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正直者は馬鹿を見る
「正直者は馬鹿を見る」という考え方は、おそらく自分以外の誰かが嘘をついて不当に利益を得る、という前提にもとづいているように思えます。
世界中の人がみな正直者であれば、誰も馬鹿を見ることはないからです。
実際にこの世の中は嘘が多いと思うんですよね。
なので、「他人は嘘をつく可能性がある」という認識を持っていることは、ある意味必要なことなのかなと思っています。
簡単に人を信じて、あとで「だまされた!」と怒るのは、なんというか大人げない態度のように感じるんです。
もちろん、自分から嘘をつくのは良くないですね。
「正直者は馬鹿を見る」というのは、「だから嘘つきになろう」という負のメッセージではないはずです。
正直者は馬鹿を見る。痛みを感じる。だけどそれでも正直に生きて、その結果たとえだまされても、できるだけ傷つかないように備えておこう。
そういう覚悟を表現した言葉ではないかと私には思えるのです。
それは、人間というものに対する洞察に裏打ちされた、含蓄のある言葉のように思います。
だまされても、怒ったり傷ついたりせず、だまされたことを糧にして、またひとつ成長できるチャンスだと捉えるのがいいのかもしれないですね。なかなか難しいのですが。