先祖が生きた地.岡山県津山市(歴史編 江戸時代 宇田川榕菴-③『植学啓原』から化学の世界へ) 27 #076
みなさん、こんにちは。
歴史の話をはじめる前に…少しだけ。
私はこの時期になると、いつも思い出すことがあります。
それは、私が小学校1年生の時…「せいかつ」の時間に、“絵の具の水入れ”に色水を作り、中庭で、一晩凍らせたことです。
翌日、凍った色水が良い感じで、「綺麗じゃなぁ〜」と眺めた記憶。
せっかくなので作ることにしました。
天気予報では、翌日は−4℃だったので楽しみに就寝。そして、朝見てみると、
残念、表面だけ凍っていました。これでは取り出せないので、再チャレンジしたいと思います。
今回“色氷作り”をしながら、「私は宇田川榕菴に影響されているのかも知れない」と少しだけ思いました。
それでは本題に入ります。
岡山県津山、江戸時代のお話です。今は津山藩医で蘭学者の宇田川榕菴について調べています。
まず、シーボルトについて少し触れたいと思います。“シーボルト”と“榕菴とシーボルトとの交流”の詳細は、次回の記事にしたいと思っています。
1.榕菴とシーボルトの出会い
1822(文政5)年、榕菴が『菩多尼訶経』を制作した翌年、ドイツ人医師シーボルトがオランダ商館付医官として、長崎出島に来日しました。
榕菴とシーボルトは親密に交流し、互いに、たくさんの贈り物をしました。ひとつずつ例を挙げると…
↓シーボルトから送られた顕微鏡
↓榕菴筆。シーボルトへ押し花を送ったことが記録されています。
榕菴は、シーボルトとの交流と、彼からもらったたくさんの植物書などに影響を受け、1833(天保5)年、『植学啓原』を刊行します。
(この年、榕菴の養父の玄真が66歳で亡くなります)
2.植物書『植学啓原』
『植学啓原』は、3巻でできており、近代的な体系を備え「本草学」を脱した最初の植物書です。
1巻は植物学概論、形態学。
2巻は花・果実・種子等の形態と生理。
3巻は植物の成分・腐敗・発酵など。
について書かれています。
シーボルトからもらった顕微鏡を使った、顕微鏡図も多く描かれています。
右のページの茎の断面図を拡大してみると…
中学校理科の教科書にも
現代の中学校理科の教科書を見てみると…江戸時代の榕菴の研究が活きています。
榕菴が考え出した植物学の用語「おしべ、めしべ、花粉、葯、柱頭…」などは、現代も使われています。
『植学啓原』から化学へ
『植学啓原』のはじめに「万物の学は三つに分かれる」と書かれています。
ひとつは「historie」植物学.動物学.鉱物学。
ひとつは「physica」物理学。
ひとつは「chemie」化学。
榕菴は、『植学啓原』を書く中で、薬学、植物学の奥に「化学」があることを知るのです。
『植学啓原』の3巻には、植物の分析が書かれていて、糖や澱粉、タンパク質などが出てきています。それが、化学書『舎密開宗』につながったのだそうです。
3.化学書『舎密開宗』
現代の日本の化学の土台は、榕菴の『舎密開宗』(せいみかいそう)と言われています。
榕菴は、オランダ語の「化学=chemie」に「舎密」の漢字を当てました。
『舎密開宗』以前の化学書
それ以前の化学書は、1829(文政12)年、蘭学者坪井信道が書いた『製煉発蒙』で、『舎密開宗』以前は最も読まれた化学書でした。
製煉…薬物を練って作るという意味。
発蒙…入門という意味。
“化学”古代の人の捉え方
国語辞典によると、
化学とは「身の回りに存在するさまざまな物質の性質・構造と変化を、分子レベル(最小単位)で研究する学問」とされています。
これについて、古代の人たちは、頭の中でこのように連想し考えていました。↓
榕菴は、西洋化学の視点に立ち、「近代化学の父」といわれるフランス人ラヴォアジェの学説を紹介した書や、多くの化学書を翻訳し、自分でも確かめる「親試実験」も重ねました。
↑左ページ上の実験装置を拡大してみると…
この実験についての解説もされています。
『舎密開宗』による「福爾答氏ノ格羅母」…の再現(デモ実験虎の巻)
現在、私たちが使っている「酸素、水素、窒素、酸化、還元」などの言葉は榕菴によって作られたと言われています。
中学校理科の教科書にも
中学校理科では酸素、水素…は中1で、酸化還元…は中2で習います。
酸素.水素…はオランダ語の直訳だった
さらにさらに、これらの名前は、オランダ語を直訳したものだとわかります。
『舎密開宗』は1837(天保8)年から11年の歳月をかけて刊行し続け、日本に初めて「化学」の概念を紹介しました。
『舎密開宗』は内篇18巻、外篇3巻。
16〜18巻は有機物。あとの巻は無機物を対象にしています。
※現在、私たちは「化学」「科学」同じ読みの語を使っています。サイエンスの「科学」は明治以降に日本で作られた言葉、「化学」は中国で1850年代に作られた言葉です。
4.次回のこと.ミニおまけ
今回、江戸時代の榕菴の研究と、現代の理科を結びつけようと努力しましたが、わかりにくい表現もあったかと思います。
次回は、榕菴に大きな影響を与えた、シーボルトについて、2回に分けてお話したいと思います。次回は、“シーボルトと榕菴の交流”。その次に“シーボルト事件”について”調べて行く予定です。
津山市立図書館で借りたこの本!素晴らしくて感動しました。
江戸時代の人々が西洋との関わりの中で得た、蘭学.洋学の資料が、詳しく大きく、多数記載されています。(天文暦術、地理学、本草学、博物学、医学、数学、化学などなど)。私が見た資料の中で1番中身が充実していました。
↓『医範提綱内象銅版図』宇田川玄真著
国立国会図書館蔵
↓『植学啓原』宇田川榕菴著
国立国会図書館蔵
↓『舎密開宗』宇田川榕菴著
国立国会図書館蔵
読んでくださりありがとうございます。
次回もよろしくお願いします。
【参考文献】
国立公文書館デジタルアーカイブ
『蛮書和解御用と津山藩の洋学者』津山洋学資料館 平成23年10月
『資料が語る津山の洋学』津山洋学資料館 平成22年3月
『学問の家 宇田川家の人たち』津山洋学資料館 平成13年3月
『シーボルトと宇田川榕菴』高橋輝和 2002年2月
『津山洋学』津山洋学資料館 昭和56年3月
『素晴らしき洋学の足跡』津山洋学資料館 2004
『中学校科学1』『中学校科学2』学校図書 令和2年
『江戸の科学大図鑑』太田浩司.勝盛典子.酒井シヅ.鈴木一義監修 河出書房新社 2016年5月