117. その挑戦は本当に「リスクを取っている」と言えるのか
株式会社ユーフォリアでのインターンをさせていただいていた時に、財務戦力コンサルタントの石野雄一さんによるファイナンス講義をしていただいた。石野さんが出版されているこの本は、累計12万部越え、さらにAmazonの「オールタイムベスト ビジネス書100」にも選ばれていたりと、その道のまさしくエキスパートと呼べるこの方から、直接指導をしていただける機会があった。
石野さんによるこの講義では、財務、会計、意思決定など、他ではなかなか学べないような、お金に関する大変貴重な内容をたくさんお話いただいたのだけど、中でも僕の心に強く残った話が「リスクを取る」ことの本当の意味についてだった。そして僕は、これはビジネスの世界のみならずスポーツ、その他の分野にも代入できるアイデアだと思った。
何か新たな行動を起こしたい人、変化を求めている人、決断を迫られている人、挑戦を続ける人など、きっと多くの人の役に立つ考え方になるだろうと思ったので、自分の中でこの言葉をより深く理解する目的も込めて、noteを書こうと思う。
※石野さんからの話を基に自分なりの解釈で話を進めているため、石野さんの本意とは少しそれている可能性があります。あくまで自分なりの解釈として読んでいただけたら嬉しいです。
そもそも、リスクとは何なのか
まず第一に僕が驚いたこと。それは、ファイナンス業界における「リスク」という言葉の定義にある。
僕は今まで、リスクという言葉を聞かれたときに、危険、損、失敗、悪い出来事、といったネガティブな意味だけを思い浮かべていた。きっと僕と同じように考える人も多いだろう。「それリスクあるよね」と聞くと、何か危険なことを冒すイメージが真っ先に頭に思い浮かぶ。
だが、石野さんはこう言った。
リスクとは、ばらつきである
これは一体どういうことなのか。最初僕はこの言葉を聞いた時に頭が「?」で埋め尽くされたが、説明を聞いているうちに「なるほど!」と腹落ちする瞬間があった。順に説明していこうと思う。
ばらつきのあるもの、とはつまり、結果に「不確実性」があるかどうかだ。要するに、この先起こりうる減少に結果のばらつきがある場合ほど「リスクが高い」と呼び、逆に確実な結果が待ち受けている場合は、「リスクはゼロ」と考える。これがファイナンスにおける「リスク」の定義だそうだ。
ここで石野さんが出した例題を紹介したい。これを聞いて、この言葉の意味が僕にもよく分かったので、もしよければ皆さんもぜひ一緒に考えてみてほしい。
あなたがマンションにいるとする。この時、一番リスクが高いものはどれか?
A: 2階から飛び降りる
B: 5階から飛び降りる
C: 30階から飛び降りる
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ぱっとこれを聞いた時、直感的にCの30階から飛び降りることを選択しがちになる。実際僕もこの問題を投げかけられたとき、そう答えてしまった。だって一番危険なのは間違いなくCだから。
だが、この問題の正しい答えは「B:5階から飛び降りる」だ。ここで大切なのが、リスク=ばらつきという考え方。この問題の場合、
・2階から飛び降りる場合
怪我をしたとしてもほぼ確実に生き残る。つまり結果のバラつきが少ない=リスクはほぼゼロ
・30階から飛び降りる場合
ほぼ間違いなく命を落とす。つまり結果のバラつきが少ない=リスクはほぼゼロ
・5階から飛び降りる場合
生きる可能性も命を落とす可能性もある。つまり、この三つの選択肢の中では、一番結果のばらつきが大きい=リスクが高い
ということ。つまり、想定される結果に対してその不確実性が高いものほどリスクが高いとされる。要は100人が同じことをしたときに、100人が同じ結果になれば、ばらつきはゼロ、よってリスクもゼロということになる。
「危機」というワード
このリスクという言葉を最もわかりやすく表している言葉が「危機」だと石野さんは言う。危機と聞くとまさしく「危ない、もう後がない」ような感じがするけど、この熟語はこのように表すことが出来る。
危機=危険(-)と機会(+)
危険と機会が同時に存在するもの、それが危機(リスク)というわけだ。このプラスとマイナスのばらつきの大きさのことを「リスクが高い」という。わかりやすい例えだなあと思う。
「ハイリスク・ハイリターン」とは
一般的にハイリスクハイリターンと聞くと、「損する危険が大きい分、もしうまくいけばめっちゃ得をする」という意味でとらえられることが多い。ただ、授業の中ではこのように説明された。
ハイリスク・ハイリターン:
ばらつきが大きいものに対して投資をするなら、それなりの大きなリターンを要求すべき
