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【短編小説】石狩あいロード 3/4【Illustration by Koji】
短編小説「石狩あいロード」の第3話です。
この短編小説はKojiさんとのコラボ企画の作品です。
幸野つみが小説を書き、それに対してKojiさんにイラストを描いていただきました。
全4話。第3話は約5000字。全体で約20000字。
それでは第3話をお楽しみください。
物語は転がっていきます。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
石狩あいロード 第3話
小説:幸野つみ × イラスト:Koji
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
石狩川を超えると更に建物は数を減らした。巨大な駐車場か、畑か、あるいはただの空き地か。視界を遮るビルもなければ、山もなければ丘もない。坂の街である小樽で育った私にとって、それは見慣れない異世界だった。
時速六十キロを超えるスピードで通り過ぎていく景色は、目で見てから脳で理解されるまでに溶けていき、私の頭の中はぐちゃぐちゃになった。
今日の朝、顔を洗おうと鏡の前に立った時の、出しっ放しの水のように、記憶が次々に流れ出ては詰まりかけた排水口に向かって渦を巻いた。
色とりどりの地層。お揃いのキーホルダー。誰かの笑い声。机の木目。今朝家を出る時に、鏡に映った自分の顔。
しばらくすると、無防備な腕や足にぽつり、ぽつりと雨が当たるのを感じるようになった。
降ってきたか、と呟くハルコの声がやけに遠くに聞こえる。
見上げると、いつの間にか暗い雲が空に立ち込めていた。
フルフェイスのヘルメットも濡れ始め、目の前を雨粒が伝っていく。
私はぼやけていく視界の中にとある看板を見つけた。
「望来……」
その文字は私にとって夏休みの幸福な時間の記憶を呼び覚ますものであり、なおかつ、今の私の心を掻き乱すものだった。
「何?」
赤信号でバイクが止まってハルコが振り返る。
「……何でも、ないです」
「何? どうしたの?」
ハルコの勢いに負け、私は無言で看板を指差す。
「この辺りの地名? ……ボウ……ライ?」
「……モウライ、です」
私が大きな声で言わなかったのでうまく聞き取れなかったようだが、ちょっと考えてからハルコは頷いた。
「モウライね。本望のモウか。やっぱり北海道の地名は不思議な名前が多いね。これは有名な地名なの?」
私は少し迷った後、何も言わず首を横に振った。
信号が青になり再びバイクが発進すると、雨脚が強まったのか、それとも高速で移動しているためなのか、今まで以上に激しく雨が体に打ち付けた。
雨は刻一刻と激しくなった。
雨がヘルメットを打つ音が、バイクの音以上にうるさく感じた。
制服はすでにびしょ濡れになり、体に張り付いてきて不快な上に酷く冷たく、私の体温を奪っていった。
バイクは海沿いを離れ、丘を登っていく。
急に雷鳴が轟き、思わずハルコを抱く力が強まる。
一瞬世界が真っ白になり、私は小さく悲鳴を上げた。
バイクの速度が緩まり、道路の端に停車する。
「ひどい雨だね。通り雨だとは思うけど……大丈夫?」
ハルコはフルフェイスのシールドを上げて私の顔を覗き込んだ。
「……」
私はその優しい瞳にすがるように本音を漏らした。
「え? 何?」
私は降りしきる雨の中でヘルメットを乱暴に外した。
「……大丈夫じゃ、ないよ」
雨音の中でその声はうずもれたはずだが、やけにはっきりと自分の耳に残った。
ハルコは少し驚いた顔をしたものの、すぐにぎゅっと口を結んで私の方をまっすぐに見つめた。
私の髪の毛はあっという間にずぶ濡れになり質量を増した。
私は自分を抱くように腕を組んでうなだれた。
「……ハルコさん、ごめんなさい、私……お腹、痛い……」
「え。マジか。腹痛いの?」
その時、またもや龍が吠えたような音が響いた。
「ルナ。まだ今なら戻れる。小樽まで引き返そう」
もう帰りたい!
