138. 「迷い」が生じた瞬間を正直に書こうと思う
皆さんこんにちは。三浦優希です。
今日は、久々に自分の中で心が揺れたとき、つまり「迷い」が生じた瞬間についてのお話を全部正直にしたいと思います。
どうぞよろしくお願いいたします!
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今回僕が何で迷っていたかというと、この先の進路についてです。簡単に言うと、プロに進むか、それとももう一年大学アイスホッケーをやるかで少しムズムズしていた時期がありました。
元々、今シーズンが始まった段階から、僕は「今年が大学アイスホッケー最後の年」と決めていたし、今シーズンが終了した後も、チームのコーチやアドバイザーにプロ転向への意志を伝えていました。
何より、僕自身がプロに入ることだけを考えていました。
そんな中で迎えた大学シーズン直後の数週間。この時期は、大学ホッケーのキャリアを終えた選手がプロチームと契約して、残りのシーズンをプロとしてプレイする時間です。基本的に大学ホッケーはプロと比べて試合数が少ないのでシーズン終了は例年4月ごろとなり、常に大学ホッケーの方が早く終わります。一方、プロチームは基本的に5月、下手したら6月ごろまでシーズンが続くので、大学でのシーズンを終えた選手がプロに転向してすぐにプロチームの試合に出るということがよく起こります。僕もそれを狙っていました。
僕のようにNHLドラフトをされていない選手のことをフリーエージェントと呼ぶのですが、フリーエージェント選手が今シーズン中にプロと契約できる期限が2021年4月21日でした。つまり、その日までにサインが出来なければ、今シーズンはプロとして試合に出れることはないということです。
そして僕はどうなったかというと、ここだけの話にはなりますが、ECHL(NHLから数えて3部相当)の数チームから興味を持ってもらえたものの、契約にはいたらず、という結果でした。僕が今年の最大の目標としていたことは、NHLから数えて2部にあたるAHLリーグのチームから声をかけてもらう事でしたが、それはおろかECHLからもオフィシャルオファーがもらえずでした。
興味を持ってくれていたチームも、「プロでプレイするためには学生ビザからプロフェッショナルビザへの切り替えが必要で、それを取得するのに時間がかかる」ことが契約に至らないネックの一つという趣旨を話してくれていたみたいですが、結局のところ、本当に必要な選手を獲得したいのであれば、チーム側はそういった手続きも問答無用で即やるはずですから、自分がプロチームに対してそのレベルに至るまでのスタッツ、印象を残せなかったことに変わりはありません。ここに言い訳は存在せず、すべては僕の実力不足となります。
そんな中で、僕の同級生のほとんどがプロ転向ではなく、トランスファーポータル(転校先を探している選手のリスト)に入る、すなわちもう一年大学ホッケーを続けるという選択をしていました。コロナの影響もあり、プロチームでも選手が溢れかえっている状況に加え、NCAAからのもう一年間のEligibility(プレイ資格)付与、大学院プログラムを受けながらホッケーが出来ることなどを鑑みて、今はまだプロには進まないという道を選ぶ選手がほとんどでした。
彼らのそういった選択を目にしたり、他の大学でもNCAAトップ選手たちがもう一年間大学に残るor転校するという進路を取ったこと、何より、大学院プログラムを奨学金で受講しながらアイスホッケーを続けられるという道は、僕の目にも魅力的に映りました。
ここが、「俺も今はプロに進まず転校先を探したほうがいいのかな...」と僕の心が揺らいだポイントでした。
僕の所属していたLSSUは大学院プログラムがないので、もし仮に大学ホッケーを続けようとしても、僕は転校先を探すつもりでした。(LSSUでも続けようと思えばできるし、コーチからもそのお誘いはいただいていました。)
転校するとしても、トランスファーポータルに入ることが他の選手と比べてそもそも遅れていて、かつ目覚ましいほどのスタッツを4年間で残せていなかった自分にフル奨学金のオファーをくれる大学は、おそらくですがほぼなかったかもしれません。