僕はこの、「大きなリターンを要求する」というのはとても大事な視点だなあと心から思う。大きな危険を背負ってまで起こした何らかのアクションが、結果的にリターンが少なかった場合、それは「ハイリスク・ハイリターン」に失敗したというよりも、そもそもそれは「ハイリスク・ハイリターン」ではない(リスクの高いものではなかった)ということだ。
僕はここに、リスクという言葉が持つ本当の意味を見出せるのではと思った。
自分にとってのリスクとは(ここから本題)
ここからは自分の言葉で「リスク」について考えていこうと思う。(いつも通り、ここから本題)
今回の授業を通して学んだ目線を持って、日頃の自分の意思決定について少し振り返りたい。僕は今まで、人生を左右する決断というものを何度か繰り返してきた。早実に進むと決めたときも、チェコに行くと決めたときも、アメリカでプレイすると決めたときも、NCAAに進学すると決めたときも、そこには意思決定が存在した。そして、今振り返ってみれば、そのどれもが結果的には正しい決断だったと思う。
今まで下してきたどの決断も、そこには成功の可能性、失敗の可能性が同じくらいあった。まさしく「上手くいくかどうかわからない。先がどうなるかわからない。」という不確実性の塊のようなものだった。実際、高校を辞めてまでチェコに来てしまった当時、最初の数週間は「俺本当にこんなことして人生大丈夫なのか?」と思うこともあった。
だが、僕は結果的にそういった道を切り開いてこれた。「リスク」の高い決断をしてきたことで、どう考えてもそれ以上のリターンを僕は受け取っている。これがとっても大切なことだと思う。つまり僕が言いたいことは、そこにリターンがないのならば、それは挑戦とは呼べないのではないか?ということだ。
「リターンを求める」というと、なんだか欲深くおこがましい印象を受けるかもしれない。ただ、僕が言いたいのはそういう事ではなく、何か自分が今やっていることや持っているものを投げ出して新たなアクションを起こそうとしているのであれば、その分もしくはそれ以上の報酬を受け取る設計になっているべきだということ。
要するに、「絶対失敗する」とか「絶対成功する」と結果がわかりきっている中で起こしたアクションは「挑戦」とは言えない。失敗すると分かり切っている状態でチャレンジするのは、リスクを取ることとは呼べないはずだ。
この一つの例として、自分の実力では試合に出れないと分かり切っている選手が強豪校の部活に入部することが挙げられるだろう。他のスポーツではどうかわからないが、アイスホッケー界ではよくあることだ。一見、実力の伴っていない選手が日本一のチームに入ることは傍から見れば「素晴らしい挑戦」に見えるかもしれない。「実力は及ばずとも、彼は誰よりも頑張った」と美談にされることさえある。ただ、僕はこれを「挑戦」とは言えないと思う。先ほども述べたように、試合に出れないことがわかっている(リスクゼロ)だからだ。
もちろん、これはその選手本人がどうしたいのか、何を望むのか、何をゴールとしているかによって変わってくる話なので、僕の話していることが常に正しいわけではない。もしかしたら、3年間試合に出れなくとも日本一のチームの空気を味わう事だったり、どれだけ辛くてもそれを耐え抜くことで得られる幸福感をかみしめることに対してよろこびを感じることを目的としている場合もある。ただ、もし仮にこの選手が「今の実力では全く通じないところだけど、なんとか試合に出ることを目指してこのチームに進む」という軸で決断しようとしているなら、やめた方がいいんじゃないか、と僕はアドバイスをすると思う。全く試合に出れないと分かり切っているところで3年間を過ごすよりは、試合に出れるか出れないかわからないようなラインのチームで周りと切磋琢磨した方がリターン(成長)は見込めるのではないかと考えるからだ。
(とはいっても、結局何が本当に起きるかというのは分からないし、未来は不規則に変わるものだから、本当の本当に正しい決断なんて存在しないことかもしれないけど。)
リスクはあくまで、参考資料。一つの指標でしかない。
「挑戦する」とはつまり、何かを決断しようとしたときに、そこに自分が上手くいく可能性、上手くいかない可能性もしっかりと吟味し、結果がどうなるかわからない瞬間を生き抜くこと。そして、それに対して相応のリターンを求めること。
僕はこう考える。
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最後まで読んでいただきありがとうございました。
三浦優希
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