ミュージカル「フィスト・オブ・ノーススター 北斗の拳」観劇感想⑥

 こんにちは、雪乃です。5回に渡って書いてきた「フィスト・オブ・ノーススター 北斗の拳」」観劇感想。今回はその最終回です。たぶん。いよいよ大千秋楽も目前に迫ってきました。とりあえず、感想文は一旦ここでひとつの区切りとしようと思います。

 ①から⑤までの感想文はこちらから。

 今回は全体のまとめということで、「ここがすごかったよアタタミュ!(※)」をお送りしたいと思います。

※アタタミュ:まさかの公式略称。略称が北ミュとかになるかと思ってたらそんなことはなかった。

ここがすごかった①音楽

 「フィスト・オブ・ノーススター」の作曲は、あのフランク・ワイルドホーン。「ジキル&ハイド」「スカーレットピンパーネル」「ルドルフ ザ・ラストキス」「デスノート」等数々のミュージカルを世に送り出した作曲家です。ワイルドホーンが楽曲提供してる時点で、もう名曲が生まれない訳がないんですよ。一曲一曲の濃さもまたワイルドホーンらしくて、どの曲もすごく好みでした。しかも生オケだったので最高。
 それぞれのキャラクターのパーソナリティーを音楽で書き分けるところに漫画原作らしさはありつつ、それでいてリプライズの使い方はきっちり王道のミュージカル。本作のI wantナンバーにあたる「心の叫び」が1幕ラストでケンシロウの苦悩と目覚めを描く11 o'clockナンバー的な曲に転じていくところは、ミュージカルでしかできない表現だと思います。
 人間の心情に寄り添い、人間の恐ろしい面もいとおしむべき部分にも光を当てるワイルドホーン音楽の良さが、世紀末に生きる人間の愛と哀しみを描く「北斗の拳」という物語の本質とうまくマッチしていました。
 そして私はワイルドホーンの作るヒロインの曲が大好きなのですが、「フィスト・オブ・ノーススター」も超良かったです。願わくばマミヤのソロ曲が欲しかった~!
 「死兆星の下で」や「氷と炎」などユリアの歌う曲はもちろんのこと、トウとユリアの歌う「この命が砕けようと」がすごく良くて。「ジキル&ハイド」の「その目に」が大好きなので、女性2人によるデュエット曲があって嬉しかったです。

ここがすごかった②ダンス

 そもそもケンシロウ役をスーパーダンサー大貫さんがされている時点で、もうダンスは絶対見ごたえあるだろうなと思っていましたが実際もすごかったです。1幕ラスト「決意」のケンシロウのソロダンスは、魂の震えがそのまま振りになっているような圧巻のダンス。あと大貫さんの跳ぶ高さと滞空時間がおかしい。完全に飛んでましたねケンシロウ。足の上がり方や角度が完全に漫画そのままでした。人間の身体ってあんな動き出来るんですね。
 ソロダンスだけでなく、印象に残ったのが群舞。冒頭で起こる核戦争はダンスによって表現されていたのですが、人間1人1人の動きを通して世界の動きやうねりそのものを描けるのもミュージカルならではです。拳王軍の振り付けも好きだし、「ヴィーナスの森」のヴィーナスたちのダンスも、艶やかながらもアクティブで生命力にあふれていて最高でした。
 あとすごかったのがシン!!!シンはダブルキャストでしたが、とにかくお二人ともすごかった。「拳王の進軍」はロックなダンスナンバーなのですが、ここで踊りまくるシンが、拳士としてのフィジカルの強さを感じさせてくれてマジでカッコよかったです。あのマントをつけた状態でアクロバットができるのもすごいんすけど、何より踊ってるシンの指先が「南斗聖拳」すぎて痺れましたね。

ここがすごかった③キャストが神

 キャスティングがとにかく神ががってました。シングルキャストで演じられているキャラクターは「もうこの人しか考えられない」というくらいぴったり。ダブルキャストで演じられているキャラクターはキャストごとにまったく違う、しかしキャラの本質に深く切り込んだ解像度の高いアプローチを見ることが出来ました。

 せっかくなので、ざっくりとキャスト別感想を。もうこれ既に3回やってるんすけど、まとめってことでお付き合いください。

 大貫ケンシロウ。ケンシロウ役はもうこの人しか考えられません。ダイナミックに躍動する身体表現と、心の震えを肉体に写し取る繊細さが同居する圧巻のダンス力が、ケンシロウというお役をまとったときに爆発していました。そしてケンシロウというキャラクターが生身の人間の肉体を得たからこそ描ける、1人の人間としての苦悩。このケンシロウに出会えてよかったです。

