【小説】花園に見る夢
※下に引用した話と世界観や設定がつながっていますが、この小説単体でも読めます。
僕が庭師として出入りしているお屋敷は、いつも花で溢れていた。旦那様のご息女のはる子様は花がとてもお好きらしく、いろいろ仕入れるのだそうだ。
庭の中央には、はる子様がお生まれになったときに植えられたという梅の木がある。まだ冷える空気の中、凛と赤い花を咲かせるその姿は、はる子様のようだと思った。
そういえばこの庭には、見慣れぬ花がたくさん咲いている。地を這う紫色の蔓は、毎年初夏になると、卵のような白く小さな蕾をつける。ある日その蕾は、さながら卵が割れるように開く。そして中から、赤い花が顔を覗かせるのだ。
その花は花というより、柘榴を割開いたような、その中身にも見えた。しかし柘榴と違って、中には赤黒いひだのようなものが見える。自分なりに図鑑で調べてみたけれど、名前がわからない。絵で描いておこうにも、その花は咲いた次の日には、影も形もなくなってしまうのだ。だから僕は、この花が枯れるところを見たことがない。
はる子様の通っている女学校が休みの日。はる子様は庭を訪れた。淡い青色の着物をまとった姿は、澄んだ水のように清らかだった。
「お仕事お疲れ様」
そう僕に笑いかけてくれたはる子様の笑顔は、ここにあるどんな花よりも美しい。
はる子様は庭をひとまわりしたところで、足元の、あの名前がわからない花に目を留めた。
「お嬢様」
僕は思い切って尋ねる。
「その、つかぬことをお伺いしますが……この花はなんというのですか」
はる子様は、「あら、ご存知ない?」と言って、
「この花はね、花ではないの。わたくしたちと似たような存在よ」
はる子様は、紫色の蔦に触れる。ほら、触ってご覧なさい、と僕にも促した。僕も蔓に触れてみる。それはほのかに温かく、そして、微かに、規則正しく動いている。ちょうど、僕たちの鼓動のように。
「脈を打っているでしょう。この子も生きているのよ」
はる子様は続けた。
「わたくしたちの遠いご先祖さまが住んでいた山から連れてきた子なの。もうその山は、とうに人間のものになってしまったから、この子は住むことができないけれど」
そう話すはる子様の横顔は、少し寂しそうだった。
「わたくしたちの中でも、もうこの子の存在を知っている者は少ない。若いあなたが知らないのも、無理はないでしょう」
「そうだった……のですか」
昔、今はもう亡くなってしまった祖父から聞いた話を思い出した。僕らの先祖はもともと、ある山に住んでいた。でもそこで人間との争いが起きて、僕らの先祖は山を人に譲り、人間の姿に擬態して、人間社会で溶け込んだのだ、と。
その山に住んでいたのは、僕らの先祖だけではなかったんだ。
しばらく二人で、脈を感じていた。空からは日差しは降り注ぎ、庭は光で満たされる。風もなかった。この世界に、僕と、はる子様だけがいるようにすら思えた。しかし、
「わたくし、結婚するの」
はる子様は突然、そう言った。
「え」
僕は驚いて、はる子様の方を見た。
「父様が紹介してくださったのだけれど、すごく素敵な方だったの。それに、」
はる子様は、笑っていた。
「ようやく巡り会えたの。待ち続けた、同胞に」
そうだ。はる子様は自分と同じ種族に出会うことを切望していたのだ。だから身寄りがない僕のことも、こうして庭師としてこの家で迎えてくださったんだ。
僕らの種族が人間社会に溶け込んで、もう何百年も経った。いつしか同胞との繋がりも希薄になり、誰がどこで、どんな生活をしているのかもわからない。だからこそ、はる子様はずっと待っていたんだ。同胞と、もう一度共に暮らすことのできる社会を。
「この庭ともお別れしなくてはいけないわ」
はる子様はそう言って、すっと立ち上がる。僕もはる子様に続いて立ち上がった。
「この庭を作ってくれて、ありがとう」
はる子様は、僕の手を握る。僕はどうしたら良いのかわからなくなって、
「お、お嬢様」
はる子様はなおも僕の手を握ったまま、僕の顔をまっすぐ見て、
「これからも、この庭を守って頂戴」
はる子様の力強い眼差しが、僕を捉えた。その瞳は、赤く染まっていた。
◇
祝言の前日。はる子様は、元の姿に戻っていた。身の丈は九尺で、僕が本来の姿に戻っても叶わないほど背が高い。背に沿うように生えた棘は黒く輝き、夜を貫くように天に伸びている。顔を覆う鬣は、さながら獅子のように力強い。口から覗く牙の白さ、大きな鉤爪の、その輝きも。何もかもが美しい。赤い瞳は柘榴石にも負けない輝きに満ちている。
どうかあなたのこれからの人生が、輝くものであることを、願う。