「みる」スポーツとしてのカバディ──「私たち」と「贔屓」がもたらすもの
8月3日・4日に、カバディの東日本大会が開催される。ということで、本記事では以前書いた「燃え上がれ、祝祭──カバディ観戦の面白さを語りたい」からもう一歩踏み込み、「みる」スポーツとしてのカバディについて考えてみたい。
現状日本国内でカバディを「観る」方法は2つある。
1つが現地まで観戦しに行く方法だ。東日本大会やチャレンジカップは例年帝京大学板橋キャンパスで、全日本大会はオリンピックセンターで開催される。また西日本大会も開催されているが、現状として大規模な公式戦は首都圏に集中しているのが現状だ。
そしてもう1つの観戦方法が配信である。カバディの公式戦は日本カバディ協会の公式YouTubeチャンネルで配信され、アーカイブも残るためリアルタイムの観戦が難しい人でも気軽に楽しめるのが強みだ。またリアルタイムでは実況席に座る選手がコメントに対して答えてくれるので、観客と選手、双方向のコミュニケーションを楽しみながら観戦ができる。
生観戦の強みはやはり一体感を味わえることだろう。現地で歓声を上げ、拍手を贈り、選手と一緒に喜んだり悲しんだり──たくさんの拍手が、声がひとつになる。「私」はいつしか「私たち」となり、祝祭の場と一体となる。プレーヤーでなくとも試合に参加し、共に大会を作り上げる一員となる。それこそが会場で足を運ぶ醍醐味だ。
一方配信で観戦するとき「私」は「私」のままなのだろうか、というと少し違う。リアルタイムであればそれは同時接続者として、アーカイブを再生すれば再生数として数字に残る。それは紛れもなく大会を作る一員になっていることに他ならないだろう。前述したように配信ではYouTubeのコメント機能を使うこともできる。現地に足を運ぶのとは異なる方法で、配信で観戦する人もまた「私たち」になることができる。また日本カバディ界の第一線で活躍する現役選手による実況と解説は基本的なルールの解説から本格的な戦術の話まで幅広い。特に技術面を言葉の力で「因数分解」してくれる選手の解説は現役のプレーヤーだからこそ聞ける話で分かりやすく、競技に対する解像度を上げる助けとなるだろう。
現役プレーヤーの分かりやすい解説が聞ける一方、スーパープレーが炸裂したときの実況席の盛り上がりを聞くのも楽しい。実況席と同じタイミングで盛り上がることで、インターネットを介した1人観戦のはずが、気づけば複数人での観戦になっている。
生観戦と配信、それぞれの長所に触れたところで、ここからは試合において主に私が何を見ているか──より踏み込んだ言い方をすれば、何を「贔屓」しているのかを例にとりカバディ観戦で見て欲しいポイントについて書いていきたい。
何を「贔屓」しているのか。第一に挙げられるのはやはりチームだ。以前の記事にも書いたとおり、私がスポーツの世界で初めてできた贔屓のチームがジモディだった。現在はジモディはもちろんのこと、ジモディのOBも多数所属する百足、また結成後初の公式戦でいきなり王者Buddha撃破を成し遂げたBabylon Breakers、そして北海道のカバディチームであるRepunkur、公式戦初勝利をこの目で見届けることができた栃木ガーナレンズを主に応援している。基本的には「箱推し」のスタンスを取ってはいるが、贔屓のチームはどこかと聞かれればこの5チームを挙げるだろう。
贔屓のチームができると楽しい。選手と同じタイミングで嬉しくなったり悔しくなったりする。演劇と違ってスポーツはどこまでも現実だから贔屓のチームが負けたという事実に心の整理がつかず、悔しい気持ちを引きずったまま家まで帰ることもある。それでもやっぱり楽しいが勝つのだ。それはやはり、誰かと感情を共有できるからなのだろうと思う。「私」ではなく「私たち」でいられる場所がある。そのことは人間が生きていく上で必要なよりどころなのだと思う。
