〜だっせん2〜 先祖への想いの源 - みまさかぞく#012
自分のルーツを探っている方はどれくらいいるんでしょうか。その方たちはどんなことを考えながら探っているんでしょう。私は20代後半からそれに近い世界に足を踏み入れ、タイムマシン(思考回路上のみ走行可)に乗って過去と現在を行ったり来たりしています。
前回、「先祖を調べる過程で、先祖が何を考え感じていたのかを大事にしたいと」お話ししました。そんなことわからないのに史実と同じくらい重きを置いてしまうのはなぜだろう。考えてみると想いの源にあるものが3つ見えてきました。1.先天性の感受性、2.後天性の感性、3.伝授されたもの。今回はそのお話をしたいと思います。
1.先天性の感受性 【アニミズム】
私が先人の考えに想いを馳せてしまうひとつの要素としてアニミズムがあるのではないかと思っています。アニミズムとは「全てのものに生命があると感じること」で、幼少期の心理とされていますが、私は大人になった今でも残っている気がしています。雨に濡れた自転車がかわいそう…とか、晴天で布団干されて嬉しそう…とか何かしら思っています。
この感受性は消えることなく、今は亡き先祖たちに感情移入しています。例えば、耐え難い寒さや苦痛を強いられた時「昔の人は木枯らしの日に着物一枚だったのに(私はストーブの前から動けない)」「冷害でも年貢払って食べるもの無くても耐えてたのに(私はお腹空いたら不機嫌になる)」とか、文明の利器に感謝した時「初めて電気が灯った時の感動はこんなもんじゃないよな」等々。しょっちゅう思います。
このように昔との対比ができるのは、私自身が多様化した価値観が容認される社会の中で、恵まれた生活をしているからだと思います。そして、2つめは…
2.の前に…私の生きている環境について。
私の生きている環境は田舎です。主たる移動手段は車。最近できたコンビニまで10分、ドラッグストアまで15分、イオンまで30分(信号は約5機)、職場も30分の道のりを通勤しています。夜は真っ暗、虫や鳥獣の声は聞こえるけどそれ以外はほぼ無音、自然豊かな土地で、家は農業もしています。四季折々の美しさ、厳しさ、脅威も厄介なところも身近に感じて生きています。
※5月〜梅雨は深夜までカエルが大音量で鳴いてます。
2-1.後天性の感性 【米づくり】
先日、真庭市にある母の実家に行くと近所のおじさんが代かきをしていました。大まかにはトラクターでやるけど細かいところは手作業。大変な仕事です。現代は機械や農薬のおかげで便利になりましたが、農繁期は天候や鳥獣害に悩まされることも多く苦労は絶えません。昔から受け継いできた田畑を見ると、私は「昔の人はどんな思いで作業してたんだろう」と考えてしまいます。田植えの時は裸足で田んぼに入っていたと思いますが、今そんなことをすると足が傷だらけです。無理だー!
2-2.後天性の感性 【草刈り】
代かきの近くで草刈りをした私。この時期の草刈りは重要です。なぜなら草が成長して種が出来ると、種が他の土地へ飛んで行き迷惑をかけてしまうから。またマムシや虫たちの温床になるのも怖い。3年前に草刈機を新調しエンジンのかかりも良いけれど、この時期の草の成長は凄まじく、私は闘いだと思っています。
特にこのカラスノエンドウ…。草刈機に絡まるし重い。
草刈機があってもこんなに大変なこの時期…昔の人は鎌で刈っていたんだろうけど重労働過ぎる、本当にすごい。尊敬しかありません。
3.伝授されたもの 【野の食材】
春から秋にかけ、道ベリには食べられる草がたくさん生えていて、子どもの頃はよく食べてました。幼稚園の時に年長の友だちや祖父に教わったような記憶。例えば…
大きなサイシンゴを見つけたら嬉しかった!上記のカラスノエンドウも小学校の下駄箱の上で干して試食したこともあったけど美味しくないです。
戦時中に和歌山から疎開して来た祖母は口にしませんでしたが、祖父からは山奥にあるアケビとか野いちごとか色々教えてもらいました。こんな野の食材を目にした時も「昔の人も食べとったんじゃ」と思って嬉しくなります。これも先祖への感情移入の要因。
4.まとめの一文
長々と書いてしまいましたが、私の生まれ持った感受性と、生きてる環境が、先祖との対比を生じさせ、感情移入しているのでした。
読んでくださりありがとうございます!
次回はちょっと先祖に迫りたいと思っています。
続きはまた次回…⭐︎