ミュージカル「フィスト・オブ・ノーススター 北斗の拳」観劇感想③
こんにちは、雪乃です。ミュージカル「フィスト・オブ・ノーススター 北斗の拳」、2回目を観ました。以下、感想文です。
前回の感想はこちら↓から。
今回は見に行くまでに原作を第2部まで読んだ上で観ました。しかし原作はまだ1周目なので、「北斗の拳」そのものへの解像度の粗さみたいなところに関しては今回もご了承ください。
そしてせっかく原作を買ったので、こういう写真を撮ってみました。
文庫版の6巻です。なんで6巻を持参したのかといいますと、名曲「兄弟の誓い」にあたるシーンが収録されているのが6巻なんですね。あと私が今めちゃくちゃサウザーに狂ってるので……(文庫6巻でサウザーが死ぬのでマジで重要な巻)。
今回買った公演グッズ。トートバッグです。キャラクターのイラストが可愛い。ちなみに裏面には北斗七星が書かれています。
今回は2回目ということもあり、1回目よりもかなり観やすかったです。1回目では少し唐突に感じてしまった展開も今回は滑らかに見えて、より1本の芝居としてのまとまりを強く意識して観劇しました。
今回は前回よりも近い席で観ることができ、そのおかげでより細かい芝居にも着目できて良かったです。特に序盤のシーンのユリアとケンシロウのアイコンタクトもしっかりと見られて、言葉にしなくても伝わる2人の愛に心がぎゅっとなりました。
あと1回目で「え、そういう演出⁈」となった、2幕冒頭の虎。2回目だとそこまで違和感はなかったですね。
緻密な照明の使い方も「フィスト・オブ・ノーススター」の魅力の一つ。特にユリアの歌う「死兆星の下で」というナンバーでは、ユリアにまるで後光が差しているかのような照明に痺れました。
前回の観劇では気が付かなかった演出にも気が付くことが出来ました。幕開きに北斗七星が浮かび上がる瞬間には今回初めて気が付きました。また、シンがケンシロウの胸に7つの傷を刻むシーンでは、後ろのスクリーンにケンシロウの傷が映し出されるんですね。前回見落としてました。
では、キャスト別感想の方を。
まずはケンシロウ役、大貫さん。歌に芝居にダンスにアクションにと大活躍な我らが主人公です。アクションの比重がめちゃめちゃ大きい上にソロダンスもソロ曲もある、ケンシロウというお役をシングルキャストで演じてるのが凄すぎる。何者……?「アタァ!」の声も、より磨きがかかっていて「ケンシロウだ!!」とテンションが上がりました。
悩み苦しみ、それでも哀しみを背負い立ち上がるケンシロウ。絶対的な拳の強さは原作そのままに、より人間らしさを浮かび上がらせた苦悩の芝居が圧巻でした。
そして今回グッと来たのが、南斗最後の将のもとへ向かう直前にバットやリンに送り出されるシーン。あそこでケンシロウはバットの頭を一瞬撫でようとして、でもやめて、代わりに拳をバットの胸に置くんですよね。あの手元の動きだけで、バットがケンシロウにとって守るべき存在ではなく、守りたいものを託せるような相手になったことが分かりました。
そしてユリア。今回は平原ユリアです。以前からミュージカルに出演されているのは存じていましたが、実はそんなにお芝居のイメージがなくて。しかし今回生で拝見したら、もうめちゃくちゃユリア。セリフの声のニュアンスがアニメのユリアに近かったように感じました。
「死兆星の下で」の、圧倒的「慈母星」感。劇場を、そして荒廃した世紀末世界を包み込むような歌声に鳥肌が立ちました。
セリフの声がすごく澄んでいて繊細で柔らかくて。高貴さと、そして優しさの同居したヒロインでした。
ユリアが歌うナンバーといえば、私はやはり「氷と炎」が大好きなんです。ケンシロウとラオウの間に立つユリアが歌い上げる圧巻のアリア。平原ユリアの「氷と炎」には、ケンシロウとラオウに寄り添いながらも周囲にエネルギーを与えるようなエンパワーメントな魅力をまとっていました。
