僻地旅 パキスタン編
この地域への思い入れは非常に強い。何故ならこの地は米国や英国、フランス、イタリア、中国、タイ、オーストラリアなど一般的な日本人の主要渡航先よりも前に訪れた、私にとって異国のたたき台だからだ。その後多くの国に訪問するが、全ての基準はパキスタンより上か下か。基本どこも上であることに間違いはないのだが、下には下ならではの愛すべき側面がある。私はどこまでも上から目線だ。
さて、この国は一つ一つが日本の対極にある。衣食住、宗教、文化、言語。およそ日本と同じ所を探そうとしても見つからない。唯一日本を感じるのは街を走るイスラム国御用達の古びたトヨタのピックアップトラックくらいだ。当然日本の常識は通じない。それは特に下記の部分で感じ、私はこの日本と違う部分にこそこの国の全てが凝縮されているように思えてならない。
【道ばたでお金をせびる人たちがダイバーシティに富んでいる】
パキスタンの車道には牛が文字通り牛歩しており、中央分離帯には路上生活者がテントを張り、赤信号で止まれば片足や片腕がない人たちが運転手にお金を恵んでくれと手を差し出す。「ちょいとお前さん今多分交通違反したから金をよこせ」という全く信用出来ないポリスもいる。まあこの辺は途上国あるあるなのだが、バケツいっぱいの泥水を勝手にフロントガラスにばしゃあっとかけ、モップで三回ほどこすって「だんな、窓洗っときやしたぜ」と金を要求する青年や、消防隊の出初め式のような竹馬に乗って歩き技を披露しながらホウキを売る少年など、近年はダイバーシティに富んでいて、先方もなかなか独自色を出すのに大変よのうという気持ちになる。
【新鮮食品を覆い尽くすハエの大群】
どの国でも市場は楽しいものだが、パキスタンの市場は無数の遺体が放置されたような強烈な悪臭を放つ。南部カラチのエンプレスマーケットはそれが特に顕著で、新鮮な牛肉や鶏肉はあるにはある(その場で鳥をしめるのだから鮮度は抜群)のだが、その周りを覆い尽くす無数のハエがこちらに挑戦状を突きつけてくる。一度「この黒い物体は何だろう?」と思って近寄った数秒後、物体が空をぶわーっと飛び、中からきれいな魚が出てきたことがあり、あればっかりは本当にトラウマだ。だが人々はスーパーではなくこの市場で値引き交渉をして日々の食卓を彩る。インドやパキスタンなど西アジアでカレーが主食であるのは、とにかく火を通して辛いスパイスで煮込まないとこうしたハエについた雑菌やウイルスが死なないからだ。フライ・キリング・カリーだ。
【このご時世においてもカメラと外国人が珍しい】
この国でカメラを構えるとどこからともなく子どもたちがやってきて、写真を撮ってくれという。その場で渡せるわけでもないのに、デジカメで撮った写真を見せるとまるで手品を披露したかのように拍手喝采だ。これは何も子どもたちに限らず大人もそうだ。「写真を撮ってくれ」というと、おもむろにポーズを決める。あんたちゃうねん。とにかくカメラが珍しい彼らにとってはカメラを向けられるなんざ千載一遇。私なんかを撮るより彼らを撮った方が圧倒的に一枚の価値がある。一方カメラを持つ若者たちはとにかくアジア人女性が珍しい、というよりイスラム女性を撮影したら罰せられるから異教徒の女性撮影しとけとばかりにカメラを向けてくる。女優になったような気になるが、絶対良いように使われるわけがないので丁重にお断りする。芸能人のご気分を一瞬理解出来る貴重な機会だ。
【貧しくてもお客様ウェルカム!一方で知り合いの家には銃を持って強盗に押し入る】
イスラム教徒はお客さん大好きで、旅先で横にいただけで「うちに泊まりにきて」なん誘われるのはよくある。清貧そうなお嬢さんがそう声をかけてくれるのに萌えが炸裂したことがある一方で、知り合いのパキスタン人の家にはその一家がよく知る人物が銃を持って金を出せと押し入ったりしていて、この国の正義とは一体何なのだろう、宗教はどこまで彼らを救っているのだろうと疑問に思うことは多々あった。どこまで貧しくなった時点で宗教は意味をなさなくなるのだろう。それは近年の日本での宗教問題に通ずるものがある。
こうやって書いてわかったが、この国をこの国たらしめてしているのはイスラム教と貧困の二本柱だ。多分、この国がその2つから脱することはない。グローバルサウスと言われて久しいが、この国は多分、このままだと思い、それは安心するような、寂しいような、複雑な気持ちになる。
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