なぜ私は【支援される人】なのか。
※これは私のキモチの整理です。
それわかる!という人がいれば、いいな。
めちゃくちゃ個人の意見です。そして荒れてます。そして戸惑ってもいます。
自分のメモだけで止めておけないくらい戸惑っています。生あたたかい目で見守ってください。※
私は生まれる家を間違えた。たったそれだけ。
こんなこと言ったってしょうがない。そんなことは私だってわかってる。
でも言わなきゃやってらんないんだよ。
周り見たら楽しそうに大学いってバイトして就職したり結婚したり。そんな普通ライフ私には無いよ。
過去に囚われていつまでも過去に生きてる。
抜け出したくても抜け出せない。もはやどうしたらいいかわからない。私は17年間、強い人間だったんだ。それは現実には強くなかったのかもしれない。見かけだけそう保っていたのかも知らない。
ただ、“立場の弱い人”ではなかった。そこに自分のプライドがあるのかもしれない。
ある日突然、私の立場は弱くなった。
ある日、ある事件を境に私は“支援される人”つまり弱い人になったと自分では思ってる。
(さっき、本当にいまさっき堂々としなさいと言われたばかりだけど。後できちんと落とし込みます。ごめんなさい。)
施設長の“こんなに色々してんのに感謝も言えないの?”っていうのが引っかかってるのかもしれない。
それから、いわゆる“支援してる人”の暖かさが痛い。
支援してる側の優しさと受ける側のプライド
さっきママ代わりの人と話し込んで気が付いた。私にはある種のプライドがある。だから今、私に関わってる“支援者”を受け入れたくないんだ、と。
支援者はいつだって優しい。でもその優しさが本当に優しさとして機能しているかは分からないよ。私はその人の優しさに傷ついた。でもその話を【私はこう傷ついたんだ!だから謝ってよ!】っていうのは嫌だ。
それは、
①傷ついたことを認めなければいけないこと。
②彼ら彼女らは、「謝ってよ」と言ったら必ず誠心誠意謝るだろう。だってその人たちは“優しい”から。その人たちは私たちを傷つけないように傷つけないように慎重に扱っている、それは優しさから来るものだと私は知っているから。
③私は強かった。命を狙われるくらいのいじめだって、相手に立ち向かって言った。その相手が先生だったとしても。いや、親だったとしても。真正面から立ち向かうくらい強い人間だったんだ。その時は「ねぇ謝ってよ!!」と平気で言えた。だけど立場が違うから【言いたくない】。
これ気持ちわかる人いるのかなぁ。
だから私がやりたい。
今日、本当に怖い思いをしたし、無力だったし、疲れたし、嫌だった。
それは、今の日本に支援者とそれを受ける人というカタチが出来上がっているからだと思った。
私がやり出した(実際にはまだ慎重になってあまりやっていないけど)LINEで伴走するプロジェクト、それから支援を伴走へとアップデートしたいという想いは結局自分の叫びだったんだと思う。
私が欲しいから作る。
それはきっとぶれていなかった。
突き放す事と問いかけること
今日気がついた事がもうひとつある。それはママ代わりの人と話していたこともそうだし、その後見つけた支援をする時に“冷たさ”が必要だというツイート。
私もそのツイート見るまでそう思ってた。
でも違った。だってすごい違和感があった。
ママ代わりの人は私に冷たく当たってるんだと思ってた。それは“私の自律のために”ね。
でも今日話しててわかった。冷たくされていると言うのは私がそういうフィルターを通しているだけなんじゃないかと。そのフィルターを取ってみたら彼女は私に【問いかけていた】。
聴いていた。
その時気がついた。a.schoolでは私たちは何かを教えるということは無かった。ほとんど子どもが自分で考えて行動するサポートをしていた。教えられないからこその難しさがあの教室にはあった。
その時、私たちが彼らにしていたサポートは【問いかける】ことだった。質の良い問いが出せなくて悔しくて泣いたこともあった。でもいい問いをだすと彼らはちゃんと自分で考えて私たちの想像以上のものを返してくれた。
だからさ、その人が自分で考える力(=私は強く生きる力だと思ってる)は、いい問いから生まれるんじゃないかなって気がついた。
自分ではこれをいい発見だと思ってる。自分の活動の軸の輪郭がはっきりした気がした。
まぁ色々ありすぎて文章になってないかもしれないけどなんとなく整理出来たかな?だとしてもこんな世の中おかしい。なんでこんな気持ちにならなきゃ行けないんだ。
わたしは生まれる家を間違えただけなのに。
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