前回はMay’nユリアを拝見したので、ユリアはダブルキャストを両方観ることができました。その上で違いを考えると、平原ユリアは少年漫画的ヒロインで、May’nユリアは少女漫画的ヒロインだったかな〜と。
平原ユリアはケンシロウやラオウ、トキ、そしてシンにとっての憧れの存在。表現が古いかもしれませんが、いわゆる「学園のマドンナ」的なクラシカルなヒロイン性があるユリアでした。
天上で静かに光り輝き、誰もがその輝きを得ようと手を伸ばす存在というイメージです。静かに、己の命の炎が燃え尽きるまでひたむきに生きようとするユリアでした。
対してMay’nユリア。クラシカルな平原ユリアと比べて、現代的なヒロインだったかなと。ケンシロウへの愛に、ラオウへの想いに、より能動的に向かっていく存在。ケンシロウとの存在も愛が強調されていますが、きっと存在したであろう「恋」の面影を残すユリアは母のイメージを投影される存在というよりも、等身大の女性という印象です。天上で静かに輝くよりもむしろ、自分から大気圏に突入してきそうなエネルギー溢れる慈母星でしたね。その大気圏を突破したときの誰よりも強い、そしていつか燃え尽きてしまう宿命を思わせるような輝きが印象的なユリアでした。
ラオウ。今回は宮尾ラオウです。幕開きの圧倒的な強者のオーラに痺れました。ひたすらに強く世紀末覇者として突き進むラオウ。ラオウが強者として存在すればするほどに、人間的な弱さが覗くシーンの痛みが増すようでした。強者であるが故に哀しみを知らず、ユリアをその手にかけることでしか愛を知る手段を見出せなかった、誰よりも哀しい人間。ラオウの強者らしさが前面に押し出されていたからこそ、その強者ゆえに背負うものが響きました。
バレエ出身の方ということもあり、アクションシーンもキレがあってめちゃくちゃかっこよかったです。
前回福井ラオウを観たので、ラオウも2パターン制覇できました。
福井ラオウはラオウの持つ弱さを繊細に描いていたイメージ。弱さや脆さもある、1人の人間としてのラオウの印象が強いです。そしてその上であの低音(しかもとんでもない美声!)を響かせることで、ラオウの覇者たる所以も伝わる。そしてトキやケンシロウとの繋がりもより強く伝わるラオウだと感じました。
対して今回拝見した宮尾ラオウ。拳士として支配者として、強さの伝わるラオウでした。そして強さを描くほどに、それに立ち向かっていくトキやケンシロウの強さも解像度が上がる。北斗の長兄として覇者として絶対の存在を確立したラオウでした。
レイ。今回は伊礼レイです。ジュウザと同じ人がやっていることが信じられないくらいにはレイでした。哀しみを、痛みを背負いながらもケンシロウやマミヤとの出会いで変わっていくレイ。その変化が凝縮されつつも細やかに、確かに伝わるレイでした。
前回は上原レイを拝見したので、その違いを書こうと思います。
上原レイは孤高の拳士、という印象を抱きました。そして孤高ゆえに、ケンシロウやマミヤとの間に生まれた繋がりが胸を打ちます。一方の伊礼レイは、原作にも通ずるケンシロウとの協力感が強かったかなと思います。そしてバットやリンを見るときの何気ないシーンにも、ちゃんとお兄ちゃんなんだな~と思えるような頼りがいを感じました。
マミヤとの関係性については、上原レイが「戦友」という感じ。同じ前線で戦う、戦士同士の結びつきの方が強く感じられましたね。伊礼レイは割としっかりめに「愛」をしていた気がします。原作を読んでもこの2人はラブストーリーという感じではないのですが、しかしそれでも愛がよくわかるレイとマミヤでした。
ジュウザ。今回は上原ジュウザです。舞台に登場した瞬間の、客席の「待ってました」感がすごかったです。
上原ジュウザはまず顔面の作画が完全に原哲夫先生の絵柄なのでビジュアルの時点で再現度が高いのですが、ビジュアル以外もしっかりとジュウザ。抜きのある芝居のイメージのない方でしたが、振る舞いや台詞回しのナチュラルさがどれもまさしく「雲」。私の中ではダントンやアンジョルラスに匹敵する当たり役なんですかどうでしょうか。
