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玉手箱が開いたような日 その3

先週の日曜日に突然やってきたアフザルは、今頃、成田空港にむかっているだろうか。

……………

雨が降ってきた奈良を後にして、彼らが泊まる大阪のホテルに向かって車を走らせた。

後部座席に座ったアフザルは、鞄の中からピスタチオを取り出しひたすら剥いてくれた。もちろん自分も食べていただろうが、助手席のビビさんに渡し、ビビさんが私にピスタチオを食べさせてくれた。

30年前はカラコルムハイウェイ沿いの村から三泊四日のトレッキングをして、氷河を越えてやっとたどり着いた村には、今は車で行ける道ができたとか。その道路工事に村人が駆り出されたが、村人4人が犠牲になったとか。今は車で半日もかからないとか。同世代の村の若者でおとぼけキャラのミルザは、今は運転手をしているから、あなたが村に来る時は彼に運転してもらったらいいとか。話は尽きない。

また、トレッキングをしながら教えてもらった歌を歌ったり。

こんな道、歌でも歌っていなかったら進めない
氷河が溶けて流れてくる川を歩いて渡る

私も驚いたのだが、30年前に教えてもらって山道を歩きながら歌っていたが、それからずっと歌っていなかった歌を、私は覚えていた。

ひたすら、懐かしかった。

村へ向かうトレッキングの途中、いつも山羊がそこで眠っているであろう山小屋とは名ばかりの山羊小屋に泊まった。だからその小屋の中には山羊の丸っこい糞が敷き詰められているのだが、そこに寝袋を敷いて眠った。糞は乾燥していたし、疲れていたし、岩場で寝るより柔らかいし安全なのでグッスリ眠れた。そんな話を懐かしくするのだが、アフザルより13歳年下の奥さんのビビさんは、「信じられない!」と驚いていた。つまり、その後の近代化という開発によって村は大きく変容したということなのだろう。

大阪のホテルに到着し、アフザルとビビさんと固くハグして別れた。「楽しかった。ありがとう。元気で。また会おう。みんなによろしく。」

死ぬ前に、もう一度、あの村に行きたい。

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