【小説】星貸します

 星貸します、と書かれた貼り紙を見つけた。路地裏の、人目につかないところに、ひっそりと。文字が掠れかけているそれには電話番号が書いてあって、ふと好奇心からその電話番号をメモに取った。そして家に帰ってから、電話をかけてみることにした。
「お電話ありがとうございます。スターレンタルサービスです。どのような星をお探しですか」
電話の向こうから聞こえてきたのは、若い女性の声だった。
「どんな星があるんですか」
「砂漠しかない星、森林しかない星、氷河の星。あらゆる星を取り揃えております」
「星にはどうやって行くんですか」
「私どもが開発した扉からお入りいただきます」
扉。そんな方法で行けてしまって良いのか。星と言うからには、宇宙船で行くのではないのか。星というのは何かの比喩か、或いは隠語の類ではないのか。
「本当に星ですか」
「左様でございます。すべて私どもの見つけた星です」
そんなに簡単に見つかるものなのだろうか。
「人が入っても大丈夫なんですか」
「勿論です。有機的生命体の生存に支障がないことをこちらで確認しております」
有機的生命体という言葉が唐突に飛び出して、やや面食らった。
「料金はいくらするんですか」
「1時間100円となっております」
安い。安すぎるのではないか。カラオケボックスのようなノリで借りて良い場所ではなかろう。それこそカラオケのように利用者が多いわけでもなかろうに、とすると貸主の目的は金銭ではないのか。
「どうして星を貸しているのですか」
「どなたかの癒しや楽しみ、好奇心を満たすお手伝いになればと思っているからです」
癒し。一面の砂漠や氷河に飛ばされて癒されるのか。そう考えていると、電話口の向こうの人は続けた。
「もう地球上に安楽や娯楽を見出せなくなったなら、ぜひ、私どもの星を利用していただければと、皆そう思っているのです」
その口ぶりは、個人がいたずらでやっているようにも思えなかった。本当に、どこかの会社の問い合わせ窓口のような声色だ。
 1時間100円というのは嘘で、本当は高い金を騙し取られるんじゃないか。そんなことを思わないわけではなかったが、やはり好奇心が勝ち、申し込んでみることにした。
「どのような星になさいますか」
そう質問をされて、どうせならとこう答えた。
「地球上では見られない景色が見られる星はありますか」
「はい、ございます。赤の星はいかがでしょう」
赤の星。火星のようなところか?
「どういう星ですか」
「すべてが、赤い星です」
説明は曖昧だったが、ともかく申し込んでみることにした。「赤の星」を借りたい旨を伝えると住所を聞かれた。必要なものは自宅宛てに郵送されて来るらしい。
 2日ほど経って、自宅に小さな箱が届いた。中を開けると、そこには、小さな丸い金属製の物体と、1枚の紙が入っている。そこには、こう書かれていた。
【この度は、スターレンタルサービスをご利用いただきありがとうございます。お客様に簡易ポータルをお届けいたします。】
その下に「簡易ポータルの使い方」と続いていて、今手元にある丸い物体の絵が描かれていた。おそらくこれが「簡易ポータル」なのだろう。使い方に従うと、それはどうやら上部が蓋になっていて開くことができ、つまりはコンパクト状になっているらしかった。私が星を借りる日になったらこの蓋を開ければ良い、と書いてある。
 やがて、私が星を借りる日がやってきた。深呼吸をしてから、簡易ポータルなるものの蓋を開く。すると中から目も眩むほどの光が飛び出してきて、私は思わず顔を伏せた。体がとてつもなく熱くなり、心臓の鼓動が早まる。血管が焼き切れるんじゃないかと思うほどの熱が収まっておそるおそる目を開くと、そこには知らない空間が広がっていた。
 そこは円形の部屋だった。壁も天井も床も真っ白で、壁には窓が並んでいる。窓の外は暗闇かと思われたが、よく見てみれば小さなキラキラした砂粒のようなものが散っているのが見えた。あれはきっと星だと直感的に思った。となれば、ここは?
