〜だっせん〜ももたろうを追いかけたい ⑧ 2つの伝説&桃太郎ゆかりの地めぐり #054
岡山の桃太郎を追い続けて8回目になりました。24時間の中で、桃太郎さんのことを考えている時間、結構長いです。追えば追うほど謎が増えて来てしまって。
今回は、岡山桃太郎の元になったお話と、桃太郎ゆかりの地巡りの記録です。
1.2つの桃太郎伝説
岡山桃太郎の伝説は、①吉備津神社に伝わる『吉備津宮縁起』と②吉備津彦神社に伝わる『吉備津彦神社縁起』があります。
※吉備津神社が分社してできたのが、吉備津彦神社です。詳しくはこちらが参考になります。
これら2つの神社に残る伝説を見ていきましょう。
①吉備津神社に伝わる『吉備津宮縁起』
記紀伝承上の崇神天皇の頃、百済の王子「温羅(うら)」が吉備国にやって来た。彼は「吉備冠者」とも呼ばれた。身長は4.2m、とても凶暴だった。
温羅は備中国(びっちゅうのくに)に居城を構え、近くの岩屋に住んだ。
人々はしばしば暴れる温羅を恐れ、居城を「鬼ノ城」と呼び、都へ出向きその暴状を訴えた。
温羅討伐の白羽の矢を立てられたのが、五十狭芹彦命(いさせりひこのみこと)、後の吉備津彦命だった。
2人の戦う激しさは雷の如く凄まじかった。不思議なことに、吉備津彦が射た矢は、温羅の矢と空中で絡み合う。両者の落ちた矢が落ちた場所が現在の矢喰宮とされる。
ある日、吉備津彦は神力を現し、一度にニ矢発射したところ、ニ矢めが温羅の左眼に命中。温羅の眼から血潮が流水の如くほとばしった。鬼ノ城を源とする血吸川はその名残り。
温羅は戦いをやめ、雉と化して山に隠れたが、吉備津彦は鷹になって追いかけた。
見つかると温羅は鯉に化けて血吸川に姿をくらましたが、吉備津彦は鵜になって噛み上げた。
温羅は絶体絶命を悟り、吉備津彦に「吉備冠者」を献上した。
吉備津彦は温羅の首を串刺しにして曝した(首塚)。この首が何年も吠え続け唸り響いた。吉備津彦は、家来の犬飼武に温羅の首を食わせた。
肉が無くなり、ドクロになっても吠え止まず、吉備津宮のお釜殿の下に首を埋めさせたが、13年も唸り続けた。
ある夜、吉備津彦の夢枕に温羅の霊が現れ「吾が妻、阿曽媛に釜の火を炊かせ。釜は、幸運なら豊かに鳴り響き、災いが来るなら荒々しくなるだろう」と言った。
それからお釜殿(御竈殿)では、毎年占いが行われている(鳴釜神事)。
②吉備津彦神社に伝わる『吉備津彦神社縁起』
(①と違う部分のみ記載します)
朝鮮半島から温羅と呼ばれる、身長2mを超える大男とその家来が吉備国にやって来た。言葉も通じず荒々しいので、人々は鬼と呼ぶようなり、「退治してほしい」と大和国の王に訴えた。
大和国の王は、五十狭芹彦命、後の吉備津彦命に温羅の退治を命じる。吉備津彦は、犬飼武(犬のモデル)、鳥飼の祖である留玉姫(雉のモデル)、楽々森彦(猿のモデル)の家来を連れて陣を張った。温羅やその家来たちは、鬼ノ城に集まり戦いに備えた。
(戦いの場面は同じ)
温羅は「どうか命だけは助けてください。助けてくださったらあなたの家来になって吉備国を守ります」と懇願した。
吉備津彦はそれを受け入れた。その後、吉備国に宮殿を造り生き神様として祀られた。
温羅は、すっかり改心して吉備津彦に尽くし、その顔つきが勇壮で武力に秀でていたので、艮御崎神社にら祀られている。
※これらの2つの話が残されていますが、温羅が殺されていないことが大きな特徴です。
2.岡山桃太郎ゆかりの地めぐり
①血吸川…温羅の血で真っ赤に染まった。
②鬼の釜…温羅が生贄を茹でる時に使っていた。
③鬼ノ城…1986(昭和61)年、国指定史跡。標高400mの鬼城山に築かれた。古代朝鮮式山城。温羅が住んだと言われている。
④鬼の岩屋(鬼差上岩)…温羅(鬼)のすみか。
⑤矢喰宮…吉備津彦命と温羅の矢がぶつかり、落ちた場所に祀られている。境内には温羅が投げたとされる花崗岩の巨石がある。
⑧首塚…吉備津彦命が温羅の首を串に刺して曝した。
※その他の遺跡はこのサイトが素晴らしいと思います!《やっと出会えた桃太郎》(メニュー→スポット)
読んでくださり、たくさんの写真を見てくださりありがとうございます!
歴史を調べ始めると、知らぬ間に方向転換してしまったり、広がり過ぎて浅くなってしまってるなぁ…と思うことがあります。悩みながらですが、これからも工夫しながらやっていけたら良いなと思います。よろしくお願いします。
3.次回のこと
次回は、「吉備津彦命と温羅」と「桃太郎」との共通点や相違点、素朴な疑問点について考察してみたいと思います。
よろしくお願いします。
【参考文献】
『吉備津神社』花田冨士雄 山陽新聞社 1995
『岡山桃太郎吉備津彦命の鬼退治』市川俊介 岡山リビング社 1988
『桃太郎は吉備国に実在した』福武一郎 倉敷出版社 昭和61年
『吉備津彦と温羅』阿村玲子 夏目省吾
『キビツヒコと温羅退治』吉備津神社 2010