 ユリアはダブルキャスト。異なるユリアを見ることが出来ました。あとどちらのキャストで観ても歌唱力という名の戦闘力がやばい。世紀末獲れる。ちなみに私はユリアの歌う「氷と炎」が好きすぎてチケットを追加しました。
 平原ユリアは、天上で静かに光り輝き時代を照らす慈母の星。クラシカルなヒロイン性ゆえに、ラオウ、トキ、ケンシロウ、そしてシンから思いを寄せられる永遠のヒロイン像に説得力がありました。
 May'nユリアは、たおやかさや品格はありつつも自分から動いていくユリアでした。ケンシロウとの関係性もより「恋」を思わせる一面が際立っていて、だからこそラオウへの想いに異なる色付けがされていることが明確でした。

 トキもダブルキャスト。お二人の今までのお役を考えたら結構傾向としては異なると思うのですが、お二人ともトキだったからすごいです。
 小野田トキは、最後までラオウに憧れる少年時代の輝きを宿していたトキ。声もお芝居も柔らかくあったからこそ、最後まで誰かを想い続けるトキは儚くも美しかったです。
 加藤トキは、ラオウの「強敵(とも)」であり続けたトキ。医学の道に進みながらも拳士として世紀末に生き続けたトキであり、そんなトキだからこそ死の間際に消え入りそうな声で歌う「兄弟の誓い」のリプライズが印象的でした。

 ラオウもダブルキャストです。
 福井ラオウは、ラオウの持つ潜在的な弱さや脆さを描くからこそ、覇者となった彼の強さが際立つラオウでした。そして歌唱力が世紀末覇者。
 宮尾ラオウは、強さを前面に押し出したラオウ。しかしだからこそ、ラオウの弱さや人間味が浮き彫りとなるシーンにグッと来ました。

 シンもダブルキャスト。
 植原シンは、気高さがあるシン。その気高さをかなぐり捨てたときの、むき出しの魂で世界に挑んでいく姿は、シンの痛みを伴った強さ、そして「殉星」の宿命を感じました。
 上田シンは、全体的に硬質で野心に溢れたシン。世紀末に一人の拳士として生き抜いてきたシンがユリアに対して見せる、鎧が剝がれ落ちたような脆さが記憶に残るシンでした。

 レイとジュウザはダブルキャストかつ役替わり。お二人とも顔面の作画が原哲夫先生の絵柄なので、ビジュアルの再現度がすごかったです。
 上原レイは復讐に生きた過去を持つ孤高の拳士。しかしその孤高さが、ケンシロウに自身の愛と哀しみを託す姿を際立たせていました。
 伊礼レイは、よりお兄ちゃんだったな、と思います。リンやバットといるシーンにも、ちゃんとアイリのお兄ちゃんとして生きていた過去をのぞかせてくれるレイでした。

 上原ジュウザは色気があって奔放で、刹那的で享楽的。ヴィーナスたちに「守ってあげたい」と思わせてそうなジュウザでした。
 伊礼ジュウザは、色気とともに哀愁のあるジュウザ。ヴィーナスたちにはむしろ「守ってくれそう」と思わせてそうなジュウザでした。

 リンもダブルキャスト。どちらのリンもリンすぎたので、このお二人で第2部のリンをやってほしいです。
 山崎リンは、のちに北斗の軍を導くリーダーになった第二部の姿が見えるリンでした。天帝ルイと同じDNAを持っていることや、その宿命までをくみ取ったリンは、第2部のヒロイン誕生を確かに感じることができました。
 近藤リンは、世紀末であってもなお等身大の「子ども」として存在しているリン。子どもとして存在しているからこそ、大人たちのエネルギーを引き出す姿に説得力がありました。

 バットはシングルキャスト。もうバットは渡邊バットしか考えられません。「心の翼」のリプライズで聞くことのできる伸びやかな歌声に、限られたシーンの中でもバットの成長を確かに描き出す芝居力と説得力。特に「暴力バンザイ」のシーンで、日生劇場の舞台の上をバットの存在感が満たしていたことは忘れられません。第2部の、人としてもカッコよく成長したバットをこのバットで見たいです。

