〜だっせん〜19父の絵日記を紐解く“少年の昭和史”⑧最終回 「老いゆく父への思い」-みまさかぞく#035
昭和33年、小学2年生の頃の「父の絵日記」を見つけ、少年時代の父、昭和30年代の地元などを8回に渡り紐解いてきました。
父はこの事を知りません。父はパンドラの箱を持っていて、その箱は“隠していないから見えているのだけど、他人に触れさせない怖いオーラを放ってる”と、私は幼い頃から感じていました。
知識も豊富で優しい父だけど、その箱に亀裂が入る(瞬間がある)と怖い。父はそんなイメージでしたが、少年の頃は本当に子どもらしく、私は何だかホッとしました。だから、当時を紐解きたくなったのでした。
最終回は、1.絵日記最後のページの紹介と解説、2.老いゆく父に思うこと、についてお話したいと思います。
1.8月22日( )曜日 天気(くもり)
【原文】
きょう、がっこうから、かえって、みんなで、おはかそうじ、をしました。ちょっとくさとりを、したけど、たいぎゅう、なったので、かくれんぼを、しました。おはかのかげに、かくれとったら、みつかって、ぼくのおにに、なりました。さがしいいったら、ようちゃんに、やどんされたので、もっぺん、ぼくのおにに、なりました。
※「たいぎゅう、なった」→「めんどくさくなった」。たいぎい→めんどう(岡山弁)
※「やどんされた」→「見つかった」??
【解説コーナー】
↑昭和のお墓はこのように石(個人墓)がたくさんありました。かくれんぼできそう。
絵日記の絵から、お墓掃除は草取り、掃き掃除、墓石を綺麗にする分担をしていたのかな?と思います。
今は草刈機を使いますが、刃をワイヤーに交換して刈ります。墓石に刃が当たると石も刃も痛むから。しかし、ワイヤーを使えるのは父のみ。技術が無いと危険らしくて。
お墓は私の家のすぐ上にあるので、いつも先祖が身近です。
2.老いゆく父に思うこと
父はオーディオが好きで、
映画と音楽(特にレコード)が大好き。
知らない間にシアタールームも造っていました。そして、
カメラ好き。
昔のアルバムを見ていて、父の写真が少ないのは、父がカメラマンをしていたからだと気付きました。
さらにさらに、
ラジオが好きで、集め過ぎて…。今年の夏、祖母の法事の際、住職に「欲しいのあげます。私も終活せんといけませんから」と言っていました。趣味が合うみたい。
父は秘め事が多い人。父と私は決して友達みたいな仲良し父娘ではなく、かといって喧嘩をしたこともありません(どちらかが一方的に静かにぷんぷんして声は出さない)。
私が学生の頃、父が話してくれた忘れられない言葉があります。それは、「たくさん映画を観なさい、たくさん音楽を聴きなさい、そしてたくさん恋をしなさい。そうしたら、40〜50代になって良い雰囲気の女性になる。おばちゃんになるのはもったいない」。
この言葉は、いつもいつも心の中にありました。
父は今年、71歳。趣味も若い頃と同じで、年齢を感じさせないけれど、母は「お父さんは昼間、しょっちゅう寝よる」と言っています。
老いゆく父と一緒に暮らしている私は、さらに老いゆく父の姿を見ていくことになるでしょう。明日のことはわからないけど、一日一日の積み重ねで、人生は進んでいくんですよね。
父が母に隠れてタバコを吸ってることも、コーラばかり飲んでることも、そして秘め事も、私は気付いているけど言いません。
父の人生だから好きにしたら良いし、父のパンドラの箱はそのままに…だって、それが人間だから。
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8回に渡り、読んでくださりありがとうございました!感謝です。
次回は、「私の勤務していた小学校が閉校を迎えた最後の1年」についてお送りしたいと思います。地域から学校がなくなることはどういうことなのか。
また次回、お会いしましょう。