先祖が生きた地.岡山県津山市(歴史編 江戸時代 宇田川榕菴- ⑧音楽研究) 32 #081
みなさん、こんにちは。
少しずつ春を感じられるようになりましたね。
朝、職場の駐車場で虹を見ました。
朝7:30頃…「何人の人が同じ虹を見たかなぁ♬」と思いました。
さて本題です。
今回は、津山藩医、宇田川榕菴の音楽研究についてお話ししたいと思います。
1.日本の西洋音楽導入の歴史
西洋音楽について、日本の公的な音楽導入は、1880(明治13)年。文部省所属の音楽教育機関である音楽取調掛を設置したことに始まります。
それ以前の西洋音楽との関わりは伝来によるものでした。いくつか例を挙げると、
1549(天文18)年、フランシスコ・ザビエルがキリスト教布教のため来日した際、「クラボ(Cravo)、シャラメラ(Charamela.トランペット)、フラウタ(Flauta)を奏して、Clavicimbaarが献上された」と記録されています。
1555年頃、平戸や豊後府内で聖歌隊が結成され、1794年にロシアや西洋の楽器(バラライカ、オルゲルなどに関する)記録が残っています。
その中で、1840年代以前の榕菴の楽律研究は、開国前に、音楽を“学問的立場”で研究した唯一の研究と言えます。
榕菴の音楽に関する遺稿は多数ありますが、今回は『西洋楽律稿』『和蘭志略稿』について、私が理解できた箇所を、考察しながら記事にしていきたいと思います。その前に、ひとつおことわりをさせてください。
なので、音楽の専門的なことは詳しくありません。間違っていたらごめんなさい。
2.『西洋楽律稿』
この書物の目次は、
①…C字五等順
②…四声東西稱呼
③…音律考
④…人声四等
⑤…音律比較表
となっていますが、今回は、①と②について、詳しく見ていきます。
①…C字五等順
【Cとは…】
C字の「C」は(ド)の音にあたりますが、これは下の表が基本になります。
【内容を少し詳しく】
4オクターブ5種のC(ド)音を得るための長さ(半尺は15.2cm〜八尺は242.4cm)が書かれています。音は空気の振動なので、「オクターブ関係にある音を得るためには、音を2倍する」ことが書かれています。
古来より日本では「三分損益」と言う音律計算をし、邦楽の音を作ってきました。その時代に、榕菴が尺という単位でC音を導いたのは画期的なことでした。
↓図に描くとこんな感じ。
②…四声東西稱呼
※「五声東西稱呼」→「四声東西稱呼」訂正されています。↓
※薄く読みづらい部分を濃くして、色付け、注も入れてみました。
【言葉の説明】
実斯甘多(Discant…ソプラノ)
亜尓多(Alt…アルト)
的諾尓(Tenor…テノール)
抜斯(Bas…バス)
⭐︎次の項目で考察しています。
羽…導音(主音から7番目の音)
徴…属音(主音から5番目の音)
角…下属音(主音から4番目の音)
商…上主音(主音から2度上の音)
(宮…主音)
半々律(声)
半律(声)
正律(声)
倍律(声)は声の音量を表しています。
“羽徴角商”を考察してみました
“羽徴角商”が気になって、調べてみました。まず、下の絵をご覧ください。
「羽(導音)を(ド)の音で取った」理由は偶然です。偶然と言っても、その過程はあって…
バス、テノール、アルト、ソプラノの音域を図に描いてみると、ソプラノの下の音が(ド)で、そこを基準にしました。
すると、大発見!?に繋がったのです!
もう一度この図をご覧ください。
羽(ド)から主音を探すと(レ)にたどり着きました。主音が(レ)。
(レ)から始まるのはニ長調。ニ長調の有名な曲を調べると…。うーん…と思いながら調べていたら…
「東京春音楽祭」の記事の中に、「日本の民謡や伝統音楽には、レを中心の音とする民謡音階(レミソラド)、律音階(レファソラド)、都節音階(レミ♭ソラシ♭)、琉球音階(レファ#ソラド#)の4種類にほぼ整理することができる」と書かれていました!
私が今回、参考にしている『宇田川榕菴の楽律資料を巡って』には、「四声において最も重要な要素である音域についての記述はない」と書かれているので、これは偶然かもしれませんが、私なりの発見でした。
4.『和蘭志略稿』
1844(弘化元)年〜1845年のものと推定され、音楽に特化したものではなく、北欧を中心とした地誌、人物、軍事職官、政事通商、海路…など広範囲に渡って書かれている中に、西洋音楽についての記事が2ヶ所あり、その部分を翻訳、研究しています。
①…第5巻の中にある「楽器・附音律」
②…第13巻の中にある「音楽関連考」
①の一部を少し詳しく見ていきます。
以下の表は、『モリスン英華字書』の「中国音階」部分の転写です。
①…楽器・附音律
【言葉の説明】
“角、羽、徴半…”は階名
“合、士、乙…”は中国語の音名
その下の図は、
明笛の指孔の開閉図です。
“角、羽、徴半…”は階名とされていますが、前述した「②四声東西稱呼」の“羽徴角商”の意味とは違います。
この違いの意味はどうしてもわかりませんでした。
5.感想と次回のこと
今回、宇田川榕菴の音楽研究について調べました。
榕菴は、ハープやオルガンなどの楽器を描くことから、やがて西洋楽律の研究に及んだと言われています。
さらに、榕菴は長崎に行ったことがないにも関わらず、オランダ人が余興で演じた『二人の猟師と乳売娘』というオペレッタの台本まで訳しています。
このように、苦労して西洋音楽を解き明かした榕菴でしたが内容が実学的ではなく、榕菴が亡くなった後、明治を迎えるまでは少し時間がありますが、これを継ぐ人はいませんでした。
私は、これらのことをふまえ、江戸時代、録音技術も無い中、榕菴が西洋音楽に興味を持ち研究したことは本当にすごい!と感銘を受けました。そして、それを調べる過程は難解でしたが楽しかったです。
さて次回は、宇田川榕菴最終回です。紹介したもの以外の“多彩な才能”についてのお話を、楽しくできたらいいなと思っています。よろしくお願いします♬
次回もよろしくお願いします。
【参考文献】
『宇田川榕菴の楽律資料を巡って』津山洋学資料館 1988
『宇田川榕菴楽律研究資料』津山洋学資料館1988
『岡山蘭学の群像1」
「雅楽研究所」
「東京春音楽祭」
「アンソーム・ドューニ《二人の猟師と乳売娘》の受容」
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