自己紹介
本日は、改めて自己紹介を書いていきたいと思います。興味のある方は、お付き合いください。
簡単プロフィール
大分県佐伯市出身。1973年5月19日生まれ。太陽牡牛座で、月は射手座。
小学生の頃に、タロットをするようになり、中学に入り、同級生を占い出す。短大を卒業し、数年社会人を経験。その後、職場の方の死を経験し、社会生活からドロップアウト。心療内科に通い始める。
30歳の頃、人の勧めで占い師になり、そこから回復を始める。ネットでのメール鑑定で、なぜか人気を博し、鑑定待ちが続く。2012年にウスイレイキを学び始め、そこから大きく変容を遂げる。その頃、長年住んでいた大分から離れ、福岡に移住も果たす。
占いよりもヒーリングの方が役立つと気が付き、占い師の肩書を手放して、ヒーラーに転向する。現在は、福岡市内で、レイキ講座をメインに活動をしている。
障がい者として生きていた頃の話
わたしのことを語る時、どうしても、避けられないことがあります。
それは、精神障がい者として過ごし、障がい者年金の受給経験も、過去にあったことです。
過去を振り返ってみると、心療内科に通い出したきっかけは、「悲しみを感じ過ぎて、頭が爆発しそう」という状態でした。おそらく、解離を起こしかけていたのだと思います。
今となっては、よくわからないですが、幻覚…そこにいない人がいるなどの理解のできないものを多く見るようになりました。最初の心療内科では、うつと神経症と診断され、薬を服用するものの、どんどん悪くなりました。のちに、本で得た知識ですが、解離の場合、投薬での治療が難しいということを知りました。あまり色々な薬を使えないので、薬も選ぶ必要があるのだと。
時代的に、多量薬剤が当たり前の時代でもありました。先にお断りしていますが、わたしは当時の主治医や、時代背景について、一切、恨みはありません。
「メンタルヘルス」というカテゴリーで命を繋いできました。精神科にも数回入院しました。障がい者手帳を獲得し、障がい者年金も受給もしていました。人生が嫌になって、自暴自棄になったこともありましたし、現実がよく見えず、寂しさのあまり、変な人に付いていき、危ない目にも遭いました。欠乏感に苦しみ、いろんな人に依存して、人との正しい付き合い方がわからなくなってしまいました。
なのに、いつもいつも、ギリギリのところで、救いの手が入りました。
占い師からヒーラーになった時
占い師を始めてから、調子が段々と回復してきました。心療内科を変えたのも良かったのかもしれません。そのクリニックの主治医は「あなたは良くなると思う」と言いました。
少しずつ回復していき、薬も気休め程度の量しか要らなくなった頃、たまたまレイキと出会いました。自分の身を守るための技として学んだつもりが、「だいぶ良くなったけれど、なかなか良くならないところ」にヒーリングが働き始めたのです。十年近くぶりに、自力で眠れるようになり、安心感が次第に増えていきました。そこから、障がい者として生きた時に、失ってしまったものを、取り戻す日々が続きます。
占いも確かに指針になるし、迷いのある人には役立ちます。
けれど、さらにエネルギー状態が良くない人には、占いは活用しづらいことも、わかっていました。それは結局、運命を切り開くのは自分の行動次第だからです。
「占い師より、ヒーラーの方が絶対にいい」
そう思い、肩書を変えることにします。そして、その前後の数年間、悩み続けたことがありました。障がい者年金に受給のことでした。もう障がい者ではないという思い。定期的に入ってくる収入に対する安心感。どちらを選んだらいいのか、とても苦しみました。それでもわたしは、年金事務所に電話をしたのです。「障がい者年金の受給をやめたいのですが」。
簡単に辞められなかった障がい者
「年金を受給する時、いろんな書類を書いたでしょう? みんながみんなが、もらえるわけじゃないんだよ。どうしても拒否するって言うのなら……ねぇ、でも」
恐らく、病気の人が、おかしなことを言っていると、そう思われたのです。わたしは、諸々説明をしました。自分は良くなっていることも、伝えました。そうすると、「病気が良くなったかは、あなたが判断することじゃないから、次に診断書を提出する時に、お医者さんと相談してみてください」と言われ、わたしも電話を切りました。
電話を切った後、泣き崩れました。怒りや悔しさでやりきれませんでした。前に進みたいのに進ませてもらえない。自立をさせてくれない。まだわたしに、弱いままで居ろという。おかしい。そんなのおかしい!
その時「日本人は優しい」の裏の裏をなんとなく見てしまったような気持ちになりました。
そして、診断書を提出する前に、以前通っていたクリニックに電話をしました。ケースワーカーさんと話すと、その方もとても戸惑っていました。
「うちでもそのケースは初めてのことで……年金を辞めたい理由は何ですか?年金があると、不都合なことがあるのですか?」
生かされていることに気が付く日々
わたしは、今度は冷静に伝えることができました。
「わたしは、二十代で心を病んで、ずっと苦しみ続けました。良くなった今、年金をもらっているという現実があると、過去を手放すことができず、それがつらいのです。お金は、今は働けば入ってきますし」
「なるほど。それはとても納得です。先生にもそのように伝えます」
そこから届いた診断書には「寛解」の文字。その年、届く年金のはがきには、受給年金0円とありました。それを、とても落ち着いた気持ちで眺めることができました。おそらく、年金を切ると決めてから少し時間がかかったのも、逆に心の準備としてよかったのだと思います。本当に遅くなったけれど、やっとスタートラインに立ったような気持ちでした。
自分が生かされていることに気が付いたのは、その時です。過去から今にかけて、どれだけの人が助けてくれたのか。いつも、寂しい寂しいと泣いていたわたしは、全く一人ではありませんでした。
そして、まだ走り続けることができています。
最後に…なぜ良くなったのか?再発しないのか?
社会からドロップアウトした時に、いたわってくれる人は、実はとても多かったことに後から気が付きました。そのような優しさも、もちろん必要ですが、大きくわたしを回復に進ませたのは「仕事」を持つことでした。
誰かに喜んでもらうことは、一見面倒ではありますが、それが自分のスタミナになることに気が付きました。
そして、「可哀そうな病気の人」と見るのではなく「ひとりの人間」として、接してくれた人との出会いが大きかったです。
今は、叱咤激励も、下手をすると上から目線に思われたり、心に寄り添っていないと思われてしまいます。共感が大事にされる時代だからこそ、疲れた人に前に進むように言うタイミングは、わたしも難しいなと感じます。
それでも心が苦しくて困っている時に「仕事をすればいいよ。タロットができるなら占い師になればいい」と言ってくれた人の存在や、「病気は卒業すると決めてください」と言ってくれた人や「そろそろ一人で頑張ってごらん」と言ってくれた人や……そういう言葉が、生きる力になりました。
もちろん、レイキとの出会いも大きいのですが、人との出会いがなければ、わたしはここにはいなかったでしょう。感情が爆発しそうになったことは、これまでに何度かあります。昔のわたしなら、薬を飲むのでしょうが、それは、休めば回復することを、いつのまにか理解するようになりました。
レイキはエネルギーの使い方だけではなく、「レイキの五戒」というものをとても大事にします。今思うと、その五戒をしている限り、再発はしないようです。
今日だけは怒るな。心配すな。感謝して。業を励め。人に親切に……。
noteではスピリチュアルの在り方やカードの話、その他もろもろを更新したいと思います。改めて、よろしくお願いします。