Kojiについて
僕が小説を書き、それに対してKojiさんがイラストを描くコラボ作品「石狩あいロード」のあとがきに代えて、Kojiさんに対する想いを書きたいと思います。
※作品のネタバレを含みますが、御了承していただけるのであればこちらから読んでいただいても、こちらだけ読んでいただいても構いません。
本編はこちら↓
~Kojiは男でした~
Kojiは男でした。
嘘です。
Kojiのことを僕は最初男だと思っていました。
「コラボしたいです」と最初にもらったコメントには「僕」とか「私」とか一人称は出てこなかったのです。
出会った時、Kojiのアイコンは今みたいな本人の写真ではなく、イラストだったのです。
更にアカウント名は今みたいにかっこ書きでコジとふりがなが書いていませんでした。
僕は突然コメントしてきた「Koji」という人物を「コージくん」だと思い込んだのです。
しばらくして投稿された記事に、「最近ドライフルーツづくりにハマっている」と書かれており、僕は「随分とかわいらしい趣味をお持ちなんだなぁ」と思いました。
コラボをすることになってKojiから送られてきたメールには、アドレスのところに本名が表示されてしまっていました。(そういう設定だったんですね)
「本名出ちゃってますよ」「ていうか女性だったんですね」「すみません男だと思ってました」
なんとなく言い出すことができないまま、やりとりを続けました……。
これは余談。
~コンプレックス~
僕はKojiに対してコンプレックスを抱いています。
コンプレックス。
この言葉、ポジティブなイメージでしょうか、それともネガティブなイメージでしょうか。
「自分のコンプレックスは○○です」
日本語でこのように使う場合、「コンプレックス」の意味は「嫌いなところ」というようなネガティブな意味になると思います。
「マザコン」
「マザーコンプレックス」のことですが、日常会話で「マザコン」と使う時、「母親を好きな人」というような意味で使われると思います。
嫌いなんでしょうか。好きなんでしょうか。
「complex」
心理学や精神医学ではなく、単純な英単語の日本語訳としては、「複雑な」という形容詞、あるいは、「複合体」という名詞です。
小説「石狩あいロード」の中でルナが感じていた「感情の集合体」も、「コンプレックス」といえるかもしれません。
僕がKojiに対して抱いていた複雑な想い、「感情の集合体」について書いていきたいと思います。
◆4月の始め 馬鹿◆
僕は今年の3月4日にnoteを始めました。
そして、まだまだ初心者にも関わらず、無謀にも、1ヶ月後の4月4日、「小説とコラボしませんか!?」という記事を投稿しました。
結果的に実現が10月になったりしている時点で、自分の力量を理解していない無鉄砲な企画だったことがわかります。
翌日4月5日。
そんな恐れ知らずの企画に「参加したいです」と名乗りをあげたのがKojiでした。
「4月3日に投稿を始めました」と書いてありました。
「イラストを描きながら短編小説を投稿している」と書いてありました。
イラストはたしか4月5日時点ではほとんど投稿されていなかったはずです。
「やる気と自分の作品に全てをかける気持ちだけは十分あります!」と書いてありました。
無謀で、無鉄砲で、恐れ知らずな人でした。
「小説とイラストでコラボしませんか?」と呼びかけた時のイメージは、マンガを描く人にはキャラクターを描いてもらったり、あるいは、写実的な絵を描く人には北海道の風景を緻密に描写してもらったり、といったものでした。
しかしKojiが描くのは、抽象画。正直、予想外でした。
そんな人からの申し込みを受ける方もおかしいかもしれませんが……
無謀な二人がコラボすることが、決まりました。
内心「こいつ大丈夫なのか?」と思いつつも、「面白い奴だな」と思いました。
正直、心のどこかで自分が先輩なんだと驕っていた気がします。
あえてひどい言い方をするならば、Kojiのことを見下すことで安心感を得て、コラボ相手として頼られていることで優越感に浸っていたのです。
Kojiのことを後輩のようにかわいく思っていました。
これが、Kojiに対するコンプレックスの一部分。
◆4月の終わり 狂恋◆
最初は、Kojiの魅力に対して半信半疑でした。
