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場面緘黙症からはじまった人生

今日は私のことを話したいと思います

私は物心ついた時から、場面緘黙症でした

場面緘黙症とは↓

場面緘黙症とは、つい最近、スタンドエフエムで知ったワードです

スタエフで場面緘黙だったという体験を話している方の配信を聴き、まさにこれは自分のことだ!と本当に衝撃的でした


24歳で結婚してからは社会との関わりが少ない人生を歩んでいたので(旦那さんの会社の助手)忘れたようでいても、
子供時代からずっと悩んできたことでしたので、心の傷は忘れたようでも、消えてはいなかった

41歳で離婚して再び社会復帰するようになりコミュニケーションに悩むこともありました


私は今年50歳になりました

私が悩んでいた時代はまだネットも普及しておらず、検索するということもできませんでした😅

場面緘黙は幼稚園からはじまりました


自己紹介で自分の名前が言えなかったことを記憶しています

小学校時代、無言のまま過ごしました
今、思い出しても辛いです
喋りたくても声が出ないのです
家庭では普通に喋りますし
消極的、大人しい、内弁慶というくくりにされますが、もっとずっと深いのです
だって出したくても声が出ないのだもの

そんな暗い子は嫌われますし、イジメの対象にもなります

その頃は不登校とか許されない時代でしたし、お母さんに心配かけたくないから相談もしない
本当に我慢強い子でした 
でも学校で喋れない、こんな子は世界中でたった一人だと思って悩んでいました

中学校に入り、1〜2人の友人には喋ることができるようになりました
でもそれ以外では喋れない

引きずりつつも
高校時代も少しだけ話せるようになり、その頃女子バンドが流行っていたので、一回ポッキリのバンドをやりました
私はドラム担当🥁
その時に初めて人前で表現することの爽快感を味わいました

こう書くと、なんだか軽い症状と思われるかも知れませんが
本気で悩んでいました💧
だってずっと喋れなかった子が急に喋れる訳もないです

そんな暗黒時代を過ごしてきました

どうしてこんな自分なのか
自分が嫌いで
自己否定的
自信がなく
声が特に嫌い
だっていつも声が小さいとか聴こえないとか、声という漢字も、喋るというワードも大嫌いでした

本当に透明人間になりたかったし
存在を消してしまいたかった

いつも、明るくて元気な女の子が羨ましく、遠くから見つめては、自分がそうだったらなあって空想していました

そんな人間が、今は何とかこうして日々いろいろありながらも、楽しさや、面白さをみつけながら生きています

もう50歳
人生はあっという間に過ぎ去ります
離婚も経験したし、昨年は2度目の結婚もしました
本当にこの人生はなんなんだって思うけれど

これから私は今まで表現できなかった分も取り戻したいし、
もっと、自由にあるがまま生きたい

こんな私ですが、場面緘黙症で悩んでいる人のチカラになりたいし、
私もまだまだ自分を癒す必要もある、一緒に共感できる場をつくれたらと願います🙏🙏

これからも場面緘黙について書いていこうと思います🙏

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