 マミヤもシングルキャスト。原作ほどヒロイン!という感じの立ち振る舞いではないのですが、凛とした強さが確かにマミヤでした。レイとの関係性も凝縮されながら、人と人との結びつきを感じることができました。あともう、シンプルに歌が上手いんですよ。ユリアと共に、歌唱力で世紀末獲れる。

 トウ/トヨ。まさか同じキャストがやるとは思ってなかったこの2役。3回拝見しましたが、同じ方が演じているのが信じられません。トヨは最期までバットの幸せを願う気持ち、トウは最期までラオウを想う気持ちを見せる。異なる愛を深く世紀末に刻む2人の女性――トウとトヨ。演じ分けも含めて、物語にぐっと深みを持たせる存在感が忘れられそうにありません。

 リュウケンもシングルキャスト。まずあの重厚な美声で「フィスト・オブ・ノーススター」の世界に誘われます。あの声で「北斗神拳!」と言って頂いただけでもう日劇まで来た甲斐があったというもの。ラオウの記憶の中に現れるリュウケンの存在感には圧倒されました。

ここがすごかった④アクション

 「北斗の拳」といえばやはり戦闘シーン。映像をガッツリ使った漫画的な演出は冒頭の七星天心と北斗百裂拳のみで、あとはとにかく人間の肉体を最大限に使って表現されていた印象です。
 アクションといえば、すごかったのが青年ラオウ。青年ラオウは修業時代のラオウを演じるので「やる側」と「やられる側」のアクションの両方をやるのですが、どちらであっても「ラオウ」でしかない、エネルギーの塊のようなアクションがとにかく圧巻でした。

ここがすごかった⑤あの分量をまとめた脚本

 「北斗の拳」の予習を初めて最初に驚いたのが、何よりもあの圧倒的な話数。原作第1部にあたる部分のアニメだけで109話とかありますからね。マジで当日までに観終わらないんじゃないかと思って焦りました。
 そして原作では第1部だけでも文庫版にして8冊強はある超大作。そこに登場するキャラクターの数がまず多いですし、なおかつそのキャラクターごとにバックグラウンドが与えられています。それらを削ったり改変したりつ、「フィスト・オブ・ノーススター」だけを観ても話がわかるようにまとめられていました。
 この辺の、原作との距離感は割と「レミゼ」に近いかなと思います。「レミゼ」がミュージカルとして独立して観られるように、「フィスト・オブ・ノーススター」も「フィスト・オブ・ノーススター」として観られる仕様。もちろん原作を知っていた方が分かりやすいですが、「フィスト・オブ・ノーススター」という演劇として、自分の足で立てる力を持つ作品でした。
 「レミゼ」もまたしかりですが、「フィスト・オブ・ノーススター」が演劇として自分の足で立てる作品だったのは、原作というしっかりした土台があってこそ。最初こそ分量にビビりましたが1度ハマるとペースも上がりますし、結果としてアニメも原作も履修して良かったです。ちなみに私はサウザーが好きです。第2部はシャチが好きです。よろしくお願いします(何が?)。

ここがすごかった⑥照明と映像

 照明に関しては今までも何度か描いているのですが、改めて。
 私が好きな照明は「死兆星の下で」のシーン。1回目は上手、2回目は下手から観たのですが、観る角度によって印象が変わるシーンです。
 上手から観るとユリアが天上からの光を纏っているように見えて、下手から観るとユリアに後光が差しているように見えました。
 「忘れられない恋」ではケンシロウがユリアと幻想の中で再会するのですが、ここの照明も好きなんですよね。現実と夢の境目を溶かすような、幻想的でどこかに甘美さもあるような色合いの照明。この光の中でロマンチックな2人のデュエットダンスを観られるのもミュージカルならでは。
 映像を使った演出では、やっぱり「兄弟の誓い」のシーン。ラオウとトキがリュウケンから崖の下に落とされるシーン、予想以上に「ちゃんと落ちてる……!」となりました。言い方がおかしいんですけど、ここは実際に観るとちゃんと2人が「落ちてる」ように見えるんですよ。映像を使って崖を表現することで、同じセットのままラオウとトキの対決に移行する流れもなめらかでした。

