灼熱カバディに見る「リアリティ」と「デフォルメ」
こんにちは、雪乃です。私が灼熱カバディで定期的に騒ぐ時間がやって参りました。
ふと自分の過去の記事を読み返して、「リアリティとデフォルメのバランス」とタイトルをつけた項目があったのですが、よくよく読んだら全然掘り下げてないことに気が付きました。そんなわけで、今日はそのあたりを書きたいと思います。
ネタバレの範囲は単行本15巻までにしようかとも思っていたのですが、書いているうちに普通に2020年11月時点で単行本未収録になっているエピソードも入れてしまいました。すみません。
「灼熱カバディ」におけるリアリティ
まず、「リアリティ」が優先されていると感じた描写や演出から見ていきます。
リアリティ、写実性が重視されているのは、やはり表情ですよね。私、確か最初に灼熱カバディについて書いた記事で「合宿編でリアリティとデフォルメのバランスが定まった」みたいなことを書いたと思うんです。
単行本4巻から始まる合宿編で、このあたりで表情の書き込みが安定した気がするな~みたいな、私の体感の話でしかないんですけど。厳密に言うと5巻からかな?
5巻の中でも、特に神畑さんと人見くんのシーンを例にしていこうと思います。この二人が特にリアリティの極致だと思うので……。
①神畑樹というひと
神畑さんは、強豪校ながら星海高校に敗北しているために万年2位という地位にある英峰高校の部長。身長が203㎝もある彼は、体重制限(作中では80㎏)のあるカバディを続けていくうえで過酷な減量を強いられています。初登場は4巻ですが、彼の人間性が現れるのが5巻。他校の1年生に「関東2位…ですよね?」と言われたときに「2位だぞ…?」と返したコマの表情がすごくグッとくるんですよ。下瞼の薄く透ける血管から指の皺に至るまでの描き込みがすごい。しかも次のページでの乾いた唇のコマとかヤバくないですか。水分すら抜いてるんですよこの人。それに続く、星海高校に対しての「ブッ殺すぞ…!」の圧。一歩間違えれば大仰に見えてしまうこの台詞ですが、台詞の圧を裏付けるのが何と言っても表情。スクリーントーンと合わせて線を重ねることで描かれる顔の陰影はやはり漫画ならでは。
それに続く台詞が「腹ぁ…減ったな…」なのが良いですよね。そうだよ、神畑さんだってまだ高校3年生の男子なんだよ(涙)。てかそれ以前に人間なんだよちゃんと。この台詞の表情はわかりません。描かれていないから。以前も別のシーンに対して書きましたが、あえて読者に「見せない」演出が好きなんです。どんなシーンでも見られるはずの読者でさえ想像するしかない。他人とは本来理解できない、見えない面があって当然。だからこそ、見えない表情があって初めて、キャラクターは読者にとって他者となって独立するのだと思います。
②人見祐希というひと
人見ちゃーーーん!やっと書けるよ!今までの記事ではなかなか機会がなくて書いていなかった人見祐希くんについて。
人見くんは、スポーツ未経験の状態からカバディ部に入部した1年生。その可愛らしい容姿から、登場した当初は主人公の宵越から女子だと思われていました。家族の中では、ファッションや美容の業界で働く母と姉のモデルをしていた人見くん。そんな彼は、「宵越はカバディを初めて一か月の素人である」という情報を耳にしたことで、カバディ部への入部を決意します。「もしかしたら素人(ぼく)でも」という淡い期待と共に。
でも、現実はそんなに甘くありませんでした。まあ……そうだよね……。宵越も確かにカバディでは素人ですけど、彼はサッカーという土台があった上でカバディを始めた子なのでだいぶ特殊。
以前の記事に書いた、「積んでいることへの敬意」が人見くんの描写にも表れている気がするんですよね。彼は今までの人生で「積んで」いないからこそすぐに結果なんて出ない。「そんなに…甘い訳がないのに…!」と流す涙は悔しさゆえ。54ページの表情は作中でもトップクラスの描き込みだと思います。特に顔に指を当てている部分の皮膚の皺の寄り方まで描いてありますからねこのコマ。実際に同じポーズを取るとわかるんですけど、かなり強く指を当てなければあの皺の付き方はしないです。表情に物理的な重みを与える描写が好き。リアリティの担保としての役回りが多い人見くんですが、そろそろ公式戦でも活躍してほしいな。
◇
ここで、主人公の宵越くんの話でもしようと思います。宵越は一番「リアリティ」と「デフォルメ」の振れ幅が大きいキャラクターだと思います。「不倒」の異名を持ちサッカーで活躍し、さらに精神力まで兼ね備えたスポーツエリート。主人公としてこれ以上ないほどの素質を持っているからこそ、同時に欠点も描写されています。その極致が守備特訓編でしょうね。もうあのエピソードは感情移入しすぎて読み返すのがつらいんですよ。それぐらい、やるせなさや悔しさの詰まったエピソードなんです。