前回は伊礼ジュウザを観たので、違いを考えてみたいと思います。どちらのジュウザも魅力的でしたが、伊礼ジュウザは哀愁のあるジュウザだったと思います。女性たちと戯れるのを楽しみながらも、どこか常に虚しさが滲むようなジュウザでした。それに対して、上原ジュウザはとにかく色気のあるジュウザ。ユリアへの想いは叶わなかったけれど、今は今としてすべての瞬間を全身で謳歌しているようなジュウザでした。
あと、伊礼ジュウザはヴィーナスたちを守ってくれそうな感じがあるのに対し、上原ジュウザはむしろヴィーナスたちに「守ってあげたい」と思わせてそうだな、と感じました。
リン。今回は山崎リンを拝見。
まず何よりも、歌がうまい。「アニー」ご出身というだけあって、ひたすらに歌がうまかったです。まず「心の叫び」のシーンでの「ケーン!!来ちゃだめ~!!」の時点で声の通りがめちゃくちゃ良くて圧倒されました。
そして涙なしには観られない名シーン「最後の真実」。最後の「選ぶ」の歌詞のところの、天を突き抜けるような歌声が圧巻。強くてどこまでも澄み切ったリンの姿に、原作第2部で描かれている、北斗の軍の若きリーダーになったリンを見出さずにはいられませんでした。
近藤リンは等身大の「子ども」として存在しているがゆえに未知数の魅力とまだ見ぬ未来を宿していたのに対し、山崎リンは成長したリンすらをも思わせるリンだったと感じました。私が第2部を履修したからというのもありますが、今のリンの延長線上に、あの愛に生きる真っ直ぐな大人に成長したリンが見えるようでした。それに対して近藤リンは、数年後のリンに至るまでを、これから成長していく姿を見たいと心の底から思えるリン。どちらのリンも奥行きがあって素晴らしかったです。
トキ。トキは前回と同じ小野田トキ。何度拝見しても、歌声とお芝居が本当に好き。死の灰を浴び、人を救うことに残りの命を捧げようと決意するシーンの歌声でもう泣きました。儚げで柔らかくて、しかしその中にも確かな強さと、拳士としての矜持があるトキ。カンサンドラで見せる北斗有情拳もまさしくトキそのもの。ラオウの弟として見せる姿も、ラオウとの確かな繋がりを感じさせます。なんていうか、もう在り方が完全にトキなんですよ。最期の一瞬、そして死後までラオウに憧れる幼少期のトキの面影が覗くところが本当に好きです。
そしてシン。シンは前回同様植原シンです。2回目の観劇までに原作を履修したのですが、その上でもなおシンがシンすぎる。
原作を読んだ上で舞台版のシンを改めて見るにあたり、実は不安がひとつだけありました。それは、原作のシンの初登場シーンが頭をよぎってしまわないかということです。原作のシンも好きなんですが、原作だと彼は初登場シーンがまさかの全裸なんですよね。着ろよ。
結論から言うと、原作の初登場シーンはまったく頭をよぎることなくシンを見ることができました。原作のシンの要素もアニメのシンの要素も持ち合わせた、舞台ならでは芯の通ったシンが本当に素晴らしかったです。
原作とは少し違う感情の動き方をするけれど、それでもなお彼らしい愛の貫き方をするシンが最高。ケンシロウに対して抱いている感情が「ユリアの愛を競うにふさわしい存在」であるところも、シンをケンシロウの「強敵(とも)」たらしめていて好きなんです。
最後はボロボロになりながらも、剥き出しの魂と拳でケンシロウに挑みそして果てていく姿が目に焼き付いています。
バット。シングルキャストなので前回同様渡邊バットでしたが、やはりバットがバットすぎる。原作を第2部まで読んだ結果、「北斗の拳」で一番カッコいいのはバットだという結論にたどり着いたのですが、舞台のバットもカッコいいです。「フィスト・オブ・ノーススター」は世紀末救世主伝説でありつつ、バットという1人の少年の成長譚でもあると思いました。人間ならば誰しもが持っている「ゆらぎ」の表現がすごく繊細で解像度が高くて、リアルな人間として存在しているバットです。
