【小説】即席創造主

 私の研究の集大成が完成したよ。ぜひ取材に来てくれないか。そう博士に呼ばれて、私は博士が構えている私的な研究所を尋ねた。国立の研究所を追われてから早10年、私費を投じてまで続けた研究の、その集大成。博士が国立研究所にいたころから何かと取材していた縁もあり、私には真っ先に見せてくれるという。しかも「集大成」とまで来たではないか。これは期待できるぞ、と私は意気込んだ。
 案内されたのは、地下室だった。エレベーターのドアが静かに開き、現れたのは真っ白な廊下。青緑色の淡い照明が両端に沿うように設置されている。
 廊下を少し進むと、ドアがあった。博士はドアのすぐ横に付けられた認証用のデバイスに手をかざす。するとドアは音もなく開いた。
 私の眼前に広がっていたのは、何もない、白い世界だった。壁も床も天井も、その存在を認識できないほどの、白。まるで何もない虚ろな空間に放り込まれたような感覚を覚えた。
「博士、これは」
博士は私の隣に立つと、
「これが私の集大成だよ」
そう言って、満足げに白の世界を見渡した。そうして博士は、手をぱん、と叩く。
 すると私の足元は、草原に変わっていたのだ。眼前に広がる世界は白で満たされたそれではなく、青空と、どこまでも続く草原。風が私の頬を撫でた。風が草を揺らす音が聞こえた。
 私は思わず屈んで、草原に触れた。確かにそれは、本物の植物だった。立ち上がり、博士の方を見ると、
「ホログラムなどではないよ」
私の聞きたいことを見透かしたかのように、博士がそう言った。
「すべて、本物の世界だ。私はついに、世界を作ったのだ」
博士はもう一度手を叩く。するとにわかに辺りが暗くなる。夜になったのだ。そして草原だったはずの私の足元は、砂浜に変わっている。少し先には、海があった。
 私は海まで足を進めた。海に触れる。手が濡れる感覚が確かにある。上を向けば、星空が視界を満たす。
 博士はもう一度手を叩く。すると世界は再び、あの白に戻った。立っているのにそこは地面ではない。平面であるかどうかすらも分からない。
「私は世界を作りたかったのだ。研究所にいたあの時点で理論上はほとんど完成していたのだがね。あまりにも危険だと言われてしまったのだよ」
先生はそう説明する。
「しかし博士、本当にすごいですよ。これほどの技術――」
私は博士の方を見た。しかしそこに、私の知る博士の姿はなかった。
 私の身長と同じくらいの高さを持つ、山のような形をした何か。表面は泥を塗りたくったようにどろりとしていて、虹色の縞模様を持っている。さながらカラフルな木星といったところか。しかしその虹色は、絵の具をめちゃくちゃに塗りたくったような、綺麗とは言い難いものだった。虹色は時折蠢き、その度に淡い紫色の光が放たれる。
「これが代償ということかもしれない。やはり人が創造主になることを、神とやらは無条件では許してくれないらしいね」
虹色の「それ」から放たれるやや不明瞭なその声は、間違いなく博士のものだった。
「それに、協力者が必要不可欠なんだ」
虹色の泥の山のようなそれから、ぬるりと人の手が這い出てくる。あの手には見覚えがある。博士の手だ。その手は私に伸ばされ、私の腕を強く掴んだ。そのままの勢いで、博士の方へと体を引き寄せられる。
「さあ君も、私と共に創造主になろうではないか」
そのとき私は見たのだ。明らかに博士のものではない細い腕が一本、虹色の何かと化した博士の体から出てくるのを。
「人間の体にはね、宇宙を構成する物質が含まれている。私はそれを取り込み、分解し、世界として再構成する技術を開発したんだ」
博士の声は弾んでいる。新しい玩具を与えられた子供のような、嬉しさと期待に満ちた声。
 博士に引き寄せられ、私の体の一部は博士の中へと沈み始める。さらに何本もの手が伸びて、私を捕らえる。そんな光景が、脳裏にはっきりと浮かんだ。幻覚というには、あまりにも感触を伴っている。体の内側にまで手を伸ばされ、引きずり込まれる、そんな感触だ。
 抗えない。私はそう思った。次第に、自我の輪郭が失われてゆく。私が私でなくなる。私が、私たちになる。感じたのは確かな心地よさ。
 薄れゆく意識の中、最後に見たのは、目も眩むほどの光。それはもしかしたら、世界の、宇宙の、始まりだったのかもしれない。