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降り積もる微かな雪
こんにちは、yukimoです。
僕は九州に住んでるんですが、今日は雪がパラパラと降ってました。なかなか珍しいです。
けれども、大人は火の子ですから、降る雪にうっとりするより、お家にいるほうがいいですね。暇つぶしにyoutubeを開くとおすすめにこの動画が出てきました。
この動画では、主に浅田彰さんの著書「逃走論」を解説しています。以下動画の要約です。
逃走論では、まず人間をパラノ型(parano)とスキゾ型(schizo)の2つに分けています。
パラノ型は、中心化や秩序を重視し、抑圧的で固定化された構造に従う性質を指します。例えば、権威的な社会や明確なアイデンティティを求める傾向がこれに該当します。
対して、スキゾ型は、分裂的で流動的な状態を指し、既存の枠組みや秩序から逸脱する性質を持ちます。固定された中心を持たず、境界を越え、異なる要素を接続する動きを象徴しています。
浅田は、現代社会が「脱中心化」していると述べます。これは、権力や支配が明確な中心を持たず、あらゆる場所に分散している状態です。
そのため、伝統的な「抵抗」の形では支配構造を打破することは難しいと指摘します。
個人がこのような社会で生き抜くには、中心や枠組みを問わず、自らを流動的に変化させていく「逃走」が必要だと説きます。
抵抗ではなく逃走。まさしくFight or Flightです。
加えて、パラノ型を積分的、スキゾ型を微分的だとしていた点が印象に残りました。積み上げてきたものを重視するか、一瞬一瞬の差異を楽しむか、そういったニュアンスです。
僕自身、以前こんなことを考えていたことがありました。
誰かと比べて落ちこんでしまうのは、誰かが勝手に決めた「積分区間」で定積分をしているからではないか、と。
たとえば、学校や職場、あるいはSNS――どれも人が設定した枠組みの中で自分の価値を測られている気がして、それに囚われてしまう。
でも、もし不定積分で考えてみたらどうだろう、と。
定積分のように固定された範囲での結果にこだわるのではなく、不定積分で考えるなら、その人のパラメータの合計値は、他の人とそこまで大差ないんじゃないかな、と思っていました。
むしろ、「+C」の存在に目を向けたとき、きっと見えてくる景色が変わる。誰もが同じ式ではなく、個々に異なる関数を持っている。その変数の中に、個性や意志が宿っているんじゃないかとも。
今回の動画を観て、この考えがさらに広がりました。
これからの自分にとって大事なのは、きっと「+C」をもっと大切にしながら、微分的に――つまり、一瞬一瞬の変化や新しい可能性を楽しむように生きることなんだろう、と。
まだまだ答えは見つからないけれど、きっとこうやって迷ったり考えたりすること自体が、逃走――あるいは自分自身を広げていくプロセスなのかもしれません。
そう思うと、この雪が降り積もることを願って外へと走り出すのも悪くないのかもしれないね。
それでは。