noteが書けなくなった。コラム&秋の写真館 #069
1.noteへの想い
みなさん、ご無沙汰しています。まだまだ残暑が厳しい日が続いていますが、お元気でお過ごしですか?
私がnoteを書き始めて約1年半が経ちました。「歩ん助の今日も一日」は69回、「歴史、先祖関係」シリーズは64回、連載してきました。
noteの存在について考えると、改めてその大切さに気付きます。
自身の記事に関しては、「私の心身状態の鏡」であり、「探究心や好奇心を掻き立ててくれるもの」「人との心の繋がりを持たせてくれるもの」など、
みなさんの記事からは、「画面から知れる果てしないおもしろさ」「学びの場」「事柄や人柄など想像力が膨らみワクワクさせてくれるもの」など、楽しみをたくさん頂いています。
noteに出逢えて良かったと心から思っています。ありがとうございます。
2.noteが好きなのに…
みなさんはどんな時に、他の方のnoteを読んでいますか?
私は、仕事の休み時間や、お風呂(ジップロックに入れて)、寝る前、夜中に目覚めておやつ食べたりしながら…など。
楽しく、心地よい時間です。
私はテレビを見ませんし、子ども相手の仕事なので、夜までその日のニュースを知らないことも多く、日々受ける刺激も似通っているので、世間が狭いことを自覚しています。
それを広げてくれるひとつの媒体が、noteです。
3.noteが書けない!
私にとって大切なnoteなのに、先月から書けなくなってしまいました。記事は出していたけど、「力が出せてない、もっと言いたいことがある…」と思っていました。
そして、どうしても【✏️noteを書く】が押せない、なぜだろう??。焦りました。こう思ってしまうと、とても苦しく、寝ても覚めても「やりたいのに身体が動かない」。葛藤の繰り返しでした。
そして、先日、少し気付いたことがありました。
そういえば、私が「やるorやらん=できん」で葛藤することは珍しい。これは「私の意思が活きとる」ってことじゃないん?
私は、生活の約95%「ねばならない」で生きています。
仕事に行かなければならない。農作業も、祖父の介護もやらなければ誰かが困る。毎朝のウォーキングでさえ、決めたのだから、眠くても雨の日でも歩かなければ!と、当然のように身体が動いています。
「本当は休みたいんですけど…」「今日は〜したいなぁ」と小さな私が呟いていても無視。
生活時間内に、自分がやりたいことを入れ込むのは、難しいと感じています。
その中でnoteは続けてきたのに、【✏️noteを書く】が押せない私。
葛藤の日々の中、先日、「好きなnoteで自分を追い詰めるのは苦しい。準備できるまでパスしても良いかな?」と思ったのです。
少し休みたい。←私の意思。これを通して見ても良いかな?と思って。
もしかしたら、こうやって言い訳をしてるのかもしれないのですが…。
4.note記事づくりの実際
みなさんは、どんなふうに記事を作られていますか?
私は、もうひとつのページで「先祖踏査記録」と題し、先祖が生きた岡山県津山市の歴史を調べていますが、週末に資料を集め、まとめて、平日休日の空いた時間にちょこちょこ記事にしています。
先日、ある方に「人のために働いている時間が多すぎる」と言われました。確かにそうかもしれません。仕事も家のことも。
その中で、削られてしまったnote。罪悪感もありつつ、しばらく経つと…
不思議なことに、ポカっと心に隙間ができた感覚がうまれ、「あれ?note書けそう。ちょっと調べたくなったかも?」と思えたりします。
私の心は単純?複雑?
天邪鬼…かも。
夏のせい、コロナのせい、世の中のせいにしたいけど、何も変わらないから。自分の心と折り合いをつけながら、今日も一日、明日も一日、生きていきたいと思います。
準備ができたら、noteがんばります♫
5.おまけ…退院した父
心筋梗塞で緊急手術、入院していた父ですが、先日、退院しました。父の入院中、父のテリトリーの庭の芝が、伸び放題で非常に気になっていました。勝手に刈ると叱られそうで…。
黙って見守っていましたが、今日、ようやく、芝刈りを母に伝授する気になったようです。
父よ…農作業から引退する気ですか??
読んでくださりありがとうございます。みなさんの記事、楽しみにしています。元気をもらっています。
また次回、お会いしましょう。