中1でバスケを始め、1年間で辞め、高校でマネージャーになった話【その1】
中1で女子バスケ部に入部
小学生の頃は何も部活をしておらず、飛びぬけて運動できるというわけではありませんでした。
かといって文化部という柄でもなかった私は、小学校の体育の授業で楽しかったバスケに打ち込むことを決心しました。
入部した同級生は私を含めて3人。1人は同じクラスのバスケ経験者、もう1人は身長が高い未経験者。
優しい先輩方に恵まれたものの、ほぼ休みがなく部活漬けの日々だったと記憶しています。外練で外周を走るときが一番の地獄で、初めから全然ついていけず、一周差、二周差つけられることが日常茶飯事でした(苦笑)
中2から転校することが発覚
中1の夏休みに両親から「半年後に転校する」という事実が伝えられました。
小5の2学期から住みはじめた町なので「悲しくて仕方がない。」という気持ちが募るほどの思い入れはなかったです(汗)
むしろ「あと半年頑張ればこの苦しみから解放されるのか」といった気持ちの方が強かったと思います。
転校先で頑張れなかった私
部活最終日には、チームメートと「転校してもお互いバスケを頑張る」という約束をしてお別れしました。
最初はもちろん約束を果たそうと、始業式前から部活に参加し、慣れない環境の中バスケに打ち込んでいたのです。
しかし、「男女合同練習ではないため休む暇がない」、「練習を指揮する外部コーチをリスペクトできない」というような、転校前のチームとは違うことが沢山ありました。
なにより「あと半年」と思って頑張っていた自分には、もうこれ以上頑張れる余裕がなかったのです。
入部届を出す前に、バスケを辞めてしまいました。
クラブチームの体験に行くも、結局頑張れなかった
部活を辞めても、転校前にチームメートと交わした「転校してもお互いバスケを頑張る」という約束が頭から離れませんでした。
両親と探したバスケットのクラブチームの体験にも行きましたが、2回目で挫折。
「なんてくそな人間なのだろう」と思って、死ぬほど泣きました。
運動神経が悪い自分にイライラし、両親に怒りをぶつけ、決して言ってはならない言葉を放ったことも事実です。
「弟には同じ思いをしてほしくない」という思いから、弟が習っていたサッカーの自主練習を必要以上に強制したこともありました。
家では反抗期、学校ではくだらない校則違反で格好つけた結果、先生からは問題児転校生扱い。
転校してからしばらくの期間はいま考えても、私の暗黒期です(苦笑)
高校でマネージャーとしてバスケ部に入部
暗黒期ではありながらも、「バスケの代わりに勉強に打ち込もう」と決心していた私は第一志望校に合格することができました。
「約束を破った私はチームメートや顧問の先生と合わせる顔がないな・・・」と感じていた私が最後の望みをかけて選んだこと。
それが「高校の女子バスケ部にマネージャーとして入部する」というものです。
この選択が後に「どうしようもない自分」を少しずつ変えてくれることとなるのです・・・。
続きは次回!
ここまで読んで下さり、ありがとうございました。