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教えることの難しさ、覚えることの難しさ

最近、誰かに何かを教えるって、すごく難しいなと感じています。
そもそもが物事を説明するという事柄に対して、自分はそこまで長けていないので、よりいっそうの悩みでもあります。
相手がどういった知識、技術を持っているのかをわかっていないと、そもそも教えるなんて無理ですからね。
ドレミがわからない人に、超絶技巧練習曲を教えようとしているようなものです。

自分に置き換えて考えた時、自分は果たしてどうだったのだろうか?
そう考えてみると、自分の場合は大体が本などのドキュメントから学ぶことが多かったと思い至りました。
ということは、本に教わったと言い換えられるかもしれません。
そう考えてみると、とてもわかりやすく、すぐに覚えられた本がある一方、婉曲でわかりにくい書き方をしていて、いったい何について説明しているのかがわからない本もありました。
その人に合う、合わない、があるにせよ、本という媒体を経ても、教える、説明するということがいかに難しいかがわかります。

余談ですが、私はいろんなところに落ちている知識を拾い食いして、それを集め、連結させて考えることが比較的好きです。
一見無関係に見えた事柄も、視野を広げてみると関連していたり。
そういった感じで、情報の繋がりを増やすことで、自分なりの知識の蓄積を作っています、
自分にとってこの行いは、ごく当たり前のこと。だからこそ、世の中の人はこういったことを当たり前にしているものと思っていました。
が、そうではないらしいということを知ることになります。
寧ろそうやって、知識の拾い食いをしている人間が稀有だということも知ります。

ラジオのリスナー友達には、そういった「知識の拾い食い」をする人が多いので、自分のような人は極々平凡でありふれた人間だと思っていました。
しかし、職場などで同僚と雑談なんぞをしていると、どうも自分の「知識の拾い食い」は、あまり一般的ではないのかもしれない。と思い至るようになりました。

そんな時、世の中の人はどうやって知識を広げていっているんだろうと疑問に感じました。
自分で知識を拾って広げないのであれば、誰かから教えられるということだろうか?
いや、そもそも、知識の拡大というものを望んでいないのではないか?
考え出すとキリがありません。

閑話休題。
教えるのが難しいという一方で、覚えるのが難しいということもある。
覚えられない理由は色々とあるかと思います。
・その知識や技術を覚える為に必要な前提知識、技術が足りていないから。
・その事柄に対して興味がないから。
ぱっと思い浮かぶのはこの辺りです。
前提知識、技術が必要なものに対して、その事柄を一足飛びに得ようとすることは、そりゃ覚えられないですよね。
物事の順を追わないと、覚えるものも覚えられないということもあるかとおもいます。
その事柄に対して興味がないというのは、もうどうしようもないかなと思っています。
興味がないということは、それにまつわる知識や技術が不要ということですからね。
そうなってくると、興味を持ってもらう為にはどうすればよいのかというところになってきますね。
これはこれでとても難しい……。

そんなこんなで、教えるということを覚えるのが難しい。
誰か、教え方を教えてくれないかなと思う雪村さんなのでした。

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