それでも、ほんの一瞬、厳密にいうと数時間ほどでしたが、本気で転校を考えていました。
ただ、僕が最終的に下した決断は、プロに進むという道でした。
決めて断つということ
僕がプロ転向を決めた理由はいくつかあります。例えば、2021年10月ごろから始まる新シーズンの段階では、おそらく多くのプロチームがリーグに復帰すること、同期のライバルの多くが大学に残るため、自分に回ってくるチャンスが増えるのではないかということ、僕は今年で25歳になることなど、様々な要因があったのですが、一番のきっかけは、今までの自分が積み重ねてきた経験に裏打ちされた決断の哲学、そして決断を下したときの感情でした。
僕は挑戦において、常に難しそうな方を選ぶと決めています。これは早実をやめて海外に出たときからずっと変わりません。そして、このような大きな決断をした瞬間、いや、しようとした瞬間に必ず心の中に生じる感情があります。それは「これ本当に大丈夫かな..」という心のもやもやです。
「早実辞めてまでチェコ来て平気なのか?」「プロ契約断ってアメリカ行って大丈夫なのか」といったように、口では「もう決めた!」と言っていても、正直に浮き上がってくる心の言葉は、不安で覆いつくされていることが実はよくあります。
そして僕は、この感情が湧き上がってくるときこそ、挑戦者として正しい道を選んでいるという「答え合わせ」ができる時間だと思っています。
正直なことを言うと、今回もまさしく、その苦しいような重たいような、不安と恐怖を一緒にかきまぜたような感情が心の中で渦を巻いていました。実際今回のケースは、LSSUに残る、他大学への転校、そしてプロ転向の3択だったわけですが、プロ転向が一番難しい道だったと思います。
もちろん、他大学への転校もかなり難しいことではあるし、大学院プログラムに進めるチャンスがあるかもしれない中でそれを手放すのは、なかなかタフな選択でした。
それでも、僕はプロになることを決めました。この時に感じていた不安の感情が、今まで大きな決断をしたときに感じていたものと全く同じものだったからです。
これがすべての理由です。一言で表すならば、「今までの自分を信じてみた」ということです。
この決断がどうなるかもわからないし、「プロになることを焦ることはないよ」という人もいるだろうし、「大学院に進めるチャンスを捨てるなんてもったいなさすぎ」と思う人もいるでしょう。
でも、僕はもう決めました。
プロになります。
まあ、プロ転向と言っても、宣言したら絶対になれるわけではなく、僕はこの後の競争に勝たなければ「プロ」にはなれません。今はあくまで意思表示でしかないです。
それでも、僕は様々な思いを断ち切り、自分の進むべき道を一つに絞ることが出来ました。これで第一関門はクリアです。あとは今まで通りやるだけ。というか、そもそも「周りがこっちの道を選んでいるから~」に流されてるようじゃ決断は務まらん。自分の人生のオーナーシップは常に自分が取り続けないとね。
今思うと、この時の自分はだいぶ揺れ動いていたと思います。ただ、この思考プロセスを踏むことで今はとってもすっきりした気持ちになってます。
不安はもちろんあるのだけど、それを乗り越えていくことこそが挑戦の何よりの醍醐味です。だから、この不安と共存なんてするつもりは毛頭ない。真向から戦いを挑もうと思います!
自分の置かれた環境、足を踏み入れた環境において、その日のベストを尽くし続けること。そしてそれを毎日繰り返すこと。ただそれだけです。そうすることで、今は想像もできない未来がいつのまにか広がっていくと思います。
僕はこれからも、自分の進んできた道を、信じてみることにします。
早く皆さんに良い報告が出来るようにしますね。
これからも頑張ります!まだまだ夢の途中!
今回も最後まで読んでいただきありがとうございました。
三浦優希
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