっても、記憶は年月がたつと色褪せてしまう。それを私以上に大事に記憶のアルバムに母は保管してくれてたんだ。
めっきり実家には帰っていないが、そろそろ顔を見せに行こうと思った。
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