「暴力バンザイ」ではバットが世紀末を生きる姿も力強く歌い上げながらも、次第に彼の抱える弱さに焦点を当てていくナンバー。一方「心の翼」のリプライズでは、バットが自分の弱さを確かめ、それがやがて揺るぎない強さへと展開していくナンバー。1幕と2幕のこの対称性がバットの成長を象徴的に表現していました。
マミヤ〜!!!!シングルキャストなので今回も松原マミヤです。誰もがこの人についていきたいと思わせる、凛とした理想的なリーダー。マミヤの立ち姿をそのまま写しとったような凛とした力強い歌声と圧倒的な歌唱力は圧巻です。しかしマミヤもまた、ダグルに消えない傷を刻まれた痛みを抱える人間でもあります。
そして原作軸のマミヤとの違い。それは「女として」どうあるか、みたいなところがクローズアップされているか否かでしょう。
原作のマミヤは、ユダに連れ去られて消えない傷を刻まれた女性。「女を捨てた」という旨のセリフが本人の口からも、マミヤの過去を知る長老からも語られています。レイもマミヤに対して「女として生きろ」と言っているシーンがあったり(もちろんレイがマミヤの幸せを願った故のセリフであることは重々承知しています)。
で、今回のミュージカル版。「女を捨てた」「女として生きる」みたいな部分はバッサリとカットされています。原作やアニメにおいてマミヤがらみのエピソードは連載当時の時代を産地直送したような描写が多かったので、舞台にする上での改変ではここが最も良かったと思いました。ミュージカル版はマミヤの傷を描く上でも、彼女が人間として受けた痛みや人間として傷つけられた尊厳に焦点を当てていた印象です。
リュウケンもシングルキャストなので、前回同様川口リュウケンです。幕開きの、オーケストラの重厚さにさらなる厚みを持たせるあの声は本当に圧巻。ラオウの夢の中に現れるシーンでも、リュウケンの存在の大きさを感じました。
トウ/トヨもシングルキャストで、白羽ゆりさんが演じていらっしゃいます。今回も、同じ人がやっていることが信じられないくらいには別人。バットを想いながら果てる、トヨの最期のシーンは涙なしには観られません。
トウ役では、ユリアと一緒に歌う「この命が砕けようと」というナンバーがあります。ユリアはケンシロウを、トウはラオを愛する姿がくっきりと見えるナンバー。違う星を同じ熱量で見つめるユリアとトウの強さが際立つシーンで、劇場を満たす繊細なハーモニーに心が震えました。そしてこのナンバーが美しいほどに、トウがラオウの目の前で自ら命を絶つシーンは壮絶。しかしその行動もすべてラオウへの愛に収斂させていく、説得力のあるトウでした。
青年トキと青年ラオウの熱演も光ります。このシーンなくして「フィスト・オブ・ノーススター」なしです。
「いいかトキ もしおれが道を誤ったときはおまえの手でおれの拳を封じてくれ!!」というセリフ。ここ、原作だとすごく大きいコマで描かれているわけではないんですよね。しかし一色ラオウ、ここはかなり強調してセリフを口に出されている印象です。アニメのお芝居とは違いますが、私は舞台の言い方の方が好きかもしれません。一色さん、歌唱力や演技力もですがアクションもすごかったです。
あとは、印象に残ったシーンやナンバーについても触れておきます。
核シェルターのシーン。ここはケンシロウとユリアをシェルターに入れ、自らは死の灰を浴びたトキに視線を持って行きそうになるのですが、核シェルターに入れなかった人はトキ以外にもいるんですよね。扉1枚で隔てられる生と死は、トキ以外の人々が扉の外に存在するからこそリアリティをともなうと思いました。