今でこそ素敵な作品を作る方々がインターネットの世界にたくさんいることを実感していますが、当時noteを始めたばかりの僕は、「偶然コラボを申し込んできた人」が自分にとって魅力的な作品を作る人だなんてそんな運命、信じていなかったのです。
しかし、投稿されていくKojiさんの小説「あいた口」やイラスト「地層」「にょきにょき」などを見ていくうちに僕はどんどんKojiのその独特な世界観に惹かれていったのです。
そして4月18日、僕が「コラボ相手決定!」という記事を書いた際。
Kojiと出会ってまだ2週間程度のその時すでに、僕はKojiの虜となっていたのです。
その記事に、Kojiさんのリンクを貼り「独特な世界観に今後ハマる人が続出すると思います」と紹介文を書いたのですが……本当は紹介なんてしたくなかったのを覚えています。
このままKojiのことを誰にも教えたくない。
僕だけが知っているダイヤの原石であってほしい。
Kojiの魅力を独占したい。
そんな風に思ったのです。
それくらい、Kojiの才能を確信していたともいえます。
魅力に引き込まれ過ぎた結果、まるで愛情が強過ぎるあまり女性を束縛してしまう男性のように、好意が溢れてきていたのです。
4月24日Kojiの小説「あいた口」の最終話が公開され、僕はnoteのコメント欄が500文字までであることを知りました。
その時までネットの世界で心の底から好きな作品に出合うなんて思っていなかった僕にとっての、いわば初恋の人。
これが、Kojiに対するコンプレックスの一部分。
◆5月・6月 嫉妬◆
多くの人が経験しているように、僕もnoteを続けていく上で、他の人との違いに悩んでいくことになりました。
「毎日更新をするべきか」「フォロワー数を気にするべきか」「ダッシュボードを気にするべきか」「一つの文章の長さは」「クオリティは」「自分の好きなことを書くか」「スキが増えてオススメに入りそうな内容にするか」
僕はゴールデンウィークに10日間noteの投稿をお休みしました。
そして5月上旬には、妻の妊娠がわかりました。それはとても嬉しい出来事でしたが、妻の体調が崩れました。もちろん妻の看病をすることや家庭を守ることが優先です。生活は一変し、その結果、noteの更新は止まりました。[5年後作家]などとほざきながらも、小説の執筆も止まり、3月19日以降小説を投稿していない状態となり、焦りが募りました。
少しでも心の負担を軽くするためにも、コラボ相手に謝って企画の中止をお願いしよう、と思う程でした。
一方Kojiの活動は順調に見えました。
もちろん彼女には彼女の闘いがあったと今では理解している、つもりでいます。(いま振り替えると当時の僕は彼女の小説ばかり読んで、彼女の近況が綴られたエッセイはスルーしてしまっていたのです。だから当時は彼女の闘いに気付けていなかったのかもしれません)
「月がふくらむ」「背仲」など連載小説の投稿を続けているだけで僕には輝いて見えました。
「小説もイラストも」「ブックカバーを売る」といった、無謀とも思われたその言葉を実行に移していました。魅力的なイラストを多数発表し、お店も段々と形になってきていました。
正直僕はKojiに嫉妬していました。
活動できる時間がある彼女が羨ましかったのです。
仕事をやめて好きなことで生きている彼女に対して、ずるい、と思ったのです。
夢を叶えたいというなら、僕もすぐさま仕事をやめてとにかく書いて発表してひたすら書いて出版社に持ち込んで。とも思いました。
しかし、僕にはすでに家庭がありました。しかも僕はその家庭が大好きでした。幸せな家庭を持つことも僕の夢でした。家庭の安定を手放すことは僕にはできませんでした。
書きたい。書かなきゃ。でも書けない。
繰り返し書きますが、彼女には彼女なりの大変さがあり、僕に対して「贅沢を言うな」と思う人がいるだろうし、彼女もまた僕に対して思うところはあるだろうことは、承知しています。
しかし、正直僕はKojiに嫉妬していました。
これが、Kojiに対するコンプレックスの一部分。
~7月上旬-1 畏敬~
どうにかこうにか僕はnoteを続け、7月1日に小説「ノート」を投稿しました。
当時、その投稿についたスキは16。
その時公開していた小説の中では最高の数字であり嬉しく思いながらも、一方で期待していたよりは数が伸びず寂しく思ったことを覚えています。
