ミュージカル「アルジャーノンに花束を」観劇感想

 こんにちは、雪乃です。今日はミュージカル「アルジャーノンに花束を」を観てきました。

実は人生初の日本青年館です。

 ということで感想文です。ラストの演出をめちゃくちゃネタバレしているのでご注意ください。

 「アルジャーノンに花束を」との出会いは中学生の時。2012年に演劇集団キャラメルボックスで「アルジャーノンに花束を」が上演されたのがきっかけでした。

 学生時代からキャラメルボックスのファンであり「アルジャーノンに花束を」も大好きな母の勧めで読んだ原作、そしてキャラメルボックス版「アルジャーノンに花束を」。まだ中学生だったため当時は作品をちゃんと理解できていたかどうかはわかりませんが、原作も舞台も、ずっと記憶に残り続ける作品となりました。(ちなみに中学3年生の時にこの作品で読書感想文を書こうとしたのですが、感想を言語化するのが難しすぎて断念した記憶があります。)

 2012年に初めて原作を読んでから11年。今度はミュージカルという形で、まったく違うキャスト、まったく違う演出で、「アルジャーノンに花束を」という作品と、そして「チャーリイ・ゴードン」という人間と出会い直すことになりました。

 原作小説は、主人公チャーリイの書く「経過報告」の形をとり、常にチャーリイの視点で進みます。大人になっても幼児くらいの知能しか持たない青年チャーリイは脳の手術を受け、IQは68から185にまで増大。20カ国語を操る天才へと変貌します。しかし知能が高くなったことで、それまでには気がつかなかった人間の悪意や現実に気づき、ずっと忘れていた家族のことも思い出すように。その後チャーリイは、自分と同じ手術を受けたネズミのアルジャーノンの行動の変化から、人工的に増大させた知能はいつか低下していくことを知ってしまい……と、ざっくりまとめるとこんなストーリーです。

 チャーリイ本人の書いた文章、という設定で進んでいく物語であるため、作品はまず非常に読みづらい文章から始まります。平仮名ばかり、誤字脱字も多い文章。しかし手術を受けたチャーリイの知能が発達して行くにつれてその文章は次第に読みやすく整ったも能登なり、やがては当初のチャーリイが書いた文章とは似ても似つかないほど複雑で巧みな文章へと変化していきます。

 チャーリイの目に映る世界の解像度が上がっていく様を、チャーリイの書く文章から追体験する小説、それが本作です。世界の解像度の変化を文章によって描き出す、まさしく小説という媒体を最大限に生かした作品。私の中でこの「アルジャーノンに花束を」は、文章で読んでこそという思いがずっとあり続けていました。

 そして今回観たミュージカル版。ミュージカルでしかできない「アルジャーノンに花束を」を観ることができたな、というのがまず最初に言いたい感想です。まず目を引いたのが、やはりアルジャーノンの存在。アルジャーノンはネズミなので台詞はなく、すべてをダンスや動きだけで表現する役です。人間が演じていながら、舞台上ではアルジャーノンはネズミにしか見えなくなる、というのは演劇ならでは。そしてダンスでアルジャーノンを表現するのは、ミュージカルだからこそできることでした。

 そして冒頭でも書きましたが、本作で私は「チャーリイ・ゴードンと出会い直す体験」をしました。
 11年前から原作を何度も読み返して、チャーリイの視点で物語を追って、自分はチャーリイ・ゴードンという人間を知っているのだと、ずっとそう思ってきました。
 しかし今回ミュージカル版で異なる視点からチャーリイを観たとき、チャーリイはこんなにも遠かったのかと。常にチャーリイの視点だけで描かれる原作と違い、ミュージカル版ではチャーリイを客観的に、あるいはキニアン先生をはじめとする、チャーリイを取り巻く人々の視点を通してチャーリイを見ることになります。
 他人から見たチャーリイの変化はどんな風に映っているのか。キニアン先生から見たチャーリイ、あるいはニーマーやストラウスから見たチャーリイはどんな存在なのか。「チャーリイ・ゴードンの書く経過報告」というフィルターを通すことなく改めて客観的に見るチャーリイ・ゴードンはとても新鮮で、だからこそ自分と違う部分や同じ部分を見つめ直すことになったように感じますし、原作を初めて読んだ時から11年経ってようやく、一人の他者として、自分としてチャーリイと向き合うことができたのではないかと思いました。

 そして、チャーリイの人生を改めて客観的に追いかけながらたどり着いたラストシーン。IQが再び低下し元の性格に戻ったチャーリイがウォレン養護学校という障害者のための入所施設に行くことを決めるところで物語が終わる、というのは原作通り。しかしミュージカル版では、「登場人物が手に持った花束をチャーリイに捧げる」という演出になっていました。「アルジャーノンに花束を」ならぬ、「チャーリイ・ゴードンに花束を」とも言うべき演出。チャーリイを取り巻く人々がチャーリイと向き合い、時に彼を恐れ、愛しながらも、最後はチャーリイがアルジャーノンに花束を手向けることを望んだのと同じように、チャーリイに花束が捧げられる。花束は、チャーリイは一度は失い、もう一度獲得した笑顔や優しさ、暖かさの象徴であるようにも見えました。

 ミュージカル版において印象的なのが、タイトルロールでもあるアルジャーノンの存在。時にチャーリイの内面やチャーリイの幼少期を演じるアルジャーノン。アルジャーノンとチャーリイは同じ手術を受けた存在であり、チャーリイとは唯一同じ立場を共有することのできた存在でもあります。そんなアルジャーノンが、チャーリイの心やチャーリイの幼少期などの「もう一人のチャーリイ・ゴードン」を演じることにより、チャーリイとアルジャーノンがより一層不可分の、そしてチャーリイにとっては唯一無二の存在であることが色濃く描かれていました。

 物語は原作を結ぶ最後の一文で締めくくられます。「どーかついでがあったらうらにわのアルジャーノンのおはかに花束をそなえてやてください。」と。ここでもう号泣。

 久しぶりに演劇の形で観た「アルジャーノンに花束を」。懐かしさもあり新鮮さもあり楽しかったです。

 本日もお付き合いいただきありがとうございました。