
第二児の出産とワンオペ
二人目が無事に誕生した。第一子とそっくりだ。
妻も高血圧症候群で、症状緩和のためには、出産時期を早める可能性もあった。一方で、最終月に入って、胎児の体重が伸び悩んで、低出生となる可能性もあった。
妻の血圧が高くて、急遽病院に行くケースもあった。それでも胎児の成長があった方が良いと、予定日まで待って、無事に適正体重で出産できた形だ。
思えば、この1ヶ月は家族の体調不良も多かった。子供は発熱したり、今も嘔吐は多い。僕も、コロナワクチン・インフルワクチンで身体に発疹ができたり、食あたりしたり、子供の熱が移って感染したりと、駐在時には殆ど無かった、体調不良の症状に見舞われたのだった。
いまは妻が入院しており、長男と初めての二人生活をしている。仕事との両立は相当ハードに感じている。朝と夜の子供の世話、送り迎えをするのもあるし、妻の入退院の手続や見舞い、また、そもそもの駐在に向けた個人として必要な手続もある。
前にも家族の時間について書いたが、気力と体力の面でも、仕事に全力投球が難しく感じているのが実情だ。
ただ、妻もマタニティケア施設から次の週末には戻る予定だ。そこで家族4人の生活が始まることとなる。
ワンオペをしていて、シッターサービスや家事サービスの重要性を改めて感じている。自分の時間を確保して、何かに集中する時間が無いと、日々の荒波に揉まれて、そもそも何がしたかったのか、何をすべきなのか、という点を見失いがちだからだ。また、部屋が散らかりすぎていないことも、心身に少なからず影響があるように思える。
つくづくシングルマザーの方には敬意の念を感じる。僕は一定期間のみだから、何とか耐えられるが、この状態が数年単位で続くとなれば、キャリアか、個人の自己結発なのか、何かを諦めざるを得ない気がしている。
育児を重要視することは、しばしばキャリアを諦める風に見られがちだ。僕自身もそうした見方をしてしまう部分がある。
でも、時期の問題なのだと思う。独身時代はとにかく仕事や自己学習の配分はコントロールできたが、子供ができると、上手く折り合いをつけるしか無い。ただ、子供は数年間で自立的になり、手間も減っていく。このように、世話をできる時間は、短いのだろうと思う。自分の時間を取り戻した時に、何をやるか、という問題なのだ。
疲れてしまうと、やはり寝転んでスマホをいじるような態度になりがちだ。それも気力体力の面から、必要な時間だとしても、自分の目標に対する活動はゼロにすべきで無い。僕だったら、フランス語や英語の学習はほんの少しでも維持すべきである。他の仕事に影響を及ぼし得るテーマでの学習もそうだ。
ゼロにしないこと、それが自分の時間が再び出来た時に、惰性のままに堕ち切らない方法なのだろう。子供だって大きくなれば、やはり目的意識を親が持って、(子供ばかりでなく)自分自身の人生をしっかりと全うしてほしいと思うはずだ。
育児を親や第三者に任せ切って後悔している人の話を聞く。その意味で、僕はいまの子供との接し方であれば、後悔は全くしないと思う。やれることはやっているし、コミュニケーションは取れているとも思う。あとは自分の目的意識に沿うような活動をいかに継続するかだ。
来週には妻と次男が合流する。なかなか大変になるだろうが、頑張りたい。