【小説】犬?

 高校を出てから駅に着くまで、よく犬の散歩をしている人とすれ違うんですよね。あの人と、あの人が連れていた犬?もそうでした。
 初めて見たのは、去年の六月頃だったかな。もうかなり日が長くなったので、部活を終えて六時くらいに学校を出てもまだ明るかったんです。同じ部活の友達と話しながら住宅街の道を歩いていると、犬の散歩をしている女性とすれ違ったんです。
 そのときはちゃんと見なかったけど、色は黒で、全体的にふわっとしていて、パッと見た感じはプードルみたいでした。足の長さはダックスフントくらい、かな。見慣れない犬だったけど、ミックス犬かな、くらいにしか思っていませんでした。友達と一緒に「こんにちはー」みたいな挨拶をしてみたら、普通に「こんにちは」と返してくれました。
 その日から、毎日同じ時間帯に、同じ人とすれ違うようになりました。まあ、散歩の時間はだいたい決まっているだろうし、ここの道が散歩コースなんだろうな、としか思わなかったんです。
  夏休みに入ってからも、部活のために週に何度かは学校に行っていました。朝の九時ちょっと前、でしょうか。また、あの人とすれ違ったんです。そのとき私は友達と一緒に登校はしていなくて、一人で学校に向かっていました。そしていつもと同じように挨拶をしたんです。
 私が「おはようございます」と言ったら、あの人もおはようございます、と返してくれました。でもそこで、何かがおかしいことに気がつきました。その人、口が動いてなかったんです。確かに、声は聞こえたのに。
 そのとき、ちょっと不気味だな、とは思いました。でも部活のこともあるし、その時はあまり気にせず、学校に向かいました。
 帰りもまた、その人とすれ違ったんです。夕方の六時くらい。「こんにちは」と挨拶したら、やっぱり挨拶を返してくれました。でも、今回も、口が動いているようには見えなかったんです。
 そのとき、気がつきました。声が聞こえるのは、あの人が散歩させている犬の方だってことに。
 でもそんなわけないと思って、私は駅までの道を急ぎました。あんなにはっきり喋る犬なんて、いるわけないですから。
 次に部活動に行ったのは三日後。その日の部活は早く終わって、学校を出たのはだいたい午後の三時頃でした。
 内心、ほっとしてたんです。あの不気味な人と、すれ違わなくて済むんだ、と思って。その日は友達と一緒に帰ることになっていたし、そんなに心配していませんでした。
 でも、その日、あの人はいたんです。あの犬も一緒でした。
 私は友達の方を見て、なるべくあの人に視線を向けないようにしていました。でもその時、友達が「こんにちは」って、声をかけたんです。
 私はあの人の方を、思わず見てしまいました。正確に言うと、あの犬の方を。
 私は初めて、あの犬の顔を見ました。いや、この言い方は、語弊があるかもしれません。顔は見ていません。顔は。
 あの犬、顔が、なかったんです。目や鼻や口がついているはずの場所には、子供がクレヨンで塗りつぶしたみたいに、ただ真っ黒でした。でもその真っ黒な中に、丸い、白い穴があいて、私は見たのです。その穴が口みたいに動いて、「こんにちは」と言うのを。
 信じられないですよね。でも確かに、あの穴は明らかに「こんにちは」と言うときの口の形をしていたんです。
 私が見たあれは、犬ではありませんでした。そしてあの女性は、誰だったのでしょうか。そもそも、「何」だったのでしょうか。
 私は怖くなって、その日以来、駅から学校まで行くルートを変えました。今でもその人?と、犬のような何かがあの道を通っているかどうかは、わかりません。