また贔屓のチームができると、試合が記憶に残りやすくなる。試合が記憶に残りやすくなると、自分の中で過去のデータが蓄積され、次に観る試合の解像度が上がる。解像度が上がるとより深く競技のことが分かるようになる、という好循環が起きる。「贔屓」を作ることでスポーツ観戦が楽しくなるだけではなく、競技の理解も深まるのだ。
またどのチームを贔屓しているかによって、その試合の評価はまったく異なるものへと変わる。贔屓のチームが少人数守備でローナを取らせず攻撃を耐えきれば「今日の○○は守備が粘り強くて良かった」となるし、逆に贔屓のチームが攻撃で少人数の守備を崩せなければ「今日の○○はローナ圏内の攻撃でチャンスを取り切れなかった」となる。試合を「物語る」視点が定まる。視点が定まると、試合がぐっと見やすく、かつ面白くなる。感情はより鮮やかに劇的になる。すべての瞬間が輝き、かつ輪郭を捉えやすくなる。贔屓のチームのおかげで、スポーツを「みる」ことがより楽しくなった。
チームにはそれぞれ特色がある。そのひとつがユニフォームだ。Repunkurのユニフォームは水色と白でシンプルでデザインとしてもすごく好きなのだが、このユニフォームで守備が成功すると、攻撃側が氷で固められたように見えるのが好きだったりする。また栃木ガーナレンズのユニフォームは黄色でとてもわかりやすく、「マイナー競技認知度爆上祭」というスポーツイベントに行った際には栃木ガーナレンズのユニフォームのおかげでカバディのブースまでたどり着くことができた。
対照的にBuddhaや百足のような黒一色のユニフォームは、チームを統制の取れた狩人の集団にも、黒く強大な獣にも見せる。ユニフォームに着目して観るのも面白さのひとつだ。
そしてチームを問わず、思わず注目して見てしまう瞬間がある。それは試合が始まる前の円陣だ。チームがひとつになるあの瞬間は何度見ても心が震える。声を、動作を合わせる。あの瞬間、見ているこちらも気が引き締まる。これから試合が始まるという期待感と共に高まる緊張感。スポーツを「みる」行為は、試合の前から始まっている。
守備や攻撃が成功したときの動作、表情、自然に湧き上がる、人間の感情と動き。チームで共有される喜びや悔しさが会場に伝播し熱狂を生み出す空間。あの空間を、それを形作るすべての要素を「贔屓」している。すべてを贔屓してしまったらそれはもはや贔屓とは言えないのだけれど、それでもカバディを形作るすべてが好きで、詰まるところ、カバディというスポーツそのものを「贔屓」しているのだ。
スポーツを「みる」ということ。それはプレーヤーではなくとも試合に参加し、試合を作ることができるということである。試合に足を運ぶこと。試合の映像を観ること。SNSで感想を言うこと。ひたすらに贔屓のチームを、選手を、追いかけること。忘れられない試合を脳内で反芻し続けること。すべてがスポーツを「みる」ということなのだ。
そしてカバディは「みる」ことに適したスポーツだと思う。狩りに起源を持つ原始的な側面と現代スポーツとしての洗練された側面が両立しているし、試合はよりテンポ良く、起伏に富んだものとなるようルールが改訂された。試合会場ではコートとの距離も近く、贔屓の選手の表情や動きを肉眼ではっきりと見ることができる。観戦するのにチケットは必要ないし、配信だって無料だ。ぜひあの熱狂を、熱狂を、現地や配信で感じて欲しい。そして願わくば、一人でも多くの人が「私」から「私たち」となってくれることを、誰かが「贔屓」と出会えることを願ってやまない。
ということで、次の東日本大会の日程は8月3日および4日。場所は帝京大学板橋キャンパスの5階アリーナ。最寄り駅は埼京線十条駅。ちなみにグーグルマップで検索するときは帝京大学のスタバを目的地に設定すると早く着く。正直会場に着くまではカバディ感が一切ないため不安になるだろうが、ぜひ5階まで来て欲しい。
今年はどのチームは優勝するのか。いちファンとして当日を楽しみにしている。