【僕の音楽概念論 #3】呂布カルマの炎上の是非
どうも、YKNKです。
毎回記事を書くのに口調とかどうしようかなーと悩みながら書き出してます。
あと記事のサムネはAIを活用して作ってもらってます。時短だね、それがメインのコンテンツではないしあんまりこだわってないよ。
今回は巷で話題の『ラッパー「呂布カルマ(敬称略)」が恋山形駅の装飾に対して「何だこの駅…気持ちわりぃ…」とXで投稿し、駅のピンク色のデザインや「オタク文化」を批判する内容を発信して炎上した件』について、その是非を解説していきます。
内容に納得がいく箇所、もしくは反論したい箇所があれば是非シェアやコメントお願いします。
まず最初に言っておかなければならない事として、どちらかの肩を持つとか意見を大きく肯定するつもりはありません。
炎上に対して自身のアイデンティティが否定されていると顔を真っ赤にしてるオタクもキショいなと思うし。なんなら炎上してレスバしてる呂布カルマもキショいなと思う。
まあその辺も解説しようかな。
まず、結論としてこの炎上の是非についてだけど、
良い
これです。
否定的な意見は是非コメントでお待ちしてます。
では、なぜ「良い」と言えるのか、件の呂布カルマと恋山形駅の両視点から見てみましょう。
呂布カルマ視点
炎上による認知度の向上。
呂布カルマは以前からSNS上での立ち回りでオタクと度々Beefを起こしているので、既存のファンが反転してアンチになる割合が少ない。
良くも悪くも注目される事でいままで名前を知らなかった層にリーチできる。
反面企業との案件は悪評から減る可能性有り。でも今までの立ち回りからあまり大きな影響はなさそう。
恋山形駅視点
なんか急に話題に上がってオタクに庇ってもらえてる。
炎上の被害者サイドになるので何もしなくても知名度があがる
基本的にデメリットなしだけど、駅の職員さんとかは問い合わせが急に増えたりして忙しそうだなと思う。
この炎上を通して思うのが
「嫌い」の反対は「好き」だけど
「好き」の反対は「嫌い」じゃないってこと。
好きの反対は無関心。
ありふれた表現だけどその通りだと思う。
結局知名度が無いと何も生まれないんだよな。
アーティスト業はもちろん、今回でいうと恋山形駅もそう。
みんな知ってた? 僕は知らなかった。
地元の人やマニアなら知ってたかもしれないけど一般にはなかなか浸透しない施策だよなと思う。
AIに分析してもらったら実際にこんな感じ。
なので今回の騒動においての当事者には明確な被害者がいないという認識になる。
「風評被害だろ!」と怒るオタクはいると思うけど、逆にそういう層が発生したおかげでこういう結果になっていることを忘れてはいけない。
そう、本来はDISをされた恋山形駅ないしは制作に携わったクリエイター陣と呂布カルマがBeefを起こす構図になるべきなのだが、実際にはオタク文化を軽視されたと恋山形駅の存在も知らない正義のオタクが腕を奮って呂布カルマを叩いている構図になる。
呂布カルマとしてはポストがバズりエンゲージメントを獲得できた時点で勝ち戦なのでその後のオタクとのBeefは半分リップサービスみたいなもん。
実際炊いてそうではあるけど
ここからは感想👇
まあどっちもきしょいねで終わる話ではあるけど呂布カルマに対してオタクってのは集合知だからよりきしょい奴が目立つ。
アニメ文化を否定するのは表現の自由の侵害だと言いながらHIPHOPの文化レベルは低いと言い放つ奴がいたりとかね。
オタクと一括りにせずきしょいのは個人の話だと思ってるからそれはそれとして捉えてるけども、ファンが減るとか評判悪くなると言われようがここで怒りを露わにするタイプのオタクはそもそも呂布カルマ聴かないだろ。
そういう意味でも最終的には叩いてるオタクの負け戦だと思う、そもそも清廉潔白を売りにするような業界じゃないしね。
価値観なんてそれぞれだからわざわざ火に油を注ぐようなことしなければ良いのにお互いに
新しい楽曲が生まれる訳でも無いしエンターテイメントになることもない
レベルの低いBeefだよ