一方Kojiは、6月26日に公開された「背仲」の最終話において、有料のあとがきを購入する人が何人も現れ、更には「背仲」シリーズがnoteのオススメに選ばれました。当時僕の知り合いで実際にnoteのオススメに選ばれた人を見たのは初めてだったので、それは衝撃でした。
更に、7月3日に「ブックカバーは『世界』を守りたい」が公開され、そちらも大反響となりました。気にしなければいいのに、僕はそのスキの数をチェックしてしまいました。今まで自分がもらったことがない程のスキを、Kojiはもらっていました。愚かなことに、僕はそのKojiの数字と自分の小説の16という数字を単純に比較してしまったのです。
多くのファンが彼女についていることも感じました。彼女の絵に惚れ込んでいる人達が大勢いるんだと知りました。もう「僕だけのKoji」ではなくなったと感じました。もちろん、最初から「僕だけのKoji」ではないのですが。
追い抜かれた、というショックもありましたが、そこで僕は「諦め」を感じました。
Kojiはすごい。
僕よりも圧倒的にすごいんだ。
そう感じました。
「背仲」のコメントに僕は「あっという間に遠くにいってしまうんじゃないかと思って、すでに寂しく感じています」と書いています。
背仲のあとがきには「今後文芸賞用の作品を執筆する」と書かれており、僕は「僕より下であってほしい」という馬鹿な考えや、「僕だけが知っている存在であってほしい」という狂った愛情を捨て、「僕に構わずどこまでも自由に飛んで行ってくれ」と願うようになりました。
Kojiとコメントなどでやりとりをする上で、呑み込んでしまったけど本当は伝えたかった言葉があります。
「四月とは状況が変わってしまいましたね」「僕よりももっとKojiさんとコラボするのにふさわしい人がたくさんいますよ」「Kojiさんとコラボしたいっていう人に僕が恨まれちゃいます」「もう僕の事は忘れてください」「文芸賞に集中してください」
尊敬するKojiとコラボするなんて畏れ多い。
これが、Kojiに対するコンプレックスの一部分。
~7月上旬-2 誇示~
呑み込んでしまったけど本当は伝えたかった言葉。
なぜ呑み込んでしまったのかというと、Kojiが困るだろうという考えもありましたが、自分のプライドの高さが邪魔をしたのです。そしてKojiとコラボする機会を捨てることができなかったのです。
更に、「僕だけが知っている存在であってほしい」という狂った愛情を捨てた、というつもりでいても、矛盾した感情が心の中に存在していました。
Kojiの新しいファンへの嫉妬。
醜いファン心理だとわかっているのに、どこからか湧いてくるのです。
その頃、「Kojiのブックカバーを購入しました」といったnoteを何度か目にしました。
ファンとして、Kojiの成功を素直に喜ぶ自分もいました。
それに、Kojiの作品が好き、という共通点で繋がった方々も多く、その魅力を共有できたことはとても幸せなことでした。
しかし……
「僕もKojiの作品に対する愛を叫びたい!」と思いました。
「僕だってKojiのブックカバーを買いたい!」と思いました。
それなら買えばいいのに。
僕は買いたくありませんでした。
買いたいけど、買いたくなかったのです。
面倒臭い思考回路かもしれませんが、コラボをする上で、対等な関係でありたいと思っていたのです。
ブックカバーを買ってしまったら、Kojiと僕の関係性が変わってしまうような、そんな気がしたのです。それも、今では考え過ぎだった気がしますが……そこにこだわるのが僕でした。
コラボが終わるまではブックカバーを買いたくない、と考えたのです。
Kojiのファンに対して、自分のKojiに対する愛を示したい気持ち。
Kojiに対する己のプライド。
これが、Kojiに対するコンプレックスの一部分。
~その後-1 矜持~
その後、僕を前に向かせたもの。
それもまた、己のプライドでした。
クリエイターとしての、プライドでした。
「僕もKojiの作品に対する愛を叫びたい!」
その愛は、クリエイターとして作品に昇華させよう、と考えました。
コラボ作品にKojiへの愛をありったけ詰め込もうと思いました。
「僕だってKojiのブックカバーを買いたい!」
