セルフライナーノーツという名の作文


2ndアルバム「Viewing」を出した。アルバムを出すと、セルフライナーノーツというのが書けるらしい。何を書いたら良いか分からなかったので、とりあえず思いつくまま筆を走らせてみた。

「【筆を】セルフライナーノーツ【走らせてみた】」である。



……どうぞ。


01.主人公になりたかったのです


MVのクオリティにこだわりすぎて、作業時間がとんでもないことになった楽曲。イラストを描き、それをLive2Dでモデリングして、アニメーションを作る、の繰り返しで気が狂いそうだった。特にLive2Dモデリングは作業量的にかなり大変だったが、おかげでLive2Dで髪を揺らすのだけは爆速でできるようになった。(Vtuberモデリングではほとんど使えない手法(具体的に言うとスキニング)を使っているため、スキル向上という点ではあまり意味がないという話もある)
当時は地獄のような職場から抜け出し、有休消化で時間があったので何とかなったものの、そうでなければ到底完成させられなかったと思う。作り始めた当初は全く意図していなかったが、結果として4周年のタイミングで公開することになった。

動画制作作業の印象が強すぎて曲を書いていたころの記憶が全然ない。たしかその頃からアルバムの構成をなんとなく考え始めていて、アルバム共通のコンセプトが紛れ込んでたり、前回のアルバムと対応するテーマを潜ませていたりする。


02.花火のにおいと君の影


Twitterで「夏の終わりには、こういう曲が良いんでしょ?」という舐めた文句と共に投稿した。その時はサビだけだったが、思いのほか反応があったので結局フルで作ってリリースすることにした。
自分の中では結構挑戦的なアレンジで、非常に苦労した楽曲だったと記憶している。サンプルパックの素材を使う曲作りをしてみたかったのだが、テンポが合わなかったり音色が気に入らなかったりでなかなか音がはまらず、結局素材の音源を聴きながら手作業でリズムフレーズを構築した。そういった経緯もあって、この編曲はかなり偶然の産物的なところがあり、もう一度1から作り直したとしても同じものは絶対にできないだろうという自信がある。
ところで、楽曲に季節感を出す手法の一つとして「すでにその季節のイメージがついている有名楽曲からコード進行を引用する」というのがあると思っている。個人的に4563や4566の進行は夏っぽいなと感じる。一応リファレンスはあるけど、具体的な楽曲名は(特に意味もなく)伏せておく。


03.ノア


創作に何か深い背景を込めようとすると、北欧神話や聖書や宮沢賢治に辿りつきがち。
聖書エアプ勢のため、楽曲の制作にあたっては聖書の日本語訳や日本語版Wikipediaを読んだりした。ノアの方舟の話も、「ノアが船に乗って大脱走!」くらいの認識だったので、これを期に旧約聖書の創世記から目を通した。エアプなりに、程よく聖書のエッセンスが入った歌詞になったなぁ〜と自負している。
楽曲の途中に挿入されているコーラスは、聖書の一節「生めよ、ふえよ、地に満ちよ」をヘブライ語で歌ったもののはずだが、発音が合っているのか不明だ。というのも、ライナーノーツを書くにあたってもう一度調べ直したのだが、発音に関する資料に辿り着けなかった。一体、当時の自分はどうやって調べたんだろう…。
余談として、同時期に「ニア」という楽曲のカバーを出そうと思って、ボーカル収録・ミックスまで済ませていたが、本楽曲と字面が似すぎているという理由でお蔵入りとなった。


04.ペープサート


そう言えば、ペープサートに初めて触れたときの記憶がない。というかよくよく考えてみると、ペープサートに関するエピソード記憶が一つもない。幼稚園のお遊戯会?それとも小学校の学芸会?こんなに思い入れがあるような気がしているのに、何一つ思い出が出てこないのがショックだ。自分にとってのペープサートは、もはやただの知識になってしまった。
そう考えると、さして大切ではない思い出というのは知識に非可逆圧縮されて、ふと気づいたときには大抵何も思い出せなくなっているのかもしれない。結構落ち込むな…。
……これは完全に関係ない話だ。

昔から「舞台裏」というのが好きだった。特撮映画の撮影風景、体育館のステージ袖、ペープサートの布の下。観客には見えないところに工夫と努力がある。そういう裏の世界にワクワクした。自分がペープサートが好きなのは、自分が主人公であり裏方であるからなのだと思う。
我々にとって、ステージと舞台裏は文字通り表裏一体だ。表も裏もすべて一人でやっていいし、どんなに薄っぺらい世界観であっても、好きなように舞台を飾り、自分の思った通りに演じられる。大人になった今、Live2DとOBSで紙人形劇をしているのは、かなり「三つ子の魂百まで」感のある話だなと思う。
ということは、逆に考えるとVtuberやっている人はみんなペープサート好きってことになるけど、どう?


