『流行り』だからじゃない。
昔からキレイで可愛いモノが大好き。
高校生の時、ネイルアートが流行り始め
爪に自分の世界観を表現でき、そしてまわりに自己表現できるなんて、なんて素晴らしいの!!と、ネイルアートの世界に魅了されのめり込んでいった。
どうしてもネイルの学校に行きたくて、高校に通いながら、年齢を二歳サバ読みしてキャバクラで働き、稼いだお金で代官山のネイリストの通信制の学校に通いネイルの勉強を始めた。
スクーリングもあり、わくわくしていた。
ネイルの世界が楽しくて高校時代に、フルオーダーのつけ爪販売を始めた。
12枚1300円で販売し、原価は100円かからない程度で、ほとんどが技術料だった。
ピアノを3歳から始め、当時もピアノを三時間以上毎日弾く生活をしていたので
爪を長くしたことがなかったわたしは
つけ爪という世界を知って、毎日つけ爪にアートをするという行為が刺激的で、楽しくて仕方なかった。
そして、わたしの作ったつけづめは、思いの外、売れはじめた
月の販売数はだいたい20セット合計26000円。
ひとりひとり、好みを聞いてそのコンセプトに沿ってわたしがデザインして製作するので結構大変な作業だった。20セット販売すると月にわたしは240枚のつけづめにアートしていることになる。
当時は、今では当たり前になったLEDライトで硬化させる『ジェル』というものがなく、(まぁ、LEDもまだない時代w)
女子高生だった当時、同級生がみんな休みの日、派手なギャルメイクとファッショで、はしゃいで遊びまくっている時
一人暮らしの部屋で
ひとりで黙々と内職のようにつけづめにネイルアートをし2台扇風機を『強』に設定して、窓全開でアートしたつけづめを乾かしていた。
作業中遊びにきた友達に、よくその光景を笑われた。真冬に窓全開で扇風機w
平日は、学校帰りみんな日サロへ焼きに行くのが日課で
わたしは自転車で直帰し、すぐに着替えてヘアメイクへ行きキャバクラに出勤し、夜中の三時まで働き、自転車で直帰。お風呂入ってすぐ寝てお弁当つくり学校へ通っていた。
目まぐるしいほど忙しかった。
今書きながら、忙しかったなぁと感心してたが、今現在のわたしの生活もそこまで体力的にはきつくはないが
36歳になった現在。仕事を今4つ掛け持ちし、そして大学にも通っている。
なかなかハードである。
なんでいつも、やりたいことが複数なのかな?と、たまに立ちどまる。
数ヶ月パタッと、今までしていたことをなにもしなくなる時期が数年に一度ある。(その時、また新しいことをしていたりするが。笑)
だから、無限に続くんだとおもう。
なにかを切り捨ててもまた新しいこと。
そして、切り捨てたモノがまた復活したりする。
昔から
わたしは、流行っているからやりたいんじゃなくて、自分がやりたいからやっている。
今でもその思想に変わりはなく、やりたいと思うことをやっている。
可愛いモノをつくりたい!!
というその信念は昔から変わらないわたしの原動力になるモノで、
インスタ映えするからつくりたい!とか
そんなんじゃない。
可愛いからばえるんであって
インスタ映えするものをつくるわけじゃないんだ。
先日、可愛いモノをつくりたいと発言したことに対し、他の男性経営者のひとから、インスタ映えなんて流行りだからと言われたことが内心カチンときた。
可愛いモノにこだわって今までずっと形にしてきた。職種は多岐にわたるが、共通するモノは
『可愛い』と、わたしが思うモノをカタチにする仕事。可愛いにこだわりビジネスとしてやってきたこの20年。
これまでのビジネスモデルを自分の人生を振り返りながら書いてゆきます。