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中学校でもいじめられていた

 前回は、小学校でいじめられたので、中学受験をして無事合格したというところまでのお話でした。

 合格した私立の中学校に進んで、いじめっ子とはさっぱり別れて、私は新天地で輝かしい学校生活を送れるはずでした。
 私が入学した学校は男子校でしたので、女子を敵に回す恐れもなく、こんどこそ伸び伸びと過ごせるはずと思っていたんです。

 ところが、大きな期待とともに始まった中学校生活は、最初からつまづくことになったのです(今回も陰惨な話です、すみません)。

いきなり学級委員になる

 いまもそうだと思いますが、学級委員というものが、毎学期ごとにクラス内での投票で選ばれるのです。
 ただ、中学一年の一学期だけは、まだお互いどんな人かもわからないからということで、担任の先生が一方的に学級委員を指名しました。
 そこで、私が学級委員に指名されてしまったんです。

 雪鳴は入学試験の成績が一番だったに違いない、という噂がたちました。
 私もそれは心当たりがありました。
 受験のとき私は、「落ちたらいじめっ子たちと同じ中学」という恐怖心から、もう絶対に落ちたくなかったので、自分の実力よりも偏差値が下の学校を受けたんです。
 ですから、私がクラス一番の成績で合格した可能性は十分にあっただろうと思います。

 しかし、この先生による学級委員の人選は、思い切り裏目に出ました。
 クラスの子たちは、誰も私についてきてくれなかったんです。
 勉強はできたかもしれませんが、私には、クラスをまとめて引っ張っていくという統率力が根本的に欠けていたようでした。

 本来、私のようなタイプは、すみのほうでおとなしくしていれば、大過なくすごせたのだろうと思います。
 それが、できもしない学級委員をさせられたことで悪目立ちした私は、入学早々、大恥をかくことになってしまいました。
 男子も中学生ともなれば生意気盛りですから、みんなは私のことを馬鹿にし始めました。
「勉強だけはできても、人間的にはだめなやつ」として、私は有名人になってしまったのです。

そして運動部でいじめられる

 さらに悪いことに、私は運動部でいじめられるようになりました。
 運動音痴の私がなぜ運動部に入ったかというと、両親に強く勧められたからです。
 両親は、私が中学で運動部に入れば、もういじめられなくなると思ったようでしたが、これもまた思い切り裏目に出てしまったのです。

 昔の男子校の運動部はけっこう野蛮な空気があり、私の性質には合わなかったように思います。
 しかも、運動部の連中から見れば、

  • 勉強だけはできても、人間としてはだめなやつ

  • しかも運動部なのに運動音痴

 という私は、彼らの嗜虐心をそそるおいしいカモだったのでしょう。
 自分のだめな性格を直そうともせずに、ただ勉強だけして私立に逃げていった者の末路は、しょせんこんなものなのかもしれません。

 楽しいはずの部活は、恐怖と苦痛の時間になりました。
 運動用の赤白帽は、更衣室の窓から投げ捨てられました。よってたかってズボンとパンツを脱がされたこともありました。
 集団でもみくちゃにされて眼鏡を壊されました。このときはみんな、
「俺がやったんじゃない」
と言って誰一人責任をとろうとせず、私は自腹で眼鏡を作り直しました。
 親には「遊んでいて友だちとぶつかって眼鏡が壊れた」と嘘をつきました。

 小学校でもそうだったのですが、いじめの問題について、当時の先生たちはまったく無力でした。
 子供たちのほうでも、先生には期待しませんでした。
 そんなわけですから、表向きは、うちの学校にはいじめはなかった、ということになっていたであろうと思われます。

 暗い話を二回にわたって続けてしまって本当にすみません。
 最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

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