小さい頃の記憶
前回の記事のつづき。
8歳ごろまでの話。
と言っても、幼い頃の記憶って断片的で肝心なことを覚えていなかったりするんだけど。
そう。yujiさんに、小さい頃、注目されたりとか、全部良きにしてもらっていたり、なんか憧れられたり?ありませんでしたかー?って。
(え、実際なんて聞かれたんだっけ…w 詳細不明 爆)
けどこんな感じのことを聞かれたような・・・
で、その時はあんまり思い出せず、ぼやっとしたことしか言えなかったんだけど、ぽつぽつと思い出したことを書こうかと。
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まず、両親にとって初めての子、そして初孫という生まれだったので、生まれた瞬間からアイドルだったらしいですw(いきなりw)
赤子だったわたしは、こたつの上に置かれてたそうで。というのも、全員がわたしのことを公平に見れるようにそうなったらしく、何を食べるでも飲むでもなく、私のことを眺めて談笑したとか…
それが人生の始まり。
ここだけ聞くととんでもない子に育ちそうw
こんな感じのエピソードばっかりなんだけど、いる?うざくない?www
そもそも幼少期の頃は総じて、とんでもなく不愛想で、妄想の世界で生きていて何を考えてるのかわからないような子で、こだわりが強いわりに口数が少なく、簡単に言ってしまば、「扱いづらい」子どもだったはず。
両親の仕事の得意先でも不愛想を発揮するのに、なぜか可愛がられ、お土産を持たせてもらったり。わたしを連れて行かなかったら、仕事で訪れてるのに文句を言われたり 笑
2歳、祖父の入院先の病院へお見舞いに行った時は、おもちゃのベビーカーを押しながら病院内を徘徊していたら、ニコリともしない私なのにそのベビーカーのかごの中が、入院中の皆さまからのお菓子や缶詰でいっぱいになったり。ちなみにコミュ障だったのでお礼も言えてないはず 汗
しかも勝手に徘徊して勝手に戴いてきているから、両親も誰にお礼を言っていいやら困惑したとかw
誕生日ケーキはどんなのがいい?と聞かれて、絵本にかいてある2段のケーキを指さしたら特注で誰かが準備してくれ、やれ何が食べたいやれ何が欲しいと聞かれて答えて全て叶っていたのではないかと思われる時代w
(ちなみに裕福な家庭に育ったわけではないです。本当に。)
3~4歳。幼稚園に行くのが嫌になる。
理由は「先生がサイサイ言うから」
「集まりなさい、食べなさい、早くしなさい」の命令、指示口調が気に食わなかったそうでw。(太陽冥王星合みw)普段、主義主張の理由を尋ねても"答え”が返ってくるような子でもなかったけど、この時は行きたくない理由を聞き続けていたらボソッと言ったそうです。
5歳。この頃には弟と妹も生まれ、年長者としての扱いに慣れて来た頃かと。面倒見がいい姉というわけではなくw、頂点に君臨する姉。そんなポジションだった気が…。ただし、弟や妹が困っていたら即刻お助け!親分的な感じ?だったかな。
6歳。何かと目上の人から目をつけられる時代。登校班の班長・副班長からいじわるされたのを覚えてる。それでも別にへーこらする気性でもないので、悔し涙を(隠れて)流しながらも表面的には涼しい顔をしていたなぁ。
確かこの2年後くらいに弟も入学して一緒に登校。弟までいじわるされだしたのが一番こたえたな。。。それでどうしたかは覚えてないけど、年功序列で自分が副班長とかになるくらいには、卒業していってた気がする。
しかもここややこしくて、そのいじわるな人の親は気は強いけどいい人。私の実家は自営業。なんと先方も自営業とあって、あんまり周りにこの話しても誰も得しない面倒なことが起こるのが目に見えているので、わたしも中々打ち明けられないジレンマを抱えていたな。言っても意味ねーわくらいの。面倒だったら我慢すればいい。←コレわたしの悪い癖。
7歳。たぶんこのくらいの年齢の時は、公園でひたすらブランコしまくっていたら誰かもブランコにハマり、ひたすら草を石でつぶして色出しとかしてたら、周りもみんな草を石でつぶし始めたり(ちょっと奇妙w)、大縄跳びをしてたら気づいたら大人数になってたり、秘密基地ごっこしてたらこれまた人数が増えたり、なんかこの辺りが「っぽい」なと。うんてい棒に夢中になってた時も、誰もいなかったのに気づいたら沢山人がいて、やりたいのにできないので、最初に始めた私が立ち去るとか。 笑
逆上がりに夢中だった時も、気づいたら同じように逆上がり練習する人が増えていたり。あ、一輪車にハマった時も同じ。
内心、迷惑だと思ってた(🤫)
↑こんな奴なのに、なぜ…ww
[余談]
何か運動系?とか、これをできるようになりたい!!と思ったら、できるようになるまで永遠と同じ事に取り組んでいたそうです。(ストイックやな〜w)
1ハウス牡羊座だしね。インターセプトでまんま入ってるし。ドラゴンテイルも山羊だしね。あと9ハウスも絡んでそうだな…(射手座金星・射手座海王星)
この頃から、暇だったら遊びを生み出せばいい。みたいな感じで、あれやこれやと遊びを創って弟妹でも遊んでいたのを記憶してます。
8歳。この年齢も外でひたすら鬼ごっこだのケッタだのかくれんぼだのと、学校から帰って来たら同じ地域の人たちと約束したわけでもないのに遊んでいた記憶。
この頃も親族からチヤホヤされる環境は変わらず。親族と一言に言っても、うちの親族は多めで。母親は2人姉妹。ここが仲良しだから、その子ども同士(いとこですね)も仲良くて、総勢子ども6人。まぁとにかく何故か憧れられていた…。
今の所、思い出せた&親に聞けたのはこれくらい。
で、これが人生のベースなんだよね。。? 笑
7ハウス天秤座ステリウムおそるべし。。
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