2019年 オンラインサロン・オフ会 対談〜後編〜
12月某日、毎年恒例になっている プロサッカー選手永里優季のオンラインサロン のメンバー限定オフ会を某所にて開催しました。
前回からの続きで、今回は後編をお送りします。
<目次>
ー 以前からも言っていたことではあるんですけど、特に以前よくおっしゃっていた「型」の話を少ししたいのですが。例えば原理原則や、永里選手がサッカーをやってくる中で、ある程度自分の中での型とかベースを積み上げるという段階をたくさんやってきたと思うのですが、どの段階において、自分の中で型ができたとか、もう解放してよいと思った瞬間とかきっかけで思い当たることはありますか?
うーん、オーストラリアに行ってからかな。あのタイミングがすごくよかったなっていうのは覚えていて。オーストラリアに行ったときに取ったゴールが、型を練習してきた通りのゴールが多かった。初めて練習してきた「型」が試合で出せた(シュートの部分における型)のが、その時期だったんですね。
あれがあって、ちょっと解放された感が出てきて。あと、気候が良かったというのがすごく大きくて(夏)。人は太陽の光を浴びていないとちょっと鬱状態になりやすいというのがあるし、そこからより自然体な自分になれるような状態になった。マインドもだし、身体もだし。
※追加
アメリカにきてからも、変わりました。ポツダムで確立した型にこだわってそれをどのチームでもはめようとしていたのが、アメリカに行って解放された感があって。
以前noteにも書いたんですが、それが第1期の解放でしたね。そのあと、オーストラリアに行ってから、第2にの解放期がきたという感じで。
ー 自然体というところで。そうなってくるとちょっとお聞きしたいのが、結果へのアプローチの仕方というのが確実に変わったなと思うのですが、先ほどおっしゃっていたみたいに、結果をだすために感情を消すとか、コントロールするとか、結果を出すためにこうしなければならないという論理的な構築を含めて義務的な作業とか含めて、それをやっぱりやり続けたから型ができたというのはあると思うのですが。
で、それがあって、それを超えたと。もう自分の型になればゴールを取れるということがわかって自然体にようやくなれたと思うのですが、やっぱり自然体でプレーしている時の方が気持ちが良いもんですか?
そりゃそうですよ!(笑)
(一同爆笑)
ー それはなんでかっていうと、みんな結構そこまでたどり着けないと思うんですよ(一般の人は)。みんなそうなりたいんだけど、なれないんですよ。よくいうじゃないですか、自然体でいればいいとか、ありのままで生きるとかって。それができたら苦労はしないよねって。そうなってくると、逆にお聞きしたいのが、その当時(感情を消していた時)の自分を見て、今その自分をどう捉えますか?もしくはどう思いますか?
生きにくかっただろうなってすごい思うし、でもそれをやってたことは間違いではなかったよっていうのも思うし、その過程がなかったらここにたどり着くことはできなかったと思うから。近道はしていけないタイプだから、絶対に(何をするにしても)極端にそういう方向にいかないと納得できないタイプだし、そうやってその道をいったからこそ、間違っていたっていうこと(それだけではうまくいかないということ)にも気づけたし。
なので、その自分に対しては別に後悔もないし、そういう自分があったのはそれはそれでいいのかなと。
ー さきほど 近道はないとおっしゃいましたが、永里選手はあまりこう中間ポジションを取らないタイプじゃないですか。中途半端に物事をやるとか。
うーん・・・ 家とかは、汚くしますよ(笑)
完璧主義なところはちょっとあるんだけれども、それをプライベートでやらなくなった。サッカーのときだけ・・・いや、サッカーのときもそこまで完璧を求めようとしなくなった。だけど、自分の仕事に対しては責任をもってやりますよ。でもそれ以外のことに関しては責任はもちませんよというスタイル。そういう感じになったかなと。
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