「いらっしゃいませ」
私の目の前に立っていたのは、1人の青年だった。長い黒髪を頭頂部近くで束ね、背中に垂らしている。詰襟の白いボタンの無い上着を着て、白いズボンを履いた、背の高い青年がこちらを見ている。
 床に座り込んでいた私に、青年は手を差し出した。私はその手を取って立ち上がった。
「スターレンタルサービスへようこそ。ここは本部です」
そう言って、青年はにっこりと笑った。
 電話した際に説明された「扉」は、このスターレンタルサービスの本部にあるらしい。私の家に送られてきた簡易ポータルなる謎の物体は、ここに私を転送するためにつくられたものだそうだ。早い話が、テレポーテーションということか。青年の説明を受けてすんなりと飲み込めてしまった私に、少し遅れて衝撃がやって来る。
「テレポーテーションが、本当に出来るんですか?」
何か夢でも見ているんじゃないだろうか。あの簡易ポータルから変なガスでも出て気絶して、私は――
「可能ですよ」
我々なら。付け足されたその言葉には、あまりにも抑揚がなかった。ただ形の良い唇が、ごく当たり前のことでも言うかのように、ひどく滑らかに動いたのが印象的だった。
「さあ、星があなたを待っていますよ」
怖いくらいに人当たりの良い笑顔を浮かべた青年は、私に手招きをした。
 結局私は、青年に着いていった。ここまで来て引き返すのもどうかと思ったからだ。せっかく契約したのだ。彼らの言う星なるものを借りてやろう。怖いもの見たさのような気持ちも入り交じりつつ、私は青年と共に部屋を移動した。
 廊下の床も天井も白かった。塵ひとつない、清潔そのもの。そこには生活感というものが全くなかった。まるで今さっき建てられたような、真新しくやや収まりの悪い空気に満ちている。呼吸を一つするたびに、肺の中の空気が新鮮なそれに入れ替えられていく。
 まっすぐな長い廊下を歩いて、突き当りで青年が立ち止まった。病院の検査室にあるような重そうな引き戸がある。
「ここが扉ですか」
「いえ、この部屋の中です」
青年が引き戸を開ける。また円形の部屋だ。ただ、先ほどの部屋とは違って窓は一切なかった。代わりに、開き戸が1つだけあった。上を見れば天井はドーム型になっていて、照明器具も見当たらないのに淡く光が降り注いでいる。
「ご注文通り、赤い星をご用意いたしました。1時間、ごゆっくりどうぞ」
あの扉の向こうに、星がある。私は恐れを抱きながらも、扉に手をかける。そして扉を開けたその瞬間、全身が赤い光に飲まれる。また、あの熱が体の奥底から吹きあがってくるような感覚に襲われた。そしてその熱が引いたとき、私は真っ赤な空間にいた。
 ジャングルのような場所だった。しかし視界に映るものは皆赤かった。木々と思しき物体の形は、私がよく見るものと似通っていた。違うところといえば赤いことくらいだ。幹も葉も赤い。ふとクリスマスシーズンに売られているポインセチアが頭をよぎったが、あんな柔らかな赤ではなかった。なんというか、毒々しいのだ。野生動物の血のような、どろりとした赤色。目が痛くなる。緑だ、今すぐ緑が見たくてたまらない。
 ジャングルのような場所を歩いても、虫の1匹も飛んでいなかった。こんなに木々が鬱蒼と生えているなら、生き物がいてもよさそうなのに。
 足元はさして悪くなく、うっすらと道らしき筋が見えるほどだったおかげで歩きやすかった。体感にして10分ほどだろうか、唐突にジャングルを抜けた。足が踏んだその感触は、明らかに先ほどまでの者とは違っていた。軽く沈むような感覚。これは、砂だ。砂浜の砂だ。しかしその砂もまた赤かった。顔を上げれば、視線の先に広がるのはきっと海。真っ赤な波が寄せては帰っていく。水が赤かろうが、たしかにそこは海に見えた。
 しかし海にも、やはり生物はいなかった。海岸には貝の一つも落ちていなかった。あまりにも殺風景な海だ。波の動きだって、自然の摂理でそうなっているようにはとても見えなかった。何かプログラムされているような感じがするのだ。そういう、波を出すプールや水槽みたいに。
 ここは、まるですべてが作り物であるかのようだ。今時すべてがCGでももう少し生々しく作れるだろうに。やはり私は夢でも見ているんじゃないか。
 海水に手を触れてみた。色に反してひどく冷たかった。すぐにそれもやめて、今度は砂浜に寝ころんだ。空もまた赤かった。夕焼けのような橙色の空ではなくて、文字通り赤に染まった空。気が狂いそうだ。なぜ私は申し込みの際に「地球では見られない景色が見たい」なんて言ってしまったのか。こんなことなら、森林の星とか、そういう無難そうな星にしておけばよかった。