ブックカバーの購入はコラボが実現した際の自分へのご褒美として取っておこう、と考えました。面倒臭い性格なのです。実に僕らしい考え方だなと思います。
その後紆余曲折あり、7月18日には「眠れぬ夜の奇妙なアンソロジー」の参加作品「冬の水槽」を公開し、8月1日にはnoterによるハンドメイド展示交流会(noハン会)の文芸企画に小説「手作りの想い出」を提出しました。
「冬の水槽」はありがたいことに今までにない反響をいただくことができ、自信となりました。
また、「冬の水槽」は北見市の「山の水族館」、「手作りの想い出」は中富良野町の「ラベンダー畑」を舞台にした温かな雰囲気の作品。
北海道ならではの景色を題材にした作風の物語を続けて書き、そして企画に参加し他の作品と読み比べたことで、自分らしさ・自分の強みを認識できました。
「僕にしか作れないものがある」
クリエイターとしての誇りを持つことができました。
~その後-2 仲間~
また、Kojiとの関係性に変化がありました。
その変化をもたらしてくれたのは、7月から始めたTwitterや、noハン会を通して出会った皆さんでした。
Twitterで出会った方々はフランクに交流を楽しんでいる印象で、僕も多くの方と親交を深めることができました。
また、小冊子企画に小説を応募する形で参加することになったnoハン会は、イベントをみんなで作り上げていく温かい空気が流れていました。
それによって、Kojiと僕との関係が、それまでは仕事の取引相手のようだったのに、まるでクラスメイトの中の1人というように距離が縮まっていったのです。1対1の関係ではなく大勢の仲間の1人となったことで、緊張が解けていったように思います。
noハン会に関わった方々には心の底から感謝しています。
また、KojiはKojiの、僕は僕の苦悩をnoteに吐き出し、お互いがそれを読むことでお互いのことをより理解することに繋がりました。
どっちが上だとか下だとかじゃなく、それぞれの個性も苦悩も理解した仲間同士になれたことで、ただただ「力を合わせてコラボを一緒に成功させたい」と思うことができるようになりました。
~作品について~
作品の大筋は4月の時点で決まっていました。
でも、Kojiと連絡を取り始めた時はまだ何も決まっていませんでした。
・グリーンフラッシュ
「Kojiに何を描いてほしいだろう」と考えました。
ラベンダー畑だとか札幌時計台だとか、そういった誰もが写真などで見たことがある北海道の具体的で有名な観光地の風景を写実的に描写してもらうのは違う、と思いました。
そんな時、ネタ帳の中に「グリーンフラッシュ」という言葉を見付け、これだ、と思いました。
石狩市という全国的にはマイナーな市町村。言ってしまえば何でもない、どこにでもあるような町。そこに隠れている奇跡。
Kojiはグリーンフラッシュを見たことがないだろうけど、北海道に住んでいる僕でさえ見たことはないし、恐らく作品の読者も見たことはない。
想像力で描く景色。それこそKojiに絵にしてもらうのにふさわしい景色だと感じました。
・恋人の聖地
そして、グリーンフラッシュを見られる石狩の「恋人の聖地」というものについて考えました。
「恋人の聖地」は日本全国で100か所以上が選ばれており、僕もいくつか訪れたことがありますが……高校生カップルがきゃっきゃしながら行くようなイメージではなく、落ち着いた30代の男女が巡るような渋いイメージがあるんですよね。
石狩についても、片田舎の日本海沿岸です。
その他に僕が行ったことがあるのは、帯広市の愛国駅・幸福駅という今は使われていない古い駅舎。それからもう一つ、厳島神社がある広島県宮島の山奥。
言葉は悪いですが、「古臭い」イメージがありました。
そんな古臭いイメージの「恋人の聖地」に、あえて「現代の新しい恋愛」を掛け合わせようと思いました。
この発想には、星野源の楽曲「恋」「Family song」が影響しています。
この2曲は、「恋」「家族の歌」というストレートな題名でありながら、従来の既成概念を超えた現代の新しい恋、新しい夫婦、新しい家族、そして新しい幸せの在り方を描いています。
年齢差、性別、人数、遠距離、国籍……。
現代社会において、「恋人」という言葉が意味するものはどんどん変わってきています。