心の中で誰かが叫ぶ。
「帰りたくない!」
私は雨の中で叫んだ。
「……ハルコさんまで、私を除け者にしないでよ……!」
ハルコの溜息が雨に吸い込まれる。
私は顔を濡らす雨を拭うこともせず、水浸しのアスファルトにいくつもの雨粒が降り注ぎ弾ける様を力なく見つめていた。
長い沈黙の後、ハルコはこう言った。
「近くに雨宿りできそうな場所がある。あそこで休もう」
ハルコに連れられて辿り着いたその建物は雨に霞み幻のようだった。まるで西洋風のお城みたいな見た目だが、それにしてはこじんまりとしている。森の木々に隠れているようでいながら、自己主張が激しい。そんな違和感に私の頭はくらくらとした。
「ここって……」
ハルコはジャケットを脱いで私の肩に掛けた。
「制服じゃ入れないから。このジャケットで隠しておいて」
瞬く間に水を吸っていくハルコの白いTシャツと、露わになった彼女の肌色に水が滴る様を私は見ていた。
『体で払ってよ』
先程のハルコの声が脳内で再生される。私は固唾を呑んだ。
ハルコはバイクを軒下へと移動し、うしろに積まれた荷物を取り外してそれを背負った。
ハルコに続いて建物へと入ると古い建物の匂いがした。ほの暗いロビーの中で歩を進めると、その度に床に水溜まりができていくのが申し訳なかった。
受付をしていたのはおばさん、というよりはおばあさんだった。
「女性二人?」
いぶかしそうに老眼鏡を下げてこちらを上から下まで観察してくる。
私はジャケットの裾を伸ばしてブラウスを隠しながら、自らもハルコのうしろで小さくなって隠れた。
「はい」
ハルコは私とは正反対で堂々としており、冷静な口調で言い切った。
「バイクで旅行していたのですが急に豪雨になりました。少し休ませてください」
それを聞くとおばあさんは視線を手元の書類に落として、「風邪ひかないようにね」と小さく呟いて部屋の鍵を渡してくれた。
「濡れた服、脱いじゃいな」
部屋に着くなりハルコにそう言われ、私はかじかんだ手で制服のボタンを外していった。
部屋は広く、ベッドも広いが、外観に比べると落ち着いた雰囲気だ。
「シャワー、先に浴びてきて」
ハルコは勢いよくTシャツを脱ぐ。
私はハルコの胸元のほくろを見つめた。
「抱いて」
そっとハルコに歩み寄る。髪の毛からまた一滴雫が落ちた。
「え?」
「抱いてください」
私はブラウスを脱ぎ捨てて彼女の胸に頬を当てるようにして寄りかかり、そしてそのまま彼女をベッドへと押し倒した。
部屋に彼女の短い悲鳴が響いた。
彼女の体温が熱い。
彼女を抱き締めると、また、もう大丈夫、そんな気がした。
「……抱いてくれ、って女子高生がそんな言葉、男じゃなくてもドキっとするね。でも生憎アタシにはイチモツがついてないからさ……」
「……欲しい」
「え?」
私も、ハルコと同じように、私自身の声に驚いていた。
「味方が、欲しいよお!」
ハルコの胸に雫が落ちた。
それはどうやら雨ではない。
私の涙だった。
「嫌わないで! ごめんなさい! ハルコさんは、私のこと、嫌わないで、ください……!」
ハルコは私の背中にそっと手を回した。
私の手はハルコのように優しくはなってくれなかった。ハルコの体にしがみ付くように、よじ登るように、彼女の二の腕を握り、彼女の体を締め付けた。
「ごめん、なさい……」
何も言わないハルコに、私は謝り続けた。
まるで頭の中にも土砂降りの雨が降っているかのようで、思考は輪郭を失った。
「……嫌いになんてならないよ。アタシはルナの味方だよ」
私は喉が痛くなる程に叫んだ。叫んで、喚いて、鳴いて、泣いた。息を吸う間もない程に、溢れ出る感情を嗚咽と涙に変えて垂れ流した。
曇りガラスの窓の外から聞こえる雷雨の音が、更に激しさを増した気がした。
涙が涸れても泣いて、声が嗄れても泣いた。そして私が泣き疲れて大人しくなったのを見計らって、ハルコはベッドから立ち上がろうとした。私は母にすがる幼子のように彼女の手首を掴んで引き留めた。
「痛み止め、持ってきてあげる」
彼女は柔らかく微笑んで、反対の手で私の頭をぽんぽんと叩いた。
彼女は自分の荷物の中から薬を一錠、それから私のリュックサックの中から飲み物を持ってきて私に差し出した。
「お飲みなさい」
劇中の台詞のような彼女の古臭い喋り方が、好きだ、と私はぼんやり思った。
私が薬を飲んだのを見届けると、「いい子だ」と言って彼女はすぐにベッドへと戻り、そして私を抱き締めて頭を撫でた。
「化石……」
ハルコは私に何も聞かず背中を優しくとんとんと叩いていたが、しばらくして私は話し始めた。
「化石?」
私は彼女の腕の中でこくりと頷いた。
「このまま、化石になるまで抱き合っていようか」