そんな宵越からの、9巻の部長と副部長の会話のシーンは最高なんですよ。「場所を譲った人間」の立場を描くで、群像劇としての厚みを出すと同時に、主人公に新たな視点を提供することになる。少しずつ彼の視野が拡張されていく過程を読者も一緒に体験させる演出のおかげで、私の感情もいろいろとアップデートされたような気がします。
そして宵越を語る上で外せないのが「カット」と「バック」。必殺技、というと少し語弊があるかもしれませんが、特にバックは師匠でもある王城さんが目指しながらも身に付けられなかった、まさしく宵越だけの技。と言いつつ、改めて読み返したら伯麗戦でも奏和戦でも倒されてるんですよね。主人公の必殺技でもアンティ次第で止められてしまうのがカバディならではだなあ、と素人考えですが思います。
「灼熱カバディ」におけるデフォルメ
さて、リアリティの対極にあるデフォルメの話。いかにも漫画的な演出と言えばいいのでしょうか。そしたらもう彼しかいませんよこの話題は。私の最推しこと王城正人ですよ。
王城さんを一言で表すなら「最強の攻撃手(レイダー)」。華奢な身体ながら作中でも攻撃では無類の強さを誇ります。
王城さんが体格差をカバーするのに使っているのは「カウンター」。当方スポーツの知識がなさすぎて未だによくわかってないんですよねコレ。いや今まで何を読んできたんだよとか言われそうですけど。
2巻の本人の台詞を読むと、「人間が息を吸う瞬間の無防備な状態に自分のMAXを持っていく」技であると定義づけられています。これを駆使して、体格や筋力ではかなわない相手を倒していく王城さん。その姿は彼をご贔屓様として見ている私からすればハチャメチャにカッコいいのですが、一歩引いた目線から見ると、やはり「チート」感は否めません。
やはりここは、王城さんが王城さんという「キャラクター」であるための漫画的なデフォルメなんだと思います。その代わりに、王城さんが「人間」であるための担保を心情や周りとの関係性に持ってくることが意図だろうな、と。
漫画的な演出で言えば、前述の神畑さんも。47話「燃やすモノ」で、彼が命を燃やしているということを示すために「筋肉がむき出しになる」という演出があるんです。この1コマはまさしく漫画的。小説など他のメディアではなかなか難しいと思います。
このコマは、きっと神畑さんの減量の過酷さや執念を垣間見た人間から「こう見えた」ということなんだと思いますが、いやそれにしたって凄い。文字通り「身を削る」描写の一つの到達点でしょう。
減量やそれに伴う本音の発露(「腹ぁ…減ったな…」という台詞)、勝利への執念、星海に負けたことへの悔しさなど、人間的なリアリティが土台として描写されているからこそ、こうした漫画的な描写が映えるんですよね。
自分や他人の体の位置を正確に把握できる畦道くんの「センサー」もなかなか漫画的な能力ですが、174話「力の代償」で、「センサーは研ぎ澄まされているのに疲労で攻撃が失敗する」というのもリアルで好きです。
あと、外しちゃいけないのが我らが(?)高谷煉。聴覚に優れた彼は、音を聞くことで感情まで読み取れる能力の持ち主。ここが効いたのがファイブレイドですよね~!2020年11月23日の更新前の時点でまだ終わってませんが。能京のフェイントを突破するために全神経を集中させた高谷、カッコいいので見て。
まだまだ出番は少ないですが、個人的には星海高校の一年生・志場命くんの姿を早く公式戦で見たい。彼はバレエ出身の可能性(まだ未確定)があり、見るものに美しいと思わせるプレイスタイルを持ちます。試合中は相手に人間かどうか疑われるほど表情が変わらないなど、彼もまたデフォルメの強い造形ですが、この上でどうやってバックグラウンドが出るのか楽しみです。
演出と言う点で言えば、176話は文句なしの神回、漫画というメディアを縦横無尽に駆け回るように生かした最高の1話でした。ネタバレになってしまうので詳しくは言いませんが、とにかく全人類見て。
おわりに
本当は演出の対称性とかも書きたかったんですが、さすがに疲れているので後に回したいと思います。次は「王城正人というカバディ選手に人生を狂わされたオタクの話パート3」でもやろうかな。何回やるんだよと言われそうですが、書いても書いても足りないんですよ凄いですね王城正人。
ちなみにこれを書いているとき、母からは卒論を書いていると完全に勘違いされていました。ウケる。
「虚構」というものは、リアリティとデフォルメのバランスで成り立つメディアだと思います。灼熱カバディはその配分が天才的だと常々感じます。
「語る」ことは「騙る」こと。それを高校時代の先生に教わりました。何かを物語るという行為自体に騙りが含まれることは避けられません。チート的な部分はその「騙り」の最たるもの。しかしときに現実から離れることも、虚構を面白くするためのエッセンスでしょう。虚構が虚構であるために、それは必要なことなんだと思います。現実世界で実現しえないことほど、虚構は美しく面白いのです。
最後だけ何言ってるかわかりませんね。すみません。もしかしたら最後だけ後で消すかも。
本日もお付き合いいただきありがとうございました。