05.夕立はかくしてくれない


「殺したい人がいます」
一学期の最終日。誰もいない図書室。貸し出しカウンターの隣の席で、君は唐突に口を開いた。
「えっ……」
あまりに突拍子もないセリフに驚いて顔を向ける。メガネの向こうの瞳は、まっすぐこちらを見つめていた。


物語のある楽曲に憧れがある。いくつかの曲が一つのストーリーに収束する群像劇だともう最高だ。そんな作品が、青春の一ページに鎮座している。
雪永さくらがサイドテールでシュシュをつけているのもその作品の影響だ。好きなキャラクターの真似をする、痛い中学生みたいなことをもう5年もしている。

楽曲中の少ないヒントからストーリーを考察してもらうことにも憧れがある。その考察を個人ブログで公開したり、「◯◯ 歌詞 意味」で検索してくれたりしたら、もう最高だ。
頭の中にある物語の断片を、曖昧な言葉に切り出して聴き手を試す。そういう聴き手ありきな作品をずっと書きたかったし、今でも「頼む、考察してくれ」と思い続けている。蒔いた種を拾いながら、ここまで来てほしいと思い続けている。でも、これに関しては自分ひとりでどうにかできることではないので、ほとんど諦めモードだ。自分が作りたい作品は、無数の「自分以外」の存在がないと完成しない。どうしたらいいんだ、と思う。


06.箱庭のおばけ


思えば変な子供だった。みんなに合わせるのが苦手で、いつも一人で遊んでいた。忘れ物が多く、よく放課後の学校にとりに行った。同性の友達が少なくて、それを親に咎められることがあった。みんなが興味を持つようなものを全く好きになれなかった。だから、話の合う友達がいなくて余計一人だった。
少し大きくなって、自分は普通ではないと理解すると、とたんに周りの目が怖くなった。普通じゃないことがバレて仲間はずれにならないよう、必死に周りに合わせた。幸い要領は悪くなかったので、優等生のような存在になった。優等生として解釈されるうちは変な奴にならずに済んだ。誰かの常識で自分を上書きするたび、歪みは浮き彫りになったが、それを突きつけられる苦しさに目を瞑れれば、ましな生き方だった。
大人になるにつれて適応が癖になった。相手の顔色を見て自分の態度も意見も変えるようになった。この八方美人な生き方は結局のところウケが良く、やめられなくなった。相手の期待に沿うことが最優先になって、誰かの中に自分という存在のイデアが作られたのを察すると、それを裏切るのが怖くなった。自分にとっての努力は、自己実現ではなく、恐怖から逃れる手段だった。

「多様性の時代だ」「個性を認めよう」「誰かに合わせて息苦しくならなくて良い」そういう言葉がありふれた時代になった。自分が恥だと思って決別してきた個性と仲良く暮らしいている人を見ると、どうしようもなく羨ましくなる。この世界はもはや、「人に合わせられるようになって偉い」とは言ってくれない。それは、これまでは当たり前のことだったし、これからは肯定されない価値観だからだ。
みんなと同じ形になろうとしただけの、息苦しくて空っぽな人生は、誰からも肯定されることなく、袋小路に嵌って出られなくなってしまった。


07.僕らの死はコンテンツ


この曲ができるきっかけになった最悪なハッシュタグのことを、もう誰も覚えていないと思う。すでに元凶のツイートは削除されているので、何があったのかは今や分からなくなっている。
雪永さくらは定期的に、爆笑オモロ歌シリーズをTwitterにて公開しており、本楽曲もそれだ。当初はシニカルなジョークのつもりで投稿したが、思っていたより「誰かをコンテンツとして消化することに後ろめたさを抱えていた層」に刺さって、ちょっとシリアスな文脈に移行してしまった感がある。自他ともに。
自分としても、死へのリアクションを目撃するたびに「死がコンテンツになっている」と思ってしまう病にかかっていて、これは非常に良くない。Vtuberの死だけでなく、実在人間の死を弔うツイートですら「人の死を140字で消化している」と感じてしまうのは本当に最悪で、あまりに人間の心がない。最悪な人間が書く最悪な曲が心優しい人に刺さっている。皮肉だね。


08.餞


ここではないどこかに行きたい、とずっと思っている。楽しいことも苦しいことも、エンディングテーマが流れて早く終わってほしいと思っている。その究極の到達点が「死」だ。私は死にたいのだと思う。
このアルバムのコンセプトは「葬式」だ。誰にも見向きもされない自分の死をコンテンツにして、弔うためのアルバムにしたかった。無論、アルバムラストのこの楽曲もそのテーマが色濃く出ている。Vtuberの引退は死と同義だと宣いながらこんな曲を書いて、個人の音楽活動休止しますなんて言ったら、完全に引退宣言だと思われそうだが、一応違うと言っておきたい。死にたい死にたいと言いながら、いざとなったら死ぬのが怖くなる、背負っていたものが惜しくなる、そんなどうしようもなく卑怯で弱虫な人間なのだ。安心してほしい。

アルバムタイトルの「Viewing」の意味も、VRChatのワールドに込めた想いも、どうせ誰も私が蒔いた種など拾ってくれないのだろうと半ば諦めつつ、こんな無駄に長くて痛々しい作文を最後まで読んだ暇人のあなたにくらいは、ちゃんと呪いがかかってほしい。

信じる人がいなくなって、誰にも弔われず消えていく怪異に、どうか、あなただけは花を手向けてくれないだろうか。


おわり


いいなと思ったら応援しよう!