青森一人旅③
すっかり夜が明けてしまった東北道。相変わらずまだ車の数は少ない。混雑する前に弘前に到着したい。とは言え気楽な一人旅だ、紫波SAで最後の休憩をとり、午前9時半。近くの駐車場を探す。
「弘前文化センター駐車場」がオススメ。すぐ目の前が弘前公園という立地にも関わらず、なんといっても最初の1時間は無料なのだ。そのあとは30分ごとに100円がかかるので要注意。
地下駐車場にアバルトを停め、エレベーターで1階へ上がるとそこにはねぶたがどーーんと置いてある。なかなかの迫力だ。とりあえずそこは後でゆっくり見るとして、目的地の弘前城がある弘前公園へ。
桜の時期に来たかった…
これ全部が桜であろう緑の木々の中を歩く。「青森ってこんなに暑いんだ」と滴り落ちる汗を拭いながら目指す天守を探す。ようやく辿り着いた現存12天守はとても美しく、大きさは他の城に比べてやや小ぶりとは思うが、とても凛々しくスッキリして見えるのは層塔という欄干のない作りだからなのだろうか。
津軽地方の統一を成し遂げた大浦為信が、豊臣秀吉から4万5千石の領地を得る。この時大浦を津軽と改姓し、為信は、1594(文禄3)年4月に大浦城から堀越城に移り、藩の基礎作りを開始。
1600年、為信は関ヶ原の戦いで東軍に付き、徳川家康より更に2千石の加増を受け4万7千石の弘前藩が成立した。1603(慶長8)年には徳川幕府の成立とともに高岡(現在の弘前)に新たな町割りを行い、次々と領地の開拓を進め、城の築城計画するのだが、1604(慶長9)年 為信は京都で客死し、築城は中断してしまう。
その後、2代目信枚が、築城を再開し、堀越城、大浦城の遺材を転用し築城を行い、1611(慶長16)年、1年と数か月で弘前城が落成したと言われている。
しかしこのお城、一度店主の鯱に雷が落ちて焼失してしまったのだ。そこからおよそ200年、弘前城は天守がないまま存在していたという。長い年月の間に、戦闘施設から権力の象徴へと城の在り方も変化していき、天守の再建は、領内の支配を高めるために行われたとも言われてる。
そんな歴史を調べながらお城を周り、御城印(ごじょういん)というものがあることを知った。見るといわゆる御朱印のお城バージョンだ。これはいただいておかねば!
さて、お城も堪能したし、何より汗だくだ。弘前文化センターに戻り、冷房の効いた館内を散策。お土産店やコンサートホールなんかもある。冷たいものを飲み干し、次の目的地はもっと歴史を遡った縄文時代へ行くことにしよう。