学ぶって(以下略)
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作ってしまった‘にがて’
今、'不定積分'だったり、’漸化式’と言われたとしてもその公式然りどんな問題が出されていたかすら微塵も記憶に残っていないのだから、それは素晴らしい大学生活を謳歌していたのだろうと思う。
しかし、その数年前まではそれらを一応として脳ミソに叩き込んでいたのだ。それは、大学入試の終了で殆ど吹き飛んでしまっていたが。正直、高校二年の中頃で私は悟ってしまっていた。
ーこれ、分からんヤツや。
別に怠慢でも何でもなく、主に理数の科目の内容や公式が、頭で理解しようとすればするほどに難解で億劫なものになっていた。それらは、私にとってはただの記号にしか見えなかった。
高3になり、度重なる模試による疲れもあったのだろうが、私は自分の頭で理解できること以外の設問を解くという意志を持つことが出来なくなっていた。模試で芳しくない点数を取る度教師に何か言われたが、分からないんだもん、と内心ずっと不貞腐れていた。
―――後は言うまでもなく、センターで失敗し、第何志望でもない私立へ。
この時、何もかもやけくそになっていて、学ぶことの楽しさを完全に失っていたのである。大学すら、行って意味ある?と疑うほどで、惰性的な日々を過ごしていた。
日々、惰性
・受かったから入っただけだった大学の授業はホンマにつまらなかった。
それは、その内容を理解できないからではなく、どれも既視感のある授業の応酬で、学ぶ価値を正直見いだすことが出来なかったからである。
学校へ行けば、心が活きてくるような、知ってよかったと思えるような物をずっと学ばせてくれるものだと思っていた。
けど、蓋を開けてみれば、‘これまでの人達が学んできたから、入試に必要だから′という理由だけで将来何も役に立ちそうのない内容を一方的に押し付けてきているだけのように見えた。
事実、漸化式なんて何の役にも立ってない。無意味なことを学ばされて、無駄な時間を費やした。それだけだ。
思うように勉強が上手く行かず落ち込んでいた私だったが、それからは視点を切り替えようと思った。
学ばされるのではなくて、自発的に学びたいと思ったものこそが真の学びなのではないか、と私は考えた。
それから、私が学んで真剣に考えていきたいことは一体何なのだろうと辿り着いたのが’哲学’というものであった。幸いにも学部内でそれを学べるコースがあり、そこから私の本当の′学び’が始まった。過去の勉強という枠を捨て、違うステージに立つことで私の学生生活は変わった。より充実したものになった。哲学について考える機会をくれた教授には本当に感謝しかない。
さいごに
今、学ぶことが全然楽しくない、全くやる気が湧いてこないという人は、一度真っ新な思考を持って考え直してみてほしい。
ー貴方が本当に学びたいことは何なのか?
ー本当にそれは貴方の役に立つのか?
他人から押し付けられたものは、糧になんてならない。自分で掴み取ってこそ、それは未来を切り拓く道標となる。
勉強は、古い慣習めいたモノから絶対に変わるべきであるし、もっと伸展自由なもので。
それはまた、次の話。