それを踏まえて僕は、「恋人の聖地」というストレートな名前の場所を舞台に、従来のいわゆる恋人とは違う、性別や年齢や付き合い方も越えた二人の人間の強い心の繋がりを描きたいと思ったのです。
作品の受け取り方は読者の自由ですが、作者としては、この作品では「従来通りのいわゆる恋愛」は描いていないつもりです。作中にちらっと出てくる「味方」という人と人との繋がりを、「恋人」「初恋」という比喩で表現する、と考えて書きました。
もしかしたら、現代社会ではそんな二人を「恋人」と呼ぶこともあるかもしれない、そう思うのです。
そして、「北海道1周する女性と、ヒッチハイクをしていた学生の女の子がバイクで旅をして石狩の恋人の聖地でグリーンフラッシュを見る」という大筋ができあがりました。
実際に執筆したのは8月上旬。
それまでに僕はKojiの小説を読み、エッセイを読み、Kojiについての想いが募らせていきました。
そしてその想いを作品に注ぎ込み、結果としてできた作品にはKojiの要素がふんだんに盛り込まれていました。
例えば化石。お気づきの方も多いと思いますが、あれはKojiの初めての作品「地層」を意識しています。化石が好きな女性、素敵だなぁと思ったんです。
例えば痛みに寄り添う物語。書いている時は『痛み』という表現は自然と使っていました。できあがってから、あぁ、これはKojiの言葉だったのか、と気付きました。
~8月15日 終戦~
作品を書き終えKojiに送ったのは8月15日のことでした。
それは、僕がうつになって倒れてからおよそ2年後のことでした。
(実際に僕が限界を迎えたのは2017年8月14日だったと思います)
不謹慎かもしれませんがその2017年当時、ストレスとの戦いから解放されて「ああ、これで僕の戦争が終わる」と思ったため、印象に残っているのです。
でも、実際はそれからも僕の戦いは続きました。
戻らなきゃ。いやだ。でも戻らなきゃ。どうやって? わからないけど戻らなきゃ。だめだ、戻ろうと思っても戻れない。
もがき苦しんでいた2018年、その8月は、振り払っても振り払っても1年前のできことが頭を埋め尽くし、憂鬱な日々を送っていました。
しかし、今年2019年の8月は、すっかり忘れて過ごしていたのです。
作品の執筆に熱中しているうちにその日が過ぎていました。
そしてKojiに作品を送ってから、そういえば、と思い出しました。
憂鬱な日々を過ごさずに済んだのはこの作品のおかげでした。
また、僕は、自分のうつの体験を文章にできないのが悩みでした。
辛い経験をしてきた方々が、その経験を文章にした記事をいくつも見てきました。例えばKojiも書いていますね。
それを読む度に僕は「自分も書きたい」と思いました。
「僕も書かなきゃ」と焦りました。
でも、書こうと思っても、うまくまとまらないのです。
そして悩んでいるうちに気分が落ち込んでいってしまうのです。
でも、いつか自分の体験を言葉にしたいと思っていました。
「石狩あいロード」はフィクションです。
ストーリーは僕の体験とはまったく関係ありません。
しかし作中の主人公の悩んでいた時の思考や行動、感覚は、自分の体験が混ざっています。
この作品を通して、ほんの少しだけではありますが、自分の体験を言語化して発表し昇華する、ということを実現できたように思います。
ちなみに……。
「石狩あいロード」では、日常に潜む『痛み』を描きたいと思いました。
100人に1人しか体験したことがないような悲劇ではなく。
多くの人がいつかどこかでなんとなく似た経験をしたようなこと。
傍から見るとなんてことがないことに思えるようなできごと。
「マシ」「平気」「大したことない」と言われてしまうようなダサい傷跡。
人によっては受け流すことができる、適応することができるレベルのストレス。
そんなささいなことが時に人の心を激しく乱してしまう、人によって『痛み』の感じ方は違う、自分にもそういうことがあった、自分にもそういうことがあるかもしれない……そういったことが感じられるストーリーにしたいと考えました。
きっと僕も、そんなことを感じているからだと思います。
物語の中でルナは、悪口を言われたといってもたったの2文字で、「いじめにあった」とも言い切れないような状況だと思います。
それでも、彼女にとっては『痛み』だったんです。
僕の精神状態はまだ万全とは言えませんが、この夏、一部分ながら僕の戦いを終わらせることができたように思います。
