【小説】染まる

「ごめんね、私たち、やっぱり合わないと思うんだ」
アイスティーの入ったグラスを置いて一言、向かいの席に座る彼氏にそう告げた。日曜日の昼下がりのカフェに、彼を呼び出したのは私。有り体に言えば、単なる別れ話。
「な、なんで」
彼は狼狽えたような声色で言う。表情はよくわからない。
「やっぱり、俺が、こうだからか」
彼は自分の顔を人差し指で差した。群青色で、例えるならば西洋の甲冑のようなその顔はそのまま、彼の素顔。別に、ただそれだけのこと。この街にはこういう人——厳密に言えば「人」ではないのだけれど——はありふれているから、今更気にすることもない。現に今、隣の席に座っているのは狼のような姿をした二人組だ。
「違うよ」
私は彼の言葉を否定した。種族の違いとかそういうことを気にするのならば、そもそも最初から付き合っていない。
「プリンを箸で食べる時点で、ちょっとヤバいなって思ってた」
「そこ?」
「あと、私からのメールに全部単語で返すじゃん。ちゃんと意思の疎通が図れてるのか不安になる」
彼は所在なさげに、やはり甲冑のような手を彷徨わせた。
「それと、上着の脱ぎっぱなしは本当にやめて。あなたの服、かさばるんだから」
彼は身長が220センチメートルある。しかも甲冑のように硬質な、装甲のような肌を覆わなくてはならないので、服も必然的に大きいものが必要になるのだ。
「それは……ごめん」
彼はちょっとしゅんとしているようだった。私より60センチメートルほど高い背を少しかがめる姿は大型犬のようにも見えて……なんだか可愛い。
 いや、いけないいけない。今日は別れ話に来たんだった。
「他には、」
私がそう言おうとした次の瞬間、彼が「ちょっと」と遮った。
「何?」
「君がそこまで言うなら、俺もこの際言わせてもらう」
そう言って、彼は私の顔を正面から見た。見た? うん、たぶん見ている。顔が正面を向いている。彼の目、どこにあるのか今でもよく分からないけれど。
「君、ガムシロこれでもかってくらい入れるじゃん。今もだけど、もうガムシロのアイスティー割りかってくらい」
彼が指さす先にあったのは、ガムシロップの空き容器の山。確かにいざ言われると、入れすぎかなとは思う。
「良いじゃん、好きなんだから」
「良くない」
彼は首を横に振った。
「甘いものが好きなのは知ってる。でも心配なんだよ。体壊しそうで……」
彼の顔には、アルファベットのVのような形をしたパーツ? パーツでいいのかな、あれ。私の顔でいうところの、目から鼻のあたりにかけて、そういうパーツがついている。そこは形こそ変わらないけれど、彼の感情の変化に合わせて、色が変化するのだ。彼の体は群青色だけれど、嬉しいときは黄色に、悲しいときはより深い青に変わる。口の形や目の形、眉の上下、そういうものが読み取れない分、私は彼の色を見ていた。
 そして、今。彼の顔は、深い深い青色。深海みたいな色。もうすぐ黒になりそうだ。彼、本当に顔に出やすいなあ。でも、そういうところが——
「やっぱり、好きだわ」
「え?」
彼が聞き返したそのとき、私は自分の口から飛び出した言葉に気がついた。
 そういえば彼、「この際言わせてもらう」と言った割に、私のガムシロップのことしか言ってないな。しかも、それすら「心配」と言っていたし。
「ごめん、好き」
私は、今度は自分で意味を確かめるようにそう言った。
「じゃあ、別れるって話は?」
と、彼。私は首を横に振る。すると彼の顔は、みるみるうちに鮮やかなレモンイエローに染まっていった。きっとあれは、本当に嬉しいときの色。その色を見て、なんだか私も、笑ってしまった。
 私たち、これからも好きのままでいられそう。