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「自由」の意味を理解すれば、サッカーに戦術は不必要になる


前回の記事 で「認知力と処理能力」について執筆させていただきましたが、今回もそれにつながる内容で、「自由」をテーマに掘り下げてみたいと思います。


個人のパターンが構築される過程には、「個人」という枠の中に「規律」と「制限」が存在します。この規律と制限を設定することで、ある一定の「基準」が明確になり、この基準値を満たしたスキル習得がパターン構築の基盤となります。


その「枠」がポジションごとに設定されることにより、その構築されたパターンの中から選ぶための「選択肢」が選手には自動的に与えられます。自由というのは、この「選択の自由」を意味します。


よく日本で指導者から発せられる言葉でありがちなのが、「自由にプレーしていいよ」というフレーズ。


各ポジションには最低限果たすべき役割があって、それを選手に理解させ、実行に移させるのが監督の仕事。この言葉やこれに近い言葉を監督が発するということは、監督の仕事を放棄しているようなものなの、ということになります。


「当たり前の基準」を上げる


選手には「特徴」というものがあり、得意としているスタイルが個々それぞれあります。


監督は、限られた選手の中から最大限の結果を引き出せる組み合わせと配置を考えると思います。特徴を見極め、どの選手をどこに配置するのか?


私は監督業をやったことがないですが、監督の視点から観察してみると選手の特徴から求める役割を明確にし、チームとしてのスタイルを設定するというチームの作り方が一つあると考えられます。


自由というのは、自分勝手にプレーすることではなく、決められた選択肢の中から自由に選択する「権利」が選手にはあることを意味します。そしてその規律設定が選手の能力を引き出すことを可能にし、個人・チームの「当たり前の基準」を上げていくことにもつながります。


この「当たり前の基準が高い」選手は、引き出しの数が多く、処理能力が高いです。


持てる選択肢が多いということは、自由度が高いことを意味します。それは、自由に選択できる「選択肢の数」が多いからです。


個人の自由度を高くするためには、ルール設定の基準を上げ続けていく必要があります。


自分自身の役割を把握する


「ルール設定」が組織によって与えられる選手は恵まれていると思いますが、現実問題、すべての組織が優れたリーダーを擁しているわけではありません。


そういったリーダーがいない場合、自分自身で「ルール設定」をしていく必要があります。そうしなければ当たり前の基準を上げる=成長することができないからです。


海外へ出て移籍を繰り返しいろんなチームを経験して感じたのは、自分自身がそのポジションに置かれている「意味」(=役割)をまず把握することが求められるということです。


その意味を理解できなければ、おそらくピッチに立つのは難しいでしょう。ということは、まず「自分ができること」を明確に理解し、それをピッチで表現しなければならないということです。


環境を変えて自分を成長させる


個々の自由度が高い選手が多ければ多いほど、グループとしての自由度も高くなります。処理能力が高い選手には選択の自由度の高さが生まれ、そこから展開されるプレーの幅は、そうでない人に比べたら遥かに広いものとなります。


処理能力の高い選手が11人集まれば戦術というものが必要でなくなり、すべてピッチ上にいる選手同士で解決できるようになります。なので、自由度が高い集団ほど戦術の設定はそこまで必要ないということがいえると思います。


この「自由」の意味を本当の意味で理解し、「自由に選択できる選手」の領域に到達するためには、基礎の選択肢の引き出しを多く持つことと同時に、そのすべての質を高いレベルで表現できなくてはなりません。


その基礎となる「当たり前の基準」を上げていくにはルール設定が必要で、味方に求めるよりも先に、自分自身への課題レベルを上げ続けていくことが求められます。

自分の「当たり前の基準」を上げ続けていくためには、環境を変えることであったり、考える視点を変えること、自分に課す課題を現状より難易度の高いものに設定していくことなど、環境に求められる役割+自分自身の納得感の得られるゴール設定で、楽しみながら当たり前の基準を上げ続けることができると思います。


自由の意味を理解し、自由度を高くすることで得られる楽しさは、サッカーをさらに面白くするはずです。





みんなが協力しあって生きていける社会へ。愛と共感力で、豊かな世界を創っていきたい。サッカーが私にもたらしてくれた恩恵を、今度は世界に還元していきたいです。