これは痛みに寄り添う作品を果敢に創り上げてきたKojiの存在があったからでした。
そして「ブックカバーは世界を守りたい」と謳う彼女のオリジナルイラストを用いたブックカバーのように、彼女のイラストが僕の小説に添えられることにより、彼女が僕の世界を守ってくれたように感じました。
~10月14日 恋人~
noハン会の2日後、8月27日のKojiの記事にこう書かれていました。
「みんなで作り上げていこう」
「私たちの1歩目だ。2歩、3歩と歩みを進めていくうちに、どんなものが見えてくるのだろう」
その時すでに作品を書き上げすっきりしていた僕は、素直に「一緒に歩きたい」と思えました。
Kojiの店「心象風景」やKojiが運営に関わるnoハン会、あるいは創作に関係のない些細なことであっても、僕にできることがあるならば「僕なんかが……」とは思わずに純粋に手伝いたいと思います。実際、第1回の時には遠慮してしまったnoハン会へのアドバイスも、今回は素直に「やりたい」と思えました。
noハン会などイベントがなくとも、コラボなどの企画でなくとも、くだらない世間話をあれこれ話したいと思います。
KojiのファンとはKojiの作品について、熱く楽しく語り合いたいと思います。
かつてはかわいい後輩であり、あるいは初恋の相手であり、もしくは嫉妬の対象であり、そして尊敬するクリエイターでした。
クラスメイトのように親しくなり、たくさんの作品と時間と想いを重ねお互いを知って仲間になって。そして今回1つの作品を二人で作り上げて。
深い絆で結ばれた「パートナー」になることができた、そう思っています。
これが、僕のKojiに対するコンプレックス。複雑な想い。感情の集合体。
人間の負の感情をたくさん書いてしまいましたが、Kojiの存在が大きいからこそです。
たくさんの感情を教えてくれたことに感謝しています。
創作活動を続けていく力を与えてくれて、様々な出会いを与えてくれて、多くの感動を与えてくれて、僕の痛みに寄り添ってくれて、ありがとうと伝えたいです。
作品の執筆はとても楽しかったです。そして成長できました。
この作品でインターネットに投稿した小説は10個になりました。プロフィールに記載していた「目標:短編小説10個投稿」を達成することができました。
作品はクリエイターとして誇れるものができたと思っています。コラボならではの良さも出せたのではないかと思います。
今回のKojiの絵は僕にとって宝物です。
Kojiがあの時僕のコラボに申し込んでくれて、僕は本当に運が良かったと思います。素直に、貴重で光栄で贅沢な経験をさせてもらった、と感じています。
女性視点の物語、約20000字の長い作品、1つの作品を分けて投稿するというスタイルは、どれも僕にとって新たなチャレンジでした。これもまた、Kojiの影響のように思えます。コラボだったからこその成長だと思います。
作品を完成させた自分へのご褒美として、予定通り心置きなくKojiのブックカバーを購入しようと思います。
応援して下さった皆様、ありがとうございました。
さて。
一緒に歩いていこう。
ようやくそう思えるようになったものの。
僕らのコラボはこれで終わりです。
これから二人はまたそれぞれ次のステージへと進んでいきます。
Kojiはブックカバー店を改良しますます精力的に活動していくことと思います。
僕はこの冬に第1子が誕生するため12月からはnoteでの活動を制限していきます。
もちろんKojiとの交流は続けたいと思いますし、noハン会の小冊子企画などがあれば参加したいと思います。
機会があればまたコラボしましょう、と思う気持ちも本心ですが、現実的なことを考えると、こうして二人でコラボすることは恐らく今後もうないのではないのではないかと思います。
でも、それでも、もう、大丈夫。
僕とKojiは、まるでハルコとルナのように。
一時のみの繋がりを心に深く刻んで、そしてそれぞれの道を進んでいくのです。
遠く離れていようとも、今回の作品を作った思い出が、例えば一緒に美しい夕陽を見た思い出のように輝いて、きっと二人を支える存在となるはずです。
最後に、作品のオマージュということにして、Kojiにはこう伝えたいと思います。
好きだよ、Koji。
さよならだ。またいつか会おう。