柊夜ノ介√初見プレイの所感

真告白を見た瞬間、めちゃめちゃに切なくなった


 備忘録がてら、感じたことを殴り書きする。
 ※ネタバレ注意
 ※私の考察が正しい!というわけではなく、あくまで個人的な意見です
 
 ときメモGS4を始めて半年以上経つが、恥ずかしながらこの記事を書く数日前まで未だ柊夜ノ介√をプレイしていなかった。
 周りにやのぴ推しが多かったのと、純粋に気になるキャラではあったので攻略を一切見ずにプレイしてみた。(お化け屋敷と仲良しグループ以外のスチルはすべて回収)
 GS4を始めたきっかけは実況。ゆえに他のキャラはそこそこ知識がある状態でプレイしたが、柊夜ノ介だけは殆ど情報を入れていないキャラだったので、凄く新鮮な気持ちで楽しめた。プレイして良かったと心から思った。

プレイしてみて浮かび上がる夜ノ介という男の人間性

 昨日までやのぴを知らなかった私が、なぜこうも心動かされたのか。拙い文章ではあるが頑張って感じたことを書き起こしてみたので、読んで貰えると嬉しい。(そして皆さんの考察も聞かせてくれたら嬉しい)

 真告白を見たのだけれど、今まで攻略したキャラにはない衝撃があった。しばらく余韻で放心してしまうくらい。
「演劇を好きだったことが無い」っていう発言がもう、後頭部をガーンと殴られたような感覚になった。
 これでやのぴの人となりが少し理解できた気がする。

「当たり前」を誰よりも楽しむやのぴ

 やのぴが「我々にとっての当たり前」を無邪気に楽しむのは、幼少期から劇団ばかりだったやのぴにとってそれは決して当たり前なんかじゃなかったから……というのはやのぴの理解への第一歩であり、分かりやすい設定だと思う。
 当たり前のことをぎゅっと噛み締めるやのぴは、可愛くて切ない。たくさんはしゃいで、今まで楽しむことが許されなかったことをどんどん経験して、楽しんでほしい。

病的なまでの存在価値を高めたいという思いの強さ

 薄々気が付いてはいたけれど、真告白で確信した。やのぴは「周囲からの存在価値や存在意義」をひどく大切にしていて、その考え方は色んな場所で散見された。はば学生としての自分の存在価値を高めるため、人一倍努力した。掃除や買い出し等の雑用も、わざわざ座長がする必要性なんて無いのに自ら進んでやろうとするのは、「まだ子供の自分が大人を取りまとめるには至らぬ点が多いだろう。せめて自分にできることはするべきだろう」という座長としての存在価値を高めたいという思いの顕れかもしれない。(掃除が好きな理由は他にもある気がしているので、もう少しプレイして考えてみます)
 仕方のないことだけど、損な性格だと思った。それはつまり、「誰よりも頑張らないと、存在価値がなくなってしまう」と感じてしまうから、必要以上に自分を追い込んでしまうのだ。存在価値の無い自分が誰かに頼るわけにはいかないから、一人ですべて抱え込む。そして誰かに頼りにされ、必要とされることに人一倍喜びと安堵を覚える
 サッカーでゴールを決められたときに無邪気に喜んでいたのも、「初めてのゴールが決まって嬉しい」という単純な理由だけじゃなくて、「チームのメンバーとしての存在価値」がほんの少しでも生まれたことに喜んでいたのかもしれない。
 そしてその存在価値を病的なまでに気にしてしまうのは、幼少期から育まれてきた癖なのだろう。幼いやのぴには劇団での稽古がひどく厳しいものだったのかもしれない。切ない……。
 やのぴは自分の価値を周囲が喜んでくれたかどうかでしか測れないのだ。それがもうひしひしと伝わってくるストーリーで、胸を抉られた。

柊夜ノ介の『演技癖』

 やのぴは3年間あちこちであらゆる役を演じてきた。演じるのがもう癖とも言える程に、やのぴは演じて魅せた。
 それは単に長い間役者をやっているから職業柄……なのもあるだろうが、真告白を迎えたとき、それだけではないということに気が付いてしまって、ものすごく切なくなった。
「演劇を好きだったことが無い」「演劇を楽しめなくて、好きで演劇をする気持ちが理解できないから、劇団としての存在価値を高めることだけを周りに強いてしまった」
 やのぴは楽しそうに今まで演じていると思ったのに、演劇が辛いなんて素振りは一切見せなかったのに、それさえも演じていたのだ。
 自分の本心を偽るために演じ続けていた。そしてその癖は、おそらく簡単には治らない。だから、真告白を迎えたとき「ハッピーエンドのはずなのに……」言葉にできないもやもやで、私の心がいっぱいになった。

 存在価値を高めるためだけに人一倍努力するなど、並大抵の人では心を病んでしまうだろう……が、やのぴは自分を守るために、自分が壊れてしまわぬようにと、18年間演じてきたのだ。なんて悲しいんだろう。

私が感じたやのぴの魅力は、キザで恰好いいやのぴじゃない

 やのぴ√をやって思ったことは、わたしはやのぴの「子猫ちゃん」とかがあまり刺さらなかった。かっこいいけど。「やのぴの親酷い!って怒りが湧いてきちゃう!」「モンペになるよ!」とも言われたけど、モンペにはならなかった。
 やのぴの「子猫ちゃん」等発言は演技であって、本当のやのぴではない。やのぴの演技癖がそんな悲しい生い立ちに由来してるなら猶の事だ。
 そしてやのぴに演劇を強いた親に対し、厳しく物申したいとも思わないし、モンペにもならない。(気持ちは痛いほどわかるから否定してるわけじゃないです!あくまで私の感想です)それはやはり今の魅力的なやのぴがいるのは、皮肉なことにその生い立ちのお陰でもあるからだ。

やのマリよ、永遠なれ

 少なくともやのぴは、マリィのお陰で救われた。
「文化祭で一緒に演じたときにはじめて楽しいと思えたし、演劇を好きだと胸を張れるようになった」
 つまりマリィにはやのぴを救う力が大いにあるわけだ。
 それならやはり親ではなく、恋人あるいは妻として正しい方へ導く舵が、やのぴには必要だと思うのだ。
 やのぴはマリィの行動から、自身の行動を客観視して見直すことができる能力に長けているため、やのぴに気付きを与えることが物凄く重要になる。責任重大だ。やのぴ√はきっとエンディングを迎えても、やのぴとマリィはおそらく苦労が絶えないのではないかと思う。でもマリィならきっと大丈夫。やのぴと支え合って、永遠に幸せになってくれ。


 まだまだ幼少期の悲しい運命によってやのぴの行動のあれやこれやが裏付けられると思うので、気が付いてあげたい。


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