総論:「フィスト・オブ・ノーススター」という芝居を観たということ

 「フィスト・オブ・ノーススター」というミュージカルを観て、何よりも印象に残ったのが主題の明確さ。「愛と哀しみを背負うことで強くなる」というテーマを通底させることが、メインキャラクターから群衆に至るまで徹底されていました。そしてこの徹底ぶりを象徴するのが「無想転生」。奥義の名がそのままミュージカルナンバーになっているシーンですが、このシーンで「哀しみの魂」という形で群衆を登場させたのが本当に好きなんですよね。あの時代に生きる、名前の明かされない人間たちも愛と哀しみを背負っていて、その無数の愛と哀しみをさらにケンシロウが背負う。群衆のドラマを明確に描いたうえで、それをケンシロウに集約させていく。必ずしも「北斗の拳」によらない、ドラマとしての普遍性と「北斗の拳」らしさを、「愛と哀しみ」によって両立させた作劇はすごく信頼できたし、また1本の演劇としての見やすさに繋がっていたと思います。
 そしてケンシロウとユリアは2幕のラストで去っていき、ケンシロウに集約させた物語はバットやリンを始めとする「後に続くもの」たちに託されることで結ばれます。この結び方、ちゃんと最後まで人間の物語であることを徹底してくれているのが好きなんですよ。決して押し付ける形ではなく、しかし観客にとってもしっかりと「自分の物語」にしてくれる。これは舞台でしかできないことだったと思います。

 原作を「聖書」とするならば、それに新たな解釈を加え、救世主を1人の苦悩する人間として描き、1本の演劇として新たに立ち上がらせた「フィスト・オブ・ノーススター」はまさしく「ジーザス・クライスト=スーパースター」的。そこにレミゼ的なエッセンスも加えつつ、漫画原作という国産ならではの要素もあるオリジナルミュージカルの誕生に立ち会えた気がします。

 群衆の芝居に重点を置いたことや照明の使い方を含めて、とにかく演劇でしかできない表現であふれていた「フィスト・オブ・ノーススター」。アンケートにも書いたのですが、好きな曲もシーンも多すぎるのでやっぱりCDとDVDが欲しいです。後生です。お願いします。ダブルキャストなので2パターンで出してほしいです。両方買うので。

 ここからは余談なんですが、「フィスト・オブ・ノーススター」を観て、なんとなくですが「2.5次元」と「2.5次元ではないが漫画原作である舞台」の違いを考えてみました。と言っても、2.5次元は「四十七大戦」しか観たことがないのですが。
 「2.5次元」は、漫画やアニメやゲームが「演劇」という服を着て3次元世界に現れるもの。原作は肉体であり骨であり血。対して「2.5次元ではないが漫画原作である舞台」は、漫画やアニメを土台として独立した演劇作品が立ち上がっているもの。原作は演劇が立つための土台。そういうスタンスの違いがあるのかな〜と「フィスト・オブ・ノーススター」を観て感じました。

おわりに

 「フィスト・オブ・ノーススター」の感想文は、これにて一旦区切りをつけようと思います。

 最後に、ひとつだけ。

画像1

 プログラムの裏表紙です。「For Love」と書いてあります。「愛のために」――ただその、ごくシンプルな一言が重く、美しく響く響くミュージカル。それが「フィスト・オブ・ノーススター」。こういうところにも制作陣のこだわりが感じられて、アタタミュちゃん本当に推せる~!ってなります。
 愛が失われた世界で、世界が愛を取り戻す物語。誰もが、愛のために行動する物語。忘れられない、大好きなミュージカルになりました。

 愛といえば、最後に原作第2部の「愛」にまつわる台詞を引用したいと思います。

その心はだれが教えたものでもないわ
生まれた時からだれもが知っている決して消すことはできない心
たとえどんなに人殺しや裏切りがあっても人が最後に安らげる場所
それが愛なのよ

 ラオウがユリアに対する愛を、本人も自覚しないうちに抱いていたように。こと「北斗の拳」における「愛」とは、本能的なものなのだろうと思います。本能がむき出しになる世紀末だからこそ、本能としての愛は一層強く光り輝く。神によらない、人だけの「愛」は、「北斗の拳」を原作としなければ描かれなかったと思います。何が言いたいかというと、「フィスト・オブ・ノーススター」大好きってことです。

「フィスト・オブ・ノーススター」が大千秋楽まで無事に駆け抜けてくれることを祈りつつ、感想文はこれで結びたいと思います。本日もお付き合いいただきありがとうございました。

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