「暴力バンザイ」はバットと群衆が中心となるナンバー。ここでは、拳士や支配者ではないごく普通の民衆でもごく当たり前のように奪い合いをしています。食糧を奪おうとした人が逆に上着をはぎ取られたり、バットがせっかく手に入れた食糧を奪われたり。ここのナンバーは世紀末とは何たるかを象徴的に描いています。皆自分が生きるために必死で、他人なんて構っている余裕はない。世紀末という時代を現代と地続きにする上ですごく重要なシーンです。「暴力バンザイ」は世紀末の解像度を上げる役割を持つと同時に、群衆をただ圧政に苦しむだけではない能動的な存在にしています。
続いて、ケンシロウが歌う「心の叫び」。このナンバー、実は制作発表で聞いた際に「結構抑えめだな~」と思ったんですよ。
1幕で歌われる主人公のソロナンバーといえば、エネルギーを思いっきり溜めて、その上で一気にエネルギーを解放するナンバーという印象がありました。すべての主人公のナンバーがあてはまるわけではないですが、多くが「I wantナンバー」と呼ばれる、主人公の理想や夢を歌い上げるもの。ワイルドホーン作曲の歌だと「デスミュ」の「デスノート」や「スカーレットピンパーネル」の「ひとかけらの勇気」あたりでしょうか。
で、「心の叫び」に話を戻します。この「心の叫び」。実際に舞台の上で聞いたら、それほど抑えめな印象はありませんでした。エネルギーを爆発させるポイントにアクションを持ってきているあたりが「北斗の拳」ならでは。ケンシロウが牢屋の鉄格子をこじ開けリンを助けに向かう行動とメロディが共鳴し、そして音楽と肉体が一体となりながらアクションへと移行していくことで、まさしく唯一無二の「心の叫び」が具現化されていました。「結構抑えめだな~」とか言ってたあの日の己を殴りたい。
トヨとミスミが中心となって歌う「忘れられない恋」。このシーンはミュージカルらしくて好きなんです。現実がごく自然に夢に溶けていき、ケンシロウが幻想の中だけでユリアと再会する。そしてささやかながらロマンティックなデュエットダンスを踊る。しかしユリアはケンシロウの手を離れどこかに消えてしまい、また現実に戻っていく。この流れはミュージカルにおいて「こういうのが観たいんだよ……!」が詰まっています。レイとマミヤ、バットとリンの2組のコンビも含めミュージカルにおける「観たい」が存在する「忘れられない恋」、ミュージカルナンバーというかほぼ福利厚生。オタクに手厚い。
そしてミュージカルだからこそ描ける恋愛的なニュアンスを含ませると同時に、群衆たちの幸せを描くことにも大きな意味があると思っています。奪い合いをすることなく、人とのつながりを大事に、今ある幸せを大事にしていける強さ。きっとこれが、人間にとってあるべき強さなんだと思わせてくれる。「暴力バンザイ」とは別のベクトルで、群衆の生きるエネルギーに溢れているナンバーです。
群衆が印象的なのは、1幕ラスト。救世主を求める群衆のコーラスが大好きなんですけれども、群衆は救世主をただ受動的に待っているだけの存在ではないんですよね。皆それぞれにも人生があり、守るべきものがある。しかし自分の力だけでは守り切れないものは、どうしてもあって。だからこそ、心の底から救世主を求めるんです。自分のために戦うことの延長線上にケンシロウが存在していることをきちんと描いてくれる1幕ラスト、本当に好き。
あと、外せないのがやはり「無想転生」。ここでは戦いの果てに散っていった「強敵(とも)」たちがケンシロウの背後に現れます。ここは原作どおり。しかしミュージカルでは、この「無想転生」に群衆を登場させていました。群衆もまた戦う存在であり、またケンシロウが強くなるために不可欠な存在であることを実感させてくれました。彼らの哀しみをも背負うからこそ、ケンシロウは世紀末救世主として立ち上がる。1幕ラストがあるからこそ光る演出であり、また群衆を「無想転生」に登場させることができるのは演劇ならではだと思います。
本当はもっと書きたいことがあるのですが、マジで今日中に書き終わらなさそうなのでここで一旦切ります。また明日以降に続きを書きたいです。今本当に眠くて、考えた文書を1秒後には忘れているくらいには頭が回ってないので。
本日もお付き合いいただきありがとうございました。