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「藤小雪庵、プチ木こりになる」#030 -コラム

今回は、私の小さな“つぶやき”です。
気軽に読んで頂けたら幸いです。


秋も深まり、もうすぐ師走。「今年もお疲れ!また来年」と労いたい物のひとつ。それは私の相棒、草刈機です。今年は特に酷使したからか、夏の終わり頃、馬力が無くなっていたことに気付いていました。エンジンはかかるけど、加速しない。

私の草刈機


「今年中に修理に出さんと」と思い思い、放置していた11月のある土曜日…。「明日、おじいさんの所(母の実家)に行ったら、草刈りをしようと思うんじゃけど」と母が言うのです。

「冬枯れするんじゃけん、もーせんでえーが」と言うのが私の本音だけど。日曜日、黙って草刈機を車に乗せ、母の実家へ。「あそこなんじゃ」と母が指差す方を見ると…

この斜面…

ここに生えてるのは草ではなく、岩肌に生えた木じゃないか!(太い木で直径5cmくらいかな)

「わかった。私が刈るけん、側には来んとってよ。私の草刈機、馬力が無いけん、振り回さんと切れんわ」と、母に言い、私が草刈機で木を切り、母はノコギリで小枝にしていきました。

私の仕事
母の仕事
木が乾燥したら燃やします。


この作業が終わったら、絶対、草刈機を修理に出すことにして、エンジン全開で木を切りました。狙った箇所に何度も刃を当て、最後は「チュンッッ」って音で木が切れる。

私は、この山が祖父の山だということも知らなかったのですが、正直ここを綺麗にする意味がわからない…と思いながら、気付くと汗だくでやってました。


思うに…、おそらく母は、現在、ひとり暮らしの祖父が亡くなった後のことを考えているんだろうな…と思います。

「この土地と家をどうするのか」。週末ごと、少しずつ片付けを始めていることからも感じます。

祖父の山を少し離れた場所から眺めると、改めて「時代が変われば、山や家の価値も変わること」を実感します。一方で、悠久の時を経て今ここにある自然は、かけがえのないものなんだろうな…とも思って。複雑な気持ちです。

私の疑問::時代の変化と土地の価値の相関性、田舎と都会では違いがあるのでしょうか?良かったら教えてください。

南天の実が成ると、冬はすぐそこ


帰り道、母が「今日は大変じゃったけん、お母さんが好きな物買うたげる。コンビニ寄ろうや」と言うので…。

ネーミングと色に惹かれちゃって

これにしました。


そして、帰宅後…

この記事を作りながら、気付けば5つも食べとったが。

追伸:冒頭で「気軽に読んで頂けたら…」と言ったのに、質問してしまっていました。思いが募ってしまって。

読んでくださりありがとうございます!
また次回、お会いしましょう♫

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