「嘘。ハルコさん、それは嘘です」
私がそう言うと、「嘘じゃなくて、冗談だよ」と答えた。顔は見えないが、小さく笑う吐息が聞こえた。
私は一度深呼吸してから、言葉を紡いだ。
「私も、嘘ついていました」
ハルコは変わらぬペースで背中を叩く。
「夏休み最後の思い出、って言われて、そうです、って答えたけど、夏休みじゃないんです、もう、今は」
ハルコは黙っている。
「北海道の夏休みは、本州より短いから。始業式は昨日。今日はもう普通に登校する日です。……でも……私、制服着てたし、リュックの中の教科書もさっき見たでしょ? ハルコさん、とっくに気付いてましたよね?」
ハルコは何も言わず、頭を撫でた。
「昨日、みんなが夏休みの思い出を自慢し合っていたんです。東京の遊園地に行ったとか、フェスに行ったとか、部活の合宿があったとか。同じ映画の話題で盛り上がって、同じ音楽について語り合って、お揃いのキーホルダーを鞄に付けて。
私は夏休み、クラスメイトとは遊びませんでした。流行りの映画も見ていないし、音楽のこともよくわかりません。
夏期講習には通いました。家のお手伝いもしました。お祖母ちゃんとお墓参りにも行きました。でも、お祭りの日も、花火の日も、私は一人で自分の部屋に籠っていたんです。
それで、ずっと、ずっと、化石について調べていたんです」
ハルコはそこで手を止めてもう一度「化石?」と聞き返してきた。
「好きなんです、私、化石が。……おかしいでしょ」
私は彼女の顔を窺おうと頭を動かしたが、彼女が再び私の頭を撫で始めたので止めた。
「……おかしいんです。親にだって、気味悪がられちゃって。
今まで優等生で、友達と遊んで、中学校では部活に励んで、勉強だって、親の期待する成績を残してきました。
でも、高校に入って、資料集に載っていた化石に一目惚れして、そこから私、おかしいんです。クラスメイトが騒いでいることには興味が出ないのに、化石のことは調べれば調べる程惹き込まれていって。
……でも、誰かにわかってもらいたくて。『ルナちゃんは夏休みの間、何してたの?』ってクラスメイトに聞かれた時に、私、言っちゃったんです。
ずっと化石について調べてたんだ、って。
そしたら、教室が一瞬ざわついて、静かになって、そしてまたざわつき始めて。みんな、私のことを変質者でも見るような目で見てきて。
私はただ笑顔を張り付けたまま、机の木目と、上靴の汚れを見つめていました。
その時、『きも』って声が聞こえてきて。
……怖くて見れなかったけど、その声、たぶん、私が好きだった男の子の声だったんです」
「嘘……」
ハルコの声が、いつもより少し頼りなかった。
「嘘か冗談だったらよかったんですけど……私、告白してもいないのに、フラれちゃったんです。おかしい、ですよね……」
涙が滲んで、私は再び嗚咽を漏らした。ハルコはぎゅっと私を抱き締めた。
「……友情だとか、恋愛だとか、もうわけわかんなく、なっちゃって。最初はただただ悲しかった……でもそのうちクラスメイトや彼に対して怒りが湧いてきて、この世界が憎くなって、そして自分のことが大嫌いになった……最終的には何もかもどうでもよくなった。
……その日は、なんとか、笑顔を保ててたんだけど……今日、朝になって、お母さんに、起こされて、鏡の前に立ってみたけど……頑張っても、頑張っても、ダメなんです。私、笑えなくなっちゃってたんです。
自分の顔が自分の顔じゃないみたいに不気味で気持ち悪くて……自分の顔を、ぐちゃぐちゃに、壊したくて……消してしまいたくて……でも、できなくて!」
ハルコを抱く腕に力が入る。
「いつも通り家は出たんだけど……こんな顔クラスメイトに見せられないなぁ……って……そう思って……初めて学校サボっちゃった」
私の顔はまさに今、ぐちゃぐちゃになっていると思う。私はその顔をハルコの胸に無造作に押し付けた。
「かわいいね」
ハルコは私の髪の毛をぐしゃぐしゃ掻き回した。
「何それ。なんでそうなるの……?」
「かわいいよ。ルナは。とっても魅力的。出会った時のナイフみたいな目も、その泣き顔もね。傷だらけの心も、愛しくなる。アタシ、化石が好きだなんて憧れちゃうな。アタシはそんなルナのこと、好きだよ?」
私はその言葉を聞いて、また泣いて、泣いて、泣いた。
部屋に響く雨音は、時間をかけて遠ざかって行った。
Illustration by Koji
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
最終話に続きます。
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