 雲もない。太陽もない。決まり切ったプログラムに従っているかのように動く波と、予定調和のように吹く風が時折木々の葉を揺らす。私以外は人間どころか生き物すらもいない空間。目が痛くて、目を閉じた。
 それから何分経っただろうか。上から「お時間です」という声が聞こえてきたかと思うと、私の身体はいつしかあの扉に入ったときの部屋にいた。どうやらそのままの体勢でこの部屋に戻されるらしく、私は寝転んだままで、少しきまり悪かった。
「お疲れ様でした。いかがでしたか」
青年がまた私に手を差し出して、私もまたその手を取った。起き上がって一言、
「赤かったです」
という至極当たり前な感想しか出てこない。
 料金はここで支払うようだった。ポケットに入れていた財布を出して、中から100円玉を1枚取り出す。1時間しか借りていないから100円しかかからない。改めて安すぎるのではないだろうか。そんな思いをよそに青年は恭しく100円玉を受け取る。そして白い壁を指で軽く叩くと小さな引き出しのようなものが壁から飛び出してきて、青年は私が渡した100円玉をそこに入れてしまった。引き出しが自動で閉まる。
「帰るときは、どうするんですか」
私がそう質問すると、青年は「ご案内いたします」と言って手招きをする。青年に続いて部屋を出た。来たときは真っ直ぐに歩いてきたが、今度は途中で左に曲がった。
 また円形の白い部屋に通されたことに変わりはないけれど、今度の部屋は大きな鏡が入り口の正面に鎮座している。その鏡に手を触れるように促された。
 私は一瞬躊躇って、それから青年の方を向いた。
「最後に、教えてください。あなたは何者で、私がお借りした星は何なんですか」
青年が切長の目を見開いたのが分かった。人当たりの良い、その顔立ちをより一層魅力的に見せる微笑も消える。
「本当に、知りたいですか」
あまりに冷たい声で、背筋に嫌な汗が伝った。
「そりゃ知りたいですよ。こんな妙なサービス初めてですから」
青年はひとつ息を吐くと、
「あなたは、こちら側に来るべき人間なのかもしれません」
そう言った。意味がわからなくて聞き返そうとすると、
「宇宙はあなたがたの知っている宇宙ただ1つではありません。宇宙は無数に存在し、そしてそれぞれの宇宙にはまた無数の星がある。あなた方の知る宇宙と同じように」 
青年はさらに続けた。
「我々は、その別の宇宙を知る者——いや、知ろうとしている者です」
別の宇宙。多数の宇宙が存在する話はどこかで聞いたことがある。そしてそれが、決して荒唐無稽な話ではなく、本当に研究している学者がいることを。
「まだ我々も知らないことの方がずっと多いのです。だからこうして普段は隠しておいて、そしてたまに、あなたのような人が現れる」
私のような、とは。もしかして、星を借りたい人のことだろうか。
「我々は常に人材を求めています。別の宇宙を知ろうとする者を。だからこうして時折、限られた人にしか読めない貼り紙をどこかに出して、星を貸しているのです。比較的安全だと判断された星をピックアップして」
だから1時間100円という値段で星を貸していたのか、と合点がいった。
「もしもあなたが望むなら、この記憶を全て消去します。今後我々からあなたにコンタクトを取ることもないとお約束しましょう。ですがあなたが、我々と共に来ると言うなら、そのときは——」
青年がわずかに目を伏せた。長い睫毛がわずかに震えているようで、そして青年の目が深い青色であることに、私は今になって気がついた。まるで、夜になりかけの黄昏どき、昼間は太陽に隠されていた宇宙が顔をのぞかせ始めた空の色のようだった。
「あの簡易ポータルをお使いください。あのポータルがある限りはここにアクセスすることが可能ですから」
そこまで聞いても、私は混乱していた。理解できない。まるでファンタジー映画の世界ではないか。それでも、私は。
「次は、別の星を借りたいです。赤の星は、目が痛くなりましたから」
それでもいいですか、と尋ねると青年は頷いて、
「構いません。いつでもお待ちしています」
青年の顔に笑顔が戻っていた。それは晴れ渡った夜空のようだった。
 こうして、私はあの鏡を通って自分の部屋に帰ってきた。閉じられた簡易ポータルの存在が、確かにあの時間が、空間が、星があったことを証明していた。
 次はどの星を借りよう。私は簡易ポータルを眺めながら、そう考えていた。