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言葉と感覚
「言葉」と「感覚」って、面白いですよね。
同じ言葉でも、使う人や受け取る人によって、場面やタイミングによっても、微妙にニュアンスや解釈が違ったりもすれば、一つの言葉で同じ感覚を共有できる人もいます。
とりわけ、聞いたことのない抽象度の高い言葉を理解しようとするときに『?』が浮かぶことが多かったりすると思います。
自分の分野とは全く異なる人と話しをするとわかると思いますが、知識の話しになると全く会話についていけなかったりするときもありますが、本質的な話しになると同じような感覚で会話をすることが可能です。
同じ言葉を同じ「感覚」として解釈し共有できることは、信頼関係を築く上では欠かせない要素の一つのような気がしています。
これは選手とコーチ、トレーナーという関係性のものだけでなく、組織における仕事やプライベートな関係でも同じようなことが言えると思います。
ただ、アスリートが感じている世界って少し独特だそうで(自覚なし…笑)、その感覚を理解するために私のパーソナルトレーナーやコーチの方は相当な努力をされているそうです。
私はあまりこの「感覚言語」は使用しないようにしているつもりですが、どうしても感覚言語がでてきしまうのは「痛み」を言葉にして表現する時です。
○○のような痛み
指から骨が飛び出しそうな痛み
↑どんな痛みだよ・・・
病院に行くと、お医者さんに問診で聞かれることがあるかと思いますが、まさにそれです。
さらにこれをドイツ語や英語で説明しなければならないときはさらに厄介で、伝えるのが本当に大変です。
こんな感じで、形容詞や比喩を使うことになるのですが、痛みの言語化は本当にいつも苦戦ですね・・・笑
元なでしこの海堀選手の言葉です。
「自分が使う表現を十分に理解してもらえることは、スポーツ選手がトレーニング指導を受ける上で非常に重要なポイントだと思います。私だったらそういうトレーナーについていきます。」(海堀あゆみ)
海堀の言葉を借りますが、指導を受ける上ではやっぱりここが重要だと思います。
逆に、指導者が使う言葉も自分が理解できる言葉であることも大事で、賢くて言葉のボキャブラリーが多く、深度の深い指導者は、抽象度の高い言葉をもっています。
でも、選手のレベルや理解度に合わせて同じ意味でも使う言葉を変えないと伝わらない場合があるので、良い指導者はそれを上手く使い分けているように感じます。
ただ、私の場合は抽象度の高い言葉をいかに引き出して、自分がそれを理解できるかってところに挑んでいたりもしますが(笑)現時点でその言葉の感覚(意味)を理解できなくても、いろんな本を読み進めたり、新しい体験をしたりしていくと、その言葉の感覚が理解できるようになってきます。
そういった抽象度の高い言葉をしっかりと論理的に解釈し、それをより細分化した言語にすることでより理解が深まりますし、進化スピードが格段に早くなります。
さらに、その解釈を指導者と「共有」することが大事で、私の場合はFacebookや他のSNSを活用して「この言葉を私はこういう感覚で解釈しています」といったことを共有するようにしています。
選手と指導者が互いに進化するためにはお互いのフィードバックが必要で、指導者の言葉に対して選手のプレーがどう変化したのか・・・というのが指導者にとっては一番のフィードバックです。
ですが、それだけでは足りないと私は思っています。
ここに「言葉」によるフィードバックを付け加えることによって、お互いの進化をさらに促していけると思っているからです。
「感覚」を「言葉」で共有し、さらにその「言葉」を「感覚」で共有するという作業を繰り返し行い、フォーム等の動きの型を作っていきます。
そして、私がとにかく論理化・言語化にこだわっているのにはいくつか理由があります。
①無意識下に落とし込むため(自動化)
②再現性を高めるため
③人に伝えるため
④スポーツ界を進化させるため
⑤世界(未来)を創るため
これについてはまた次回?時間のある時に?説明できればと思います。
言葉と感覚。
